【武学談義】時代劇の衰退はエンタメ要素としての真実味を追求しないからか?

今回は武学といっても一般的に馴染みのある時代劇に関する記事をひとつ。

武学というのは武術に関する身体操作や身体を使った格闘術や武器術などの術技を研究考察する学問、こうやって書くと何やらそれらしく見えるけど簡単に言うと武術・武道・格闘技が趣味の、なんちゃって学問なのだ。^^

武という漢字は矛という象形文字と止めるという象形文字でできているんだけど、ここから紐解けば武は戦いを止めるという意味を表しているのだ。

織田信長が旗印にした「天下布武」も、天下統一の意志が込められていると思うけど、その統一の仕方は武力だけで治めるのではなく、徳をもって治めるという徳治主義だったのではないかという説もあるくらいだ。

武には争いごとを止めるという意味があることを知ると、武学の考察にも面白みが増すというもの。
そこで今回も武学にまつわる話を書くことにする。

という前振りが終わったところで、時代劇を面白く観るための話に移りたいと思う。

面白みを削ぐ時代劇とは?

時代劇というとNHKの大河ドラマやお正月の特別番組を思い浮かべる人が多いと思うけど、時代劇好きの私でさえ最近は観なくなってしまったのが時代劇や歴史物のドラマなのだ。

観なくなった理由を探ってみると、どうも観る側の自分の加齢とともに制作サイドの年代とのずれが要因としてあるんじゃないか、という気がしてきたんだよね。

例えば、演者をとっても主役は若者に人気の俳優・役者さんが務めることが多いし、立ち回りや歩き方、仕草などの挙措動作が何だかなぁ・・・って感じることが多くなってきたのだ。

最近になって思うことは、自分らが若かった頃にも年配の人からするとダメ出しで同じような目で見られていたのかもしれないな、ということだね。

そんなこともあって、最近はもっぱら時代劇や歴史物の読書で満足する生活が多かったのよ。あ、時代劇と歴史物の違いはわかるよね?

念のために言っておくと時代劇は明治維新より前の、江戸時代や戦国時代などの歴史物なんだけど、フィクションとして成立しているものを時代劇と呼んでいるね。チャンバラ映画も同じ意味で時代劇のことなんだよね。

歴史物と言い切る場合は、ノンフィクションやそれに近い史実に基づいた作品を、時代劇ではなく歴史劇、歴史物として区分しているのだ。

小説では時代物と歴史物はけっこうきちんと分別されている気がする。
まぁ、ひとくくりにはできないのがエンターテイメントの世界だけど、ね?

時代劇をどう捉えるかで変わるのかもしれないけど、楽しく観るためにそこに真実味をもたせてくれよ、って思うのよ、おじさんは。

それが現代風の台詞回しで済ましちゃったり、剣術の達人であるはずの侍がぴょこぴょこ歩いたりしたんでは、興ざめも甚だしいのよ、わかる?

年代設定と時代考証の乱れが目立つ?

歴史・時代劇のファンとしては、年代設定と登場人物の整合性がとれているかも気になっちゃうのよ。

実在していた人物をデフォルメしちゃうのは、かまわないわけ。おもしろくなるからね? 現代に比べるとデフォルメしたって勝てないくらい個性的な人物だらけだったのが時代劇に登場する豪傑たちなんだもんね?

でもむりやりこじつけたような配役だと、うん? 何それ?ってなるじゃないの。あと、その時代にはそんな道具は無いってば!というような場面だとか。ま、そんないい加減な場面は滅多にないのだけど。

出てくる刀の拵えや装飾がそぐわなかったり、旗印が違ってたり伝令役の馬廻り衆が母衣(ほろ)を着用していなかったりと、時代考証のいい加減さや乱れが目に余ることがあるのよ。

わかりやすいところでは、刀の差し方で登場人物の背景を語るという工夫が見られなかったりする点も不満かな。

まぁ、娯楽作品だからねって言われると終わっちゃうんだけどさ。
予算はかけなくていいから、せめて真実味を出してよね?とお願いしたいのだ。

演者の役作りに感じる違和感は?

長く生きていると歴史上の人物も自分なりのイメージというものができあがっちゃってるわけで。

そんな自分なりに創り上げた歴史上の人物像というものがあるんだよね?

なのに、イケメンが(イケメンだからダメなわけじゃないけど)似合わないカツラを付けて頑張っているのは評価できるんだけど、着物に着られちゃってる感もろみえの和服姿で演じている時代劇に出くわすと、とたんに萎えちゃうのよねぇ・・・。

やっぱり着物で登場するからには腹にタオルでも詰め込むとかして、腰の据わった姿勢と歩き方にして欲しいわけだよ。

気になるのが侍としての挙措動作

それに何といっても挙措動作が時代劇を感じさせない今風なのが、観ていてつらくなるんだよね。

侍だったら侍らしく、背筋をピンと立てて堂々とした動作で侍・武士になりきって欲しいと思うわけよ。

歩くときも武士は左腰に刀を差しているわけだから、上下動の少ない歩き方でないと着崩れの元にもなるし、すぐに疲れるからやたらとちょこまかしないことだ。

歩き方にも武士と町人の違いがあるし、町人でも商人には商人の歩き方があり、職人には職人の歩き方があったはずなので、演じている職業にふさわしい歩き方を演出家や振付師にはお願いしたいものだ。

江戸時代の中期以降になると武士といっても、そのほとんどは刀を抜いて斬り合うことを経験していない者が多かったということだが、武士のたしなみとして剣術道場に通ったり自主稽古はそれなりになっていたはずだ。

だから斬り合いの演技だけでなく、最低限歩き方や座り方にはこだわった作品にして欲しいのよね?

殺陣の立ち回りに真実味を欠く

また時代劇の醍醐味として斬り合いの戦闘シーンが外せないのだが、刀をあまりにも軽く振りすぎているもんだから、迫力に欠ける斬り合いになってしまうんだよ、とほほだよ。

刀の重さは1㎏前後はあるから、あんなに軽々と小手先だけで振り回すことはできないのだが、なんとも言えないくらいの軽さでビュンビュン振っている場面が多すぎるのだ。

あの軽さでは迫力が伝わってこないのね。そこそこ重いはずの刀を刃筋を立ててシュパッと奔らせるから、軽い刀より速い動きも出ようというものだ。

もちろん、無い物ねだりというのはわかっちゃいるんだよ。時代劇の斬り合いに真実味を求めてしまったら、地味な画面になるのもわかるし、斬り合いも2,3交で勝負がつきそうなもんだから、あっという間に終わるね。

それに剣豪同士の立ち会いでも、居付いてしまった睨み合いとか多すぎる。
せめて、それらしく見えるように殺陣師の指導を厳しくしてもらいたいと思うのよ、どうでもいいことだと、返されそうだけど。

でもね、時代劇をわざわざ制作するのなら整合性のとれた本物の映像を届けてもらいたいのだわ。うん、時代劇ファンというより、剣術ファンとしてのお願いなのね。

時代劇の衰退は真実味が欠けるから?

どうしても時代劇を見るときに期待するのが剣術のシーンなんだよね、斬り合い立ち会いのシーンになると、映像の中に入り込んで斬り合いに参加したりするのだ。^^;

戦のシーンでも同じでね、戦いに参加するわけですよ。面白いよ。そして手強い敵に斬られたりして楽しむわけだ。・・・うん、アホだね。

自分が勝手に想像を膨らましたり夢想したりの時には武将にもなるわけ。そのなったつもりの時は誰に扮するかというと、花の慶次郎こと前田慶次利益がいいね。媚びずに武辺者を通しながら教養にも優れていたからね。

最近はパッとしないけど一昔前には正月特番といえば、宮本武蔵とかの剣豪者も朝から晩まで連続放映されていたもんね。あの頃がなつかしや・・・。

まぁね、こうやってブツクサ言いながらも、時代劇だとついつい観てしまうことが多いのだけど、ね?

あ、そうだ。るろうに剣心はなかなか面白かったぞ!^^;

あれは時代劇というよりアクション映画だったね。
武学談義的な視点でいうと岡田准一のSPものは、アクションが良かった。
実戦に近い形の立ち回りを鮮やかにこなしていたから、見応えがあったね。

それに最近の刑事物は格闘術の専門家が振り付けしているから、そこそこの格闘技を見ているようで面白い。

時代劇ももっと真実味を追求してくれればなぁ・・・。
ここまで迫真の斬り合いじゃなくてもいいけどね。^^


ってことで 今回のテーマ
「【武学談義】時代劇の衰退はエンタメ要素としての真実味を追求しないからか?」という武学とも言えないぼやき話。


では!

今日も のほほんと。

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