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思い込みの強い人に限って自分はそうじゃないと思い込む傾向があるかもです。

思い込みの強い人っていうのは、裏を返せば信じやすい人ということでもあるんだろうけど、思い込んだら猪突猛進というタイプはちょいと厄介です。

年をとるにつれて頑固になるっていうけど、頭が堅くなって柔軟な発想ができなくなってくるんだろうから、これは仕方がないことだと思うけど、できるだけ頭を柔らかくして柔軟な発想ができるに越したことはないですよね。

それが簡単にできれば問題はないけど、なかなかねぇ・・・。
そうは上手く問屋が卸さないんですよ、おまえさん。 

・・・ん?
なんだいバアサン、何か言ったかい?

周りにいる人で思い込みの強い人を頭に思い浮かべると・・・そんな人に限って、自分は物わかりが良くて柔軟な対応ができると、しっかり思い込んでいたり、そこまではないにしろ人並みだと自覚している人だらけ・・・ですよ。

そりゃあねぇ、何と言っても思い込みが激しいわけだから、そういう都合の良い自分を思い描いて、人様から見たら物わかりの良い思慮分別のある良識人だと、まぁそんな根拠のない自信と自覚に満ちあふれていたりして・・・。

ほら、笑いをこらえて読んでいる、あなた!

だいじょうぶですか?

まぁね、noteのユーザーさんで、おまけにこの記事を読んでくださるお人であれば、そんなことは心配無用でしょうが、今後のことを考えて最後まで読んでくださいね。(^_^)b

人を見かけで判断しないということは、よく言われることだけど、思い込みの激しい人ってこれをやらかすことが多いのですよね。

第一印象や、何かのきっかけで抱いたその人の印象を、後生大事に抱え込む人が多いようですよ。

誤解が解けたような感触はあっても、腹の底では半信半疑のままっていうパターンですね。

こんな思い込みの強い人がやらかしそうなことに、リハビリのために散歩中のお年寄りを見かけて、本人が辞退するのにかまわずむりやり車に押し込んで自宅まで連れ帰ってあげるという・・・ありがた迷惑行為。

せっかくリハビしようと散歩に出かけたのに、家まで連れ戻されるという余計なことをされた上に恩着せがましく、助かったでしょ?なんて、良いことしたなぁ~って顔で帰って行くわけですよ。(^_^;)

せっかくの好意を無碍にするのも悪いと思って、ついついありがとねぇ~なんてお礼を言いいながらも、心の中じゃブツクサ文句を言いつつ、もういなくなったかねって確認してから、また出かけるハメになるわけですよ。

これなんかね、笑い話のようだけど実際にあることなんですよ、田舎じゃ。元気な人でも車で送ってあげたら、散歩や運動の途中で邪魔をしてしまうことだってあるんだから、気をつけないとね。(^_^)b

それと、早く歩けずゆっくりとしか歩けない人を見て、可哀想だと思い込むような早合点をしてはいけないですよね。

もしかしたらその人は、寝たきり状態から軌跡の復活を遂げて、ゆっくりながらも歩けるようになった人かも知れないのだから、ぱっと見だけで思い込んだら真実には辿り着けない・・・ってことですよ、大袈裟だけど、ね。

そう考えると、自分の価値観や人生観で勝手に決めつけてしまうことの危うさや、自分の思い込みで自分の世界を閉じてしまうといった偏狭さにも用心しなければならないと思うんですよ。

もっというなら、人も花や木や動物たちと同じように、みんなそれぞれ個体差があるのですよね。

それぞれが環境に合わせて適応してきたわけだから、外見は同じように見えてもひとつとして同じ個体は存在しないわけで、ただ似ているだけでその似ている程度が、どのくらい重なっているかというだけのことなんですよ。

思い込みの激しい人もそこそこの人も、自分のことをまったく理解していないんだということを、自覚しておくべきかも知れません。

分かっているようでも、案外分かっていないのが自分のことですからね。
自分のことすら分かっていないのに、他人のことが分かるはずが無いという前提が必要だと思うけど、つい思い込んじゃうんですよ、分かるって。

もちろんパートナーや家族にしたって同じことですね。
きっと分かっているはずとか、分かってもらえているはずとか、そんな思い込みがたくさんの悲劇を生んで来たのかも知れないです。

小難しいことを言う人に言わせると「同じように見えても、同じ場所に同じ時間は存在しないのだ、時間は過ぎ去ってしまうから」だとさ。

人だって同じように見えても、今目の前に存在しているその人は数秒前の人では無いと考えたほうがいいということですよね。(^_^)b

人が心の中で思うことは、誰にも知り得ないのだから 数秒前と今その瞬間の心すらも同じでは無いということですかね。

思い込みの激しい人の改善法は、思い込むことも良いほうに思い込むなら問題はないので、良いほうにだけ思い込むようにするとか・・・難しいだろうなぁ。

思い込む前に、あるがままに感じ取ることの大切さに気がつくことかもね。そこに余計な情報を加味すれば、加味した情報に左右されてあるがままに感じ取ることはできなくなるかも知れないから、良い情報だけ仕入れる、と。

そうは言ってもね、むずかしいのよこれが。
年とってくると尚更むずかしい。

子どものように純粋無垢な心で向き合うことは、なまじ人生経験を積んできた分だけ難しいのですよ、いろんな邪念が入るからね。

邪念を取っ払って、あるがままを素直に受入れたら、思い込みの激しさも薄れて素直に謝ったり、感謝したりができるんだけどね。

でもまわりを見渡すと、子どもの素直さを超えて、駄々っ子みたいなへそ曲がりになっちゃうお年寄りが、何と多いことか。

当たり前の幸せって、目の前に転がっているんだろうけど、それを拾わずにわざわざ遠くの難儀なところまで見つけにいくという、不思議さ。

幸せを見つけるのに時間をかけすぎて、幸せを味わう時間を失ってしまうという本末転倒なケースが多すぎる気がする。

思い込みをいったん捨てて、物事を、人を、素直にあるがまま受入れてみたら幸せも舞い込んでくるかも知れませんね。(^_^)b

思い込みは頑固さにつながり、頑固さは頑迷さを助長して、せっかくのハッピーチャンスを失うことになる、のだ。

信じ込みは自信につながり、自信は確信に変わり、問題解決のチャンスを掴むことになる、のです。

頭を柔軟にしてこれからnoteを楽しむのなら。


ってことで、今回は
思い込みの強い人に限って自分はそうじゃないと思い込む傾向があるかもです。


では!

しあわせは  頑固さすてて  のほほんと

この記事をわざわざ読んでいただいたご縁に感謝します! これからもクリエーター活動にがんばります!サポートを心の支えとクリエーター活動に活かしますので、よろしかったら応援よろしくお願いします。