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語ることに真実味や信頼感を抱かせるのは接触頻度なのか、それとも何か?

今回は接触頻度の話なんだけど、コロナ渦中の外出で新しいマナーとして定着してきた、ソーシャルディスタンスの話をしようってわけじゃないのよね実は。

語る言葉や書いてある言葉に真実味や信頼感を抱かせるのは、接触頻度なのか、それとも別の要因があるのか、そんなことをテーマにしてみた。

あの人の言ってることって口先だけだよね!とか、なんとなくあの人って信用できなさそうだよね?

なんていう評判の人物が、あなたの周りにもいるんじゃないですか?

・・・・・・え?

実は、ボクがそうなのよって・・・・・・?

もしそうなら、ただちに何とかしなくちゃならんですよ。(´д`)
そんな評判なんて、取っ払っとかないと後で泣きを見る羽目になりますよ。

そんな評判の悪い人に対して、あの人の言うことって筋が通っているよね?とか、あの人が言うんだから間違いないと思う、なんてうらやましい評判の人も中にはいますよ、少ないけど、ね?

そこで、そんな人物評価の差はどこからきてるんかい?ってことをツラツラ考えてみたのよ・・・・・・ってウソでした。
これから考えてみるところ、でしたのさ、実を言うと。^^;

で、まぁ人の評判もだけど、どうみても信用できない人っているけど、その理由は何かとあれこれ思いを巡らすとですね、やっぱり表情や語り口、人と接するときの態度・挙措動作に加えて、語っているその内容と表現力に起因するのじゃないかと推測したんですが・・・。

・・・・・・。

お前のことじゃないか!
って言うのは、やめてね? お願いだから。

書く気も失せるし・・・泣きたくなるし。(/_;)

なので、世間に目を向けるとですね、いるんですよ。(^_^)b
たとえばだけど、挨拶が大事だよって人には諭すくせに、言ってるご本人が無愛想で挨拶もろくにしないような大人とか、ね。前にも記事にしたけど。

人のこと言う前に自分のことを何とかしろ!って言いたいよね、こんな人には。挨拶って基本中の基本だから、忘れちゃいけないことですよね。

あと、信用できそうにないのが「聴衆をたちまち引き込んであっという間に感動させるスピーチ講座」の講師のスピーチが、鬼ほどつまらなかったとか

お任せください、ものすごくキレイにしてあげますよ!」と言ってる美容整形外科医の顔が、まるで福笑いパーツ状態だったとか・・・。

ほかにもですけど「初心者でもスマートな泳法がマスターできるスイミングレッスン」のスイミングコーチが泳いでみせるお手本が、バチャバチャ水しぶき上げまくりのギッコンバッタン泳ぎだったとしたら、どうです?

もっと言うと「健康にんにく卵黄製造本舗」の社長や会長が、ふらふらよろよろ病弱で、入退院を頻繁に繰り返していたとしたら、どうです?

ついでに言うと「にこやかに自然な笑顔で接客しなさい!」と指導している店長が、ガチガチの引きつり気味の作り笑顔で接客していたら、どうです?

とどめですけど・・・・・・って、まだ続くんかい!(/_・)/

コピーライティングは鬼ほど重要なのよ!」と訴えているコピーライティング教材の文章力が、ボキャブラリ不足の何だかなぁ・・・・・・状態のライティングだったら、どうです?

終わっちゃってると思いませんか?

そうなんですよねぇ、ここまで列記した例えですけど、あり得ない話じゃないんですよ、実は。

お笑いのネタやコントになりそうですけど、ご本人は大真面目でやらかしちゃっている人って、けっこういると思いませんか?

で、どうすればいいのかと言うと、表面だけを取り繕ったりキレイゴトを並べてさぁどうだ!っていうやり方を変えれば良いだけのこと。

表面だけを取り繕うくらいなら、内面までさらけ出すほうがマシというもので、さらけ出す手順やタイミングを工夫すれば、さらけ出すほうが信頼を得られやすいと思うのよね。

そして大事なポイントになるんだけど、さらけ出すということを前提にしていると、常日頃からさらけ出した後のことまで意識することができるようになるのよね。

このさらけ出した後のことを意識することで、無意識でも自分の望ましい姿に合わせようとすることから、さらけ出す覚悟が大きな人格調律装置の役割を果たしてくれるというわけなのよ。

ただ、このことは学界で発表されたどれかの論文や、レポートから引用してきたというような、行動心理学の理論や検証結果なんかじゃないのよね、残念だけど。

あくまでも私(やらぽん)の知見に基づく個人的な見解なんだけど、ね。
なので学問的な見地からあ~だこ~だ言われても、当方としてはお応えいたしかねますので、よろしくね。^^

で、ですね、タイトルで提議した「語ることに真実味や信頼感を抱かせるのは接触頻度なのか、それとも何か?」ということですが、結論で言えば接触頻度が高ければ高いほど共感してもらいやすいのは確か。

ですが、真実味や信頼感をとなると、接触頻度だけじゃムリだと思うわけですよ、語る人の中身が問題なんだと思うわけですね。

いい加減な印象や不信感を持っていたら、接触頻度は逆に振れてしまうのでとことん嘘っぽくなったり、不信感極まれりの信用できないヤツ、というレッテル貼られちゃいますよ・・・・・レッテルって古い言い方だけど・・・。(´д`)


ということで
語ることに真実味を持たせたり信頼感を抱かせたりするには、語る人物に対する評価のベクトルがプラスに向いているか、マイナスに向いているかでその結果は異なってくる
ということです。

評価のベクトルがプラスかマイナスかで、接触頻度の効能は真逆の結果を生んでしまうということですね。

だから、内面が大事本質的な部分が大事、さらけ出してもかまわない正直な自分が大事、ということですよ。^^

これっていつもnoteを書くときの心得みたいな感じで、しょっちゅう書いていることなんですけどね。

そもそも、語ることに真実味を持たせるとか、信頼感を抱かせるとかの作為的なアクション自体が不要なのだと、思い知る必要がありそうですよね。

語る言葉も、書き綴る言葉も、聞き手や読み手に不快感を与えたり、無用の負担を感じさせないための最低限の修飾はあり得ても、事実を装った虚飾には留意するべきかも、ということですかね?

もちろんnoteのように、作品としての虚構がOKなのは言うまでもなく当然のことですけど。

それにいくらさらけ出すと言っても、ご本人を目の前にして、大っ嫌いなんて言っちゃぁダメですよ! 相手によっては大変なことになるかもです、ゾクゾクされるっていう、SM問答のような世界に・・・・・・。(゚_゚;)

ってことで 今回のテーマは
語ることに真実味や信頼感を抱かせるのは接触頻度なのか、それとも何か?」という、接触頻度の効能についての話でした。


では!

さらけだすのも のほほんと。

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