見出し画像

「あなたの人生、何にBETする?」

夏は決意の季節なのかもしれない。

「俺は音楽(バンド)にBETした。お前らは人生何にBETする?」 

名古屋で聞いたその一言がわたしの決意を固めた。

2018年の夏、わたしはどこかの歌詞で聞いたような「やがて来るそれぞれの人生の交差点の中で迷いの中立ち止まり、それでもまた歩き出そう」ともがき苦しんでいた。(元ネタがわからない若者はググって欲しい。)

伝わる空気と青天の霹靂

2018年の夏前頃からちょうど転職活動を行っている最中だった。ちょうどその時ハマッていたバンドからわたしが推していたメンバー(ドラムのひと)が脱退することになった。なんとなくちょっと前から感じていた嫌な予感が的中した。あー、組織や会社と同様、辞めるひとって隠してても雰囲気でわかるんだなと思った。

最後の脱退ライブは2018年7月31日、新宿LOFT。6月下旬に脱退が発表されてから、ちょうどその頃転職活動に本腰を入れようとしていたわたしは、「組織から去る」という選択をしようとしている自分の転職活動とメンバーの脱退を勝手に重ねながら(ほんと勝手)、そのメンバーのそのバンド(組織)での雄姿を約1か月間、見届けることになる。

転職するする詐欺

転職活動の話をしようとおもう。わたしは何年間も口癖のように転職したいと言って、そのたびに紹介会社のキャリアカウンセリングに行くも、いわゆるやりたいことがわからなない病と、無駄に安定していた諸条件のせいで決断ができずに結局元のさやに収まるというキャリアカウンセラーからしたら超迷惑な日々をもう何年も過ごしていた。「動かないのもご縁だ」とか自分に都合のいい言い訳をしながら、時だけがどんどん過ぎていった。

会社の仕事は心からやりたいと思える仕事では全くなかったけれど、別にこなそうと思えばこなせていた。年齢的にもスキル的にもやりたいことを仕事にするなんか簡単にいかないこともわかってたし、そもそも本当にやりたいこともよくわからなかった。

やる気はあまりなかったが会社での成績が悪いわけではなかったし、役職もあった。週に何日も徹夜したり、家に帰れず労働時間的にもブラックだった頃に比べたらここ数年はある意味健康的な生活ができていたし、月に何回も休みたいときに休めたし、現場レベルだけでみれば人間関係も悪くない。話だけ聞く分には一見ホワイト企業とおもえる会社でぬくぬくしていた。

もちろんマッチしている人にとっては働きやすい職場だとは思うが、いま思うとこの感覚が本当に恐ろしい。

外に逃げ続けていた、体のいい自己実現という言葉

「自己実現」という言葉は時に罪な言葉となる。「社内でやりたい仕事ができなくても、社外で自己実現するんだ!」と言って、20代後半の数年はいわゆる今でいうパラレルキャリアという言葉に逃げていた。

自己実現だから別に自分が納得していればなんでもいい。外にでる目的がお金ではなかったので、複業ですごく稼ぎたいという欲もなかったし、どちらかというと職場だけの環境にいると自分が腐ってしまいそうで、とにかく外と繋がりたかった。外と繋がっている自分は会社の人たちとは違うんだという悦に浸って、安心したつもりになっていた。ただそれだけである。

そんな活動を続けていくなかで、2018年5月にパラレルキャリアを実践している人としてイベントに参加させていただく機会があった。

このイベントの登壇資料を作成しているときに、わたしは自分で自分の現実を突きつけられることとなった。「この10年間、わたしは一体何をしていたんだろうか。そしてわたしはこの先10年何をしていくんだろう。」なぜいまここにいるのか、なんのためにいるのか、いつの間にか言えなくなっていた。前からなんとなくわかっていたけど曖昧なままにしていたこの違和感を持ち続けたまま、その場所で働いていくのが怖くなった。

7月の悪夢

実はこのイベントに誘ってくださった先輩から「興味あるならこのポジション受けてみない?」ととある企業の採用に誘って頂き、その時はまだ本当に転職するかどうかも決めていなかったが、6月に選考を受け内定を頂いた。いろいろあっていろんな人に相談したり悩んだ結果、そこの会社に行くのはお断りしたのだが、この6月に転職を考えてみるきっかけがあったからこそ「今度こそ」と自分と向き合えた。そしてわたしはいよいよ本気で転職活動しようと決めた。

7月から本腰を入れてエージェントに登録したりスカウトサービスに登録したり転職活動をはじめたが、なかなか思うようにいかない日々が続いていた。もともといた業界からのオファーはガンガンくるが、今回の転職で絶対に譲れなかったことが「異業種に行く」だったので、そこだけは譲れなかった。だが30歳を過ぎての異業種へチャレンジは想像以上に厳しかった。異業種へ行けば年齢のせいではねられる。

営業という軸でアタックしても元居た業界が独特だったこと、手に職があるわけではなく年齢のわりに経験がニッチで微妙と言われ、落とされるたびに今までの10年間の仕事が何も役に立たなかった気さえした。

何度も落ち込み、自信を無くし、何度も泣いた。あと3年早ければと考えても無駄な後悔もした。まさに7月は悪夢だった。なぜあの職場でみんなが疑問もなくぬくぬく働いているのかも少しわかった気がした。転職したくてもできないのかもしれない、そう思った。

そんな中できいた

「俺は音楽(バンド)にBETした。お前らは人生何にBETする?」

という言葉は、わたしの心に深く突き刺さった。

これはたまたまこのバンドが仲の良かったFABLED NUMBERというバンドの「I Bet My Life(or Death) 」という新譜のレコ発ツアーにゲストとして出演した時だったのだ。長きに渡りバンドの屋台骨、そしてチームの緩衝材のような役割だったドラムの脱退が決まり、バンドもこの先どうなるかわからない中で、呼んでくれたバンドに対する感謝と共に、ボーカルが感情をこめて今回の新譜のタイトルとかけて吐き出した言葉だった。

ちいさなBETが自分の世界を変える

わたしは自分の人生に何かBETできているのだろうか。ずっとBETしないままここで煮え切らない想いを持ち続けて生きていくのだろうか。転職活動で心が折れそうになっていたが、そう考えたときにここで足を止めたらまたこの先も同じことを繰り返すような気がしていた。

「うん、やっぱり今だ。」この時わたしは「自分の環境を変える」という選択にちいさくBETしたきがした。わたしの中には今の職場に残るという選択肢はなくなっていた。

わたしの決断など何度も転職をしている人からすると小さな行動だし、もっとリスクをとって生活をしている人からすれば、なんのおもしろみもない決断かもしれない。

でも、世の中にはわたしみたいな人のほうが圧倒的にまだ多いと思う。
ちいさなBETにすら、足がすくんでしまう人がたくさんいるのだ。

こうやって、ついついバンドや音楽と人生を重ねてしまう癖があるのはよくないと思いながらも、私にとっては音楽はもう20年以上前から大事な居場所だ。

その場にいるときだけは自分が好きなものを全力で好きでいることが許される、ほぼ唯一無二に近い心理的安全性のある居場所なのであるだからこそ歌詞や言葉をその時の気分で素直に受け入れられるのかもしれない、そう思う。

賭けるのではなくて、「取るべき道」を選ぶ

BETという単語の意味は「賭け」だけじゃない、実は「取るべき道」という意味がある。わたしはこちらの意味のほうがなんとなくしっくりくる。

That's your best bet. それがあなたにとって最善の選択である。

あの日、同じライブハウスのフロアにいたひと、同じライブを観ていたひとが同じ言葉を聴いていても全員にその言葉が響くわけではないように、わたしだってもしかしたら心境やタイミングが変われば聞き流していたかもしれない。きっと言った本人ですらこの言葉を覚えていない気がする。

そもそも、これが脱退が決まっていないときだったら絶対平日のど真ん中にワンマンでもないライブを名古屋まで観に行くこともなかっただろう。この再現性のない、偶発的な1度きりの体験。だからライブはおもしろい。

もう記憶が曖昧なのだが、この言葉のあとにthe Answerという曲を演った。全く泣く曲じゃない前向きなポップパンクなのに、なぜかその時は涙が止まらなかったのを覚えている。「答えはいつだって、自分の中にある」そんな当たり前のことをこの曲は思い出させてくれた。

壊れた靴で早く歩けないから 僕は歩くスピードを落としたんだ
Go the long way around いいんだ 探し物はいつだって Inside of me

わたしの転職活動とともに駆け抜けたこのバンドのおっかけ活動(といっても、たった1か月だけど)だったが、最後の7月31日の脱退ライブは私がこれまでの人生の中で見てきたライブの中でも上位に入る最高のライブだった。

脱退するメンバーも、送り出すメンバーも、本当にみんなお互いを尊敬し、最後まで愛にあふれていた。脱退するメンバーは自分が去る前にこのバンドで自分が最後に残さなけばならないもの、できることは何か、自分の役割を最後の最後まで全力でやり遂げていた。そしてこの4人で音を出せる最後の瞬間に向かっていく感情全開のラストステージは、それはとても美しいものだった。

新宿LOFTの最前列でずっと泣きながら、ずっと笑っていた。われながらきもちわるいけど、他のお客さんもメンバーもみんなそうだったとおもう。脱退ライブだからとかではなかった。むしろ新しい表現で過去最高を塗り替えるというステージ上の熱と共にボルテージのあがる客席の圧に押しつぶされ、終演後に気付けばLOFTの最前列の柵に染みついた汚れが、わたしの白いTシャツに染みつき何度洗っても落ちないぐらい盛大に汚れていた。汚れて使えなくなったTシャツ、もはやそれすらも誇らしい気分になるそんなライブだった。

「去り際は美しく、心から応援されて送り出される人になろう。」

わたしは、このライブからたくさんの勇気をもらった。

Life is full of choices

昨年の秋、ご縁をいただき無事にわたしもあたたかく送り出してもらいながら転職をした。そして暫くの時が経ち、また今年も10月に同じ場所でまた彼らの音楽を聞くこととなった。そして、それはわたしにとってこのバンドの活動休止がアナウンスされた後、初めての現場だった。そう、あれから一年を経て、奇しくも2019年12月で彼らはバンドの歩みを休止するという決断を下していた。

彼らにもいろいろ思うところがあるのだろう。
自分が大人になればなるほど、社会にいればいるほどわかる。
バンドで生きていくって本当に大変なのだ。

また心から自分を解放できる大事な場所がひとつ減ってしまったな・・・と発表を聞いたときはとても悲しくなったが、ライブを観たらメンバーがすごくいい顔をしていて、悲しいよりも楽しいの気持ちが勝っていた。

きっとこれは彼らが前に進むために「取るべき道(BET)」なんだと思う。まだこんなにいいライブができるんだから、きっとまたいつか戻ってきてくれる、そう信じている。

Life is full of choicesは、このバンドが大切にしている言葉のひとつだ。

言い忘れてました、このバンドSWANKY DANKって言います。
もっと世の中から評価されてもよかったのではと思うぐらい、不器用だけど実直でとってもいいバンドです。

そんな彼らの人生の選択が、明るい未来に向かうことを願って。わたしは彼らの最後の雄姿を、笑顔で見届けにいく。


この記事が参加している募集

熟成下書き

「おいしいものを食べている時がいちばん幸せそうな顔をしているね」とよく言われます。一緒においしいもの食べにいきましょう。