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映画レビュー『64 ロクヨン』 - すべての裏には組織ではなく人が存在する

※ネタバレ注意

Nintendoじゃないですよw
昭和64年、西暦1989年の1月1日〜1月7日と1週間しか存在しなかった和暦の年です。その1週間に起き、昭和天皇崩御、新元号「平成」誕生のニュースに沸く期間に裏で起きた未解決の少女誘拐殺人事件がテーマです。

その事件に巻き込まれた警察と被害者たちが、ニュースに紛れ込んだのではなく、人為的に隠された真実に迫るストーリーです。

舞台は県警広報室

主人公佐藤浩市演じる三上は元刑事部で「64事件」を担当していたが、今は広報官。つまり警察(群馬県警)の広報です。群馬県内で起きた事件の情報を県警に常駐する記者クラブ(マスコミ)に伝える役割です。

本作は警察映画とはいえ、刑事が事件を追いかけ解決していくというより、県警広報室を舞台に情報戦略、警察組織の闇、警察とマスコミ(記者クラブ)との関係値に鋭く迫った映画です。

前後編に分かれた二部構成の大作

映画は前編と後編に分かれ、公開時期を少しずらし次回を楽しみに観られる仕掛けになっています。
そういう意味ではさすがの前編。壮大なプロローグ(前振り)とでも言うべきか、本題に入る前の前哨戦を描いていますが、先ほどお伝えした通り刑事モノではないためドンパチがあるわけではありませんが、広報という言葉を武器にした静かなアクション映画のような駆け引きが見所でした。

前編最後の佐藤浩市の記者クラブに本心を語りかけるシーンは迫るものがあります。
そしていよいよ64年の未解決事件を模倣した事件が起きたところで前編が終わります。見事にやられました。後編が観たくて仕方がありません。

そして後編は?

(前編より後編の方が評価が低かったため気になってはいましたが、)期待をしていた分、ちょっと盛り上がりに欠けたかなという印象です。
電話帳の全部に電話をかけて声だけで犯人を突き止めるといった、いろいろ設定が強引すぎるなと感じる部分で少し冷めてしまいました。。全体的にも少し間延びした感じです。

1本にまとめて山を持ってきた方が良かったのかなと思いましたが、それはそれで薄くなってしまうし、ビジネス的には二作観てもらった方がいいですよね…苦笑(前編観たら後編観ずにはいられないですし)

百聞は一見に如かずの演出

ただ映画としては構成の妙がありました。冒頭の64事件の部分は、円満な家族のシーンを見せておいてから、すぐに切り替わって誘拐事件を追うスリリングな展開。多くを語らなくともどんどん事件や人物関係が繋がっていく作り方が入り込みやすかったです。これぞ映画の醍醐味。
こういう難しいテーマで映画という短い時間だと、どうしても説明臭くなってしまう嫌いがありますからね。

原作は読んでないですが、小説は小説で情景を自分の頭で想像できる良さがありますよね。

組織ではなく人間

現代の政治とカネの問題ではないですが、どうしても人とはみんな自分が大事で周りの目を気にし、利権に溺れてしまうものです。
またその人が集まる組織というものは、その欲望がドロドロと渦巻く世界です。

その中にいながらも組織よりも人情を大切にし、真実とは何かに立ち向かう主人公三上広報官の姿が本作品のメッセージだと思います。

ニュース、報道というものは中立性を追うばかりにどうしても冷淡なものになってしまいがちです。
ただひとつひとつのニュースの裏には人がいて、それぞれの想いが詰まっている。そのひとりの人間としての気持ちを伝えることこそ、ジャーナリズムに求められることではないか。

昨今陰謀論として囁かれている、政治のメディア介入へのアンチテーゼを受け取りました。

豪華な俳優陣

その重厚なストーリーをキュッと締めるのは、豪華な俳優陣の面々。佐藤浩市さんの情熱ある語り。被害者の父親を演じた永瀬正敏さんの表情だけで魅せる演技。ゆるい役もとんがった役も自在に乗りこなす瑛太さん。
脇には、綾野剛さん、榮倉奈々さんとこれでもかと集められています。

ちょっと後編は残念でしたが、全体として久しぶりに見応えのある日本映画だと思いました。

与え合いの恩贈りで巡る世の中になったらいいな。 だれでも好きなこと、ちょっと得意な自分にできることで、だれかのためになれて、それが仕事にもできたら、そんな素敵なことはないですね。 ぼくの活動が少しでも、あなたの人生のエネルギーになれましたらうれしいです。