メディアのスクール化への危惧

人間にとって本当に価値あるものは何なのか。

モノや情報に溢れる飽食の現代、便利さに満たされた人たちは物欲から関係欲へと移り変わっていると感じている。
例えば、CDを買うよりLIVEで生音のやりとりを求める。野菜を買うだけじゃなく農家と一緒に農作業をして収穫して楽しむ。世の中に体験ビジネスが増え始めているのもその流れだ。

そして、所有から共有へと。住居や車、スペースから育児などの仕事まで。でも元々、一人一人が本を買わなくても図書館でみんなで貸借りしながら読めたらエコだよね。(著者に印税は入らないけど…)富の再配分、それが政治の役目だ。

そんな中でメディア(とりわけWebメディア)において、1クリックどうこうという広告モデルではなく、サポーターを集める会員システム、記事の向こうと読者をつなげるかたちの参加型体験イベントなどを重視するようになっている気がする。
それ自体はとても健全な流れだし、世の中に与える影響も大きく素晴らしいことだ。

ただ最近少し危惧していることがある。

メディアの記事を読むのも、そういった体験イベントに参加するのもそれぞれの自己実現欲求が関わっていると思う。紹介されているあの人のようになりたい。それをヒントに自分でも何か始めてみたい。イベントに参加して刺激をもらって自分も成長したい。

繰り返すが、その欲求を喚起できていることは意義あることだ。

みんな誰しも何かを成し遂げたいが、後押しと行動力が足りない。それをつなぐ、補うのがメディアというものであると思う。

ただ、メディアから各々のアクションの間に体験のような“学び”が入ると、そこで自己満足して止まってしまう人を増やしてしまう気がする。

つまりこういうこと、

「メディア→憧れや嫉妬→アクション→自己実現」
に学びが入り込むと、
「メディア→憧れや嫉妬→学びや体験→自己満足」
で止まってしまう。

何度も繰り返すが、自己満足すら得られない世の中でチャンスを与えているという点では意味があるし、それをきっかけに次のアクションにつながることだってたくさんある。

ただなんだかそういったイベントに集まる人たちの中には、単純にその関係性だけを求めてそれだけで満たされて帰ってしまっている人も多くいるのではないかと毎回感じる。

自分もその一人だからなんだろうけど。。一歩を踏み出すってとても勇気がいることだけど、そのハードルを下げその先にある未来に希望を持てる世の中にしたい。

与え合いの恩贈りで巡る世の中になったらいいな。 だれでも好きなこと、ちょっと得意な自分にできることで、だれかのためになれて、それが仕事にもできたら、そんな素敵なことはないですね。 ぼくの活動が少しでも、あなたの人生のエネルギーになれましたらうれしいです。