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コロナ渦不染日記 #118

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四月五日(月)

 ○今朝の体温は、三六・一度。

 ○ぼくが、いまの仕事に就いてから、ちょうど一年が経ったところである。そういう意味でも、この一年間は暗中模索であった。しかし、その第一次大戦の塹壕戦めいた日々のうちに、多少なりとも現場慣れして、なにより脱落せずにここまでやってきたからには、ぼくもいっぱしの古参兵となりおおせたものと思われたか、ここからしばらくは新人のサポートを行うことになり、きょうはその一日目、新人のカエルさんの現場に同行した。

 ○カエルさんは、人間の年齢でいえば、ぼくより年上であるが、そうしたことを感じさせない、オープンで気さくな方である。料理とお菓子づくりが趣味であるし、喫煙者であるというのも、ぼくたちとおなじなので、休憩時間などにも話がはずむ。
 もちろん、気さくないいひとであることと、業務の成果は、相互に影響することもあるとはいえ、基本的には別のものとして考えるべきだ。まして、カエルさんは新人であるからには、準備にも、進行にも、不慣れなところがあるのはいたしかたない。そこをサポートするために、きょうはぼくが同行している。映画『兵隊やくざ』でいえば、カエルさんが勝新で、ぼくが田村高廣という配置だ。
 それにしても、現場経験のとぼしい新人に、いきなり現場をまかせるなど、会社はなにを考えているのかしら。学徒出陣というでもないだろうが、ぼくら現場の見えないところで、ある種の末期的な状況が進行しているのかもしれない。新年度というものは、どこでもばたつくものであるが、なるべく余裕を持っていたい。そうでなければ、よく言われるように、「こころ()をくし」てしまうことになろう。

 ○同行を終え、帰途の車両で、きょう起こったことをつらつらとふり返ってみるに、我ながら、新人の心理に寄り添って、業務のつまづきも切り分けサポートができたものだ。これは、約一年前に、クマ先輩にしていただいたことの再現である。あのとき、右も左もわからぬまま、突撃銃を手に震えていたぼくを、クマ先輩が手助けしてくれたからこそ、新人を手助けするにあたって、どうやったらいいかを考えることができ、きょう、再現することができた。

 ○未来への恩返しとでも言えばいいか。ほかにいい言い回しはあるまいかと悩むところだが、ともかく、文明というのは、社会というのは、生活というのは、世界というのは、こうして受け継がれてきたものに相違あるまい。
 誰もが、誰かからもらったものを、別の誰かにあげることで、「この世」をつないでいるのだ。
 誰もが、誰かにあげたものを、手元に戻すことなく生きていき、死んでいくのだ。
 誰かとともに、この世界に生きるとは、そういうことなのだ。

 ○クマ先輩は、いまはもう職を辞して、別の仕事についておられる。だが、あのときの恩を思えばこそ、ぼくにとってはいまでもありがたい先輩のひとりである。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一五七三人(前週比+二二八人)。
 そのうち、東京は、二四九人(前週比+一五人)。

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四月六日(火)

 ○年度が改まって、初の在宅勤務の日である。現場に行く必要がないので、朝の移動時間分を、たっぷり布団で過ごす。
 今日の体温は、三六・二度。

 ○在宅勤務は書類仕事がメインであるから、最終的に結果が出せればよい。そういう意識があるから、在宅勤務のスタートは遅い。なんとなく朝のニュースを流し、ゆっくりとコーヒーをすすりながら、居間のテーブルに貸与PCを開いて、連絡チェックからはじめる。
 巣穴の洗面所からは、相棒の下品ラビットが稼働させた、洗濯機のひくいうなり音が聞こえてくる。ぼくが働きに出ているあいだ、彼は炊事、洗濯、掃除など、家事をおこない、あとは映画を見たり、本を読んだりしてすごしているのだ。「昼飯はおれが作ってやるよ」と言ってくれた。

 ○十二時で、午前中の業務は終了となる。宣言どおり、昼食は下品ラビットが作ってくれた。スーパーの半額お惣菜を中心にした、ミックスフライ定食であるから、彼がやったのはネギと油揚げで味噌汁を作ることと、冷やご飯をあたためただけだが、それでも、誰かに用意してもらう食事は、それだけでうまいものである

 ○一日の勤務を終えて、満を持して松平龍輝『発情期ブルマ検査』を読む。

 かつて、第六回トンデモ本大賞を受賞したこの作品は、十代前半の少年少女の交歓を描いた点でも目を引くが、刊行当時の一九九七年前後に流行っていた特撮映画やアニメの話題、コスプレイベントなど、オタク的なガジェットを盛りこみ、さらにはそのなかでも『新世紀エヴァンゲリオン』を重要なモチーフとして扱い、思春期の青少年の成長の物語にしたてあげているところが特筆に値する。たんなる飛び道具ではなく、「アニメを見て、物語に自分を重ね、客観視することで、自分の人生に向きあおうと決意する」若者の姿を、かなり真面目に描いているのだ。その結果、希望に満ちた、さわやかな読後感になっている。今回、久しぶりに田舎から持ってきて、さっと目を通してみたが、クライマックスに感じるエモーションは変わらなかった。
 作者の松平龍輝氏は、他にも、制服描写が元ネタのアニメに準拠していたり、ご自身の手によるらしいテーマソングの英訳を載せて、『美少女戦士セーラームーン』へのオマージュを捧げた『セーラー服下半身[ヴァージン]解剖』、タイトルがそのまんまな『女教師[ティーチャー]みずほ 魔の絶頂授業』、平野耕太『HELSING』の名物キャラ「少佐」のセリフのパロディからはじまる、『R.O.D.』の読子・リードマンや西川魯介『屈折リーベ』などの、アニメやマンガのいわゆる「メガネっ娘」キャラをパロディした『メガネっ娘陵辱大戦』など、ニッチな需要を狙ったのか、それとも作者の私的なたのしみなのか、にわかには判断のつきかねる題材の作品を多く発表している。そのなかでもっとも異色で、もっとも丁寧な作品が『発情期ブルマ検査』であると言えよう。

 ○夜は、下品ラビットが作ってくれた、百点満点ラーメンを食べる。ついでに、ベルギービール「ヴェデット」を開けた。

 明日からはまた現場に出ることになる。そして、明日でこの日記もひとまず終わりということになる。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二六六八人(前週比+五七八人)。
 そのうち、東京は、三九九人(前週比+三五人)。



→「#119 あの日



引用・参考文献




イラスト
「ダ鳥獣ギ画」(https://chojugiga.com/

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