農業は計画とコミュニケーションのスポーツ

農業は計画のスポーツ


畑の整備を始めて数日が経ちました。農業は計画のスポーツだということをつくづく感じます。天候と時間、道具、ルート、エネルギー(食料・水)をどう組み合わせていくか。例えば、ハサミひとつ忘れただけで、十数メートルを往復しなければならなくなります。人には体力の限界があるので、エネルギー効率と時間効率を考えながら作業しないと、大変なことになります。必要となる可能性のある道具は何か、どの導線で移動するのが良いか。日々こうしたことを考える頭脳戦です。

農業と登山の共通点


そういう意味では、登山ととてもよく似ていると思います。登山も天候を読み、ルートとギア、エネルギーを組み合わせて登頂する計画のスポーツです。ただし、農業の方が圧倒的に複雑だと感じるのは、ひとつは道具と動作の変数が圧倒的に多いこと、もうひとつはコミュニケーションという不確実な要素が絡んでくることです。


農業にコミュニケーションは必須


畑仕事をしていると、言葉がいかに重要かということを身に沁みて感じます。2人以上でやると圧倒的に楽な作業が多いですが、効率的にやるためには、どこで、何を目的に、何を使って、どの手順で、どういう分担でやるかがクリアになっていなければなりません。そのためには、必要最小限の言葉で(なぜなら話すこともエネルギーを使うから!)、誤解のないやりとりが必要です。また、近隣住民との情報交換や、道具の貸し借りの上でも、コミュニケーションはとても重要です。言葉は農耕とともに飛躍的に発展したと、畑仕事を始めて確信しました。


見ることに優れた人に適性がある


あともうひとつ、農業は観察力に優れた人に向いていると思います。ささいな変化に気づくことができる人。目の付け所が良い人。自然の変化にいち早く気づくことで、因果や相関と、対策の分析を行うことができます。そういう意味では、アーティストは向いているような気がします。

私自身はあまり目が良くありません。そのうちセンサーと画像認識の組み合わせで定量的に把握できるようになるかも知れませんが…その日まで頑張りたいと思います。

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