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コロナ渦不染日記 #101

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二月十三日(土)

 ○平日は在宅勤務あり、祝日ありと、五日連続で現場仕事ではなかったから、余裕があるといえば余裕があったのだが、疲れないというわけではなかった。そこへきての週末であるから、朝は、いつもよりぐずぐずしてしまった。

 ○昼すぎに出かけて、いつものどうぶつ美容院で毛刈りをする。いつもお願いしている美容師さんに、「最後に来たのは去年末でしたよね」と言われる。一月半も来ていなかったのかと愕然とした。

 ○嵩峰龍二『雷の娘シェクティ(1) 天雷の剣』を読む。

 一九八九年に刊行された、本邦でもめずらしい規模と緻密さのエピック・ファンタジーである。数年前、ふと思いたって、全巻購入していたのだが、なかなか手に取る機会がなく、積んでいるままだったのだ。
 ミシュレ『魔女』同様、いよいよそのときがきた、というわけだ。

 ○帰り道、Twitterを眺めていたら、久井諒子『ダンジョン飯』十巻が出ていると知り、本屋に寄って巣穴に帰った。

 この巻には、二ページ見開きで描かれるシーンがふたつあるのだが、そのうちひとつでは、このシリーズがモデルにしているファンタジーRPGにおける「ある種のクライマックス」が描かれる。ということは、もうひとつのシーンもまた、「ある種のクライマックス」なのであろう。物語は、もはや後戻りできない境界を越えてしまうのである。

 ○読み終わり、お茶でも淹れようかと布団から出ようとしたところで、背中に違和感を感じた。
 おや、と思っていると、相棒の下品ラビットが「揺れてるな」とつぶやく。果たして、違和感の正体であるところの揺れは、しだいに大きくなってゆき、ついには巣穴ぜんたいがゆさゆさと揺れはじめた。
 ぼくたちの寝ている部屋は本棚に囲まれていて、もしぼくたちが地震で死ぬなら、中島敦「文字禍」のごとしと思っている。布団に横になったまま、本棚のうえに置くしかなかった、文庫本だの、箱入り単行本だのを、じっと見つめていた。
 果たして、十分もそうしていただろうか。ようやく揺れがおさまって、スマホを見ると、イナバさんと、妹うさぎからLINEの通知が来ていた。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一三五九人(前週比-九二一人)。
 そのうち、東京は、三六九人(前週比-二七〇人)。

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二月十四日(日)

 ○マンガ配信サイト「スキマ」にて、新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』オリジナル版が、今月二十八日まで、無料で読み放題と知り、読んでみることにする。

「巨大なヒグマ」と思われる怪物と、見境なく人を殺す連続殺人鬼二人組と、それぞれの殺戮行を描きながら、そうした「事態」に翻弄される人間の姿を描くのが、このシリーズの眼目であろう。そういう点では、読む人間(知性存在)の「読み方」が試されている作品ともいえよう。目を覆うような残虐な展開に、ほんとうに目を覆ってしまえば、このマンガを読み続けることができない。そのことにどのような意味があるのか、ということそのものを突きつけるところが、新井氏の目的である。とてもカロリーの必要なマンガである。

 ○昼食をとりながら、この記事を読んだ。

 この記事でインタビューを受けている、近現代史研究者の「辻田真佐憲」氏については、TBSのラジオ番組『アフター6ジャンクション』での出演をなん度か聴いていた。そこで話されていた「戦前の空気感」は、頭のなかで現代のそれと照応すると、人間と人間社会のこころの普遍性が浮き彫りになってくるものであったが、そうしたぼくの考えが、辻田氏の意図したものであろうという印象が、今回の記事を読んで強まってきた。

[前略]辻田さんは「冷静でいるために、歴史を参照するべき」と語る。

「法律や憲法を変えるような、われわれの権利や自由に関わる議論をするときは、冷めた態度をどこかで持つことが大切だと思っています。沸騰した議論を冷静にするために、効果を発揮するが過去の非常時の『失敗』なのです。現代日本社会のおける最大の失敗は、やはり戦争ですよね」

「一方で、戦争から教訓を学ぶというパターンに、『昔の話でしょ』と感じてしまう人が多くなっているのも事実です。政権批判のたびに『戦前』が用いられすぎたことも関係しているでしょう。政治の側だけではなく、自分たちの内側にある『戦前』の要素にも自覚的になるように、言葉の使い方や、歴史を伝えるアプローチを変えるべきなのかもしれません」

「このような非常事態は、何十年に一度しか訪れません。社会は進歩したところもある一方で、やはりパニック状態における振る舞いは変わらない。歴史を知っていれば、政治も、私たちも、同じことをやっているなと冷静になれるはずだと思っています。いまのコロナ禍が、後世に『失敗』として参照されないためにも、まず自分のなかにある『戦前』を見つめて見ると良いのかもしれません」

――BuzzFeed「「もし、東京五輪が中止になったら…」研究者が“警戒”すること」より。
太字強調は引用者)

 このように語る辻田氏にインタビューし、記事が書かれたのには、今月四日に成立した、新型コロナウィルス特別措置法と感染症法の改正案が、昨日から施行されていることが背景にある。都道府県の知事から、飲食店などの事業者に対して、営業自粛の「命令」ができるようになり、これに従わない場合、過料をともなう罰則を課すことができるようになったのである。

改正特措法などのポイント
●緊急事態前の「まん延防止等重点措置」を創設
●時短要請などに応じた事業者支援を義務化
●宿泊・自宅療養を法定化
●臨時医療施設が緊急事態前から開設可能に
●罰則(行政罰)を新設
・時短、休業命令を拒否
(緊急事態宣言時)→過料30万円以下
(まん延防止等重点措置時)→同20万円以下
・入院勧告を拒否 →同50万円以下
・疫学調査への協力拒否 →同30万円以下

――公明党ニュース「コロナ特措法が成立」より。

 辻田氏は、このことが問題なのは、罰則に過料がともなうからだけではなく、日本人社会が持つ同調圧力が、政府からの法的な圧力によって強力になる可能性があるからだという。

今回の法改正は、第3波における緊急事態宣言下という、やはり特殊な「空気」のなかで議論が進んだ。懲役刑などの刑事罰の制定は回避されたとはいえ、罰則付きの法改正がされたことには変わりがない。

「本来であれば、冷静なときに議論をすべきだったのに、なぜそれをしなかったのか。この法改正では、さらなる感染拡大が起きた場合、営業している店舗の通報合戦や脅迫など、より激しい同調圧力を目覚めさせてしまう恐れもあると思います」

「また、日本は先進国のなかでも強制力を持たずに感染者を比較的抑えられてきている。第3波も減少傾向に入っています。それにもかかわらず、ここで自由を捨ててしまうのであれば、次の感染拡大では際限なく私権制限が広がり、歯止めが効かなくなってしまうという怖さもある」

このように語る辻田さんが特に警戒するのは、東京五輪が中止になった場合だという。

「いまの自民党政府は、その憲法改正草案からもわかる通り、国民に権利よりも義務を科したいと考えている。五輪があるからそのような強権的な姿勢は出していなかったわけですが、中止になれば、ロックダウンができないのならできるように憲法改正をしよう、という流れになりかねないと思っています」

――――BuzzFeed「「もし、東京五輪が中止になったら…」研究者が“警戒”すること」より。
太字強調は引用者)

 感染状況と、医療体制の逼迫が解消されないこの期におよんで、東京オリンピックを開催しようなどというのはナンセンスだと考えるものの、オリンピックがフイになってしまった場合に、同調圧力が強化される可能性があるとなれば、そちらはそちらで考えものである。

 ○ぼくは同調圧力がきらいである。責任感のない「集団」の力に染まるのは、まっぴらごめんである。そういう意思をこめて、この日記に「不染日記」と名付けたくらいだから、オリンピック開催を声高に叫ぶことはしたくない。
 だが、オリンピック開催がフイになることによって、戦前のような相互監視社会が復活するのも、いやなものだ。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一三六二人(前週比-二六八人)。
 そのうち、東京は、三七一人(前週比-五八人)。



→「#102 避けられない限界のなかで」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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