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コロナ渦不染日記 #117

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四月三日(土)

 ○休日なので、のんびりと過ごすことにする。洗濯をし、相棒の下品ラビットが作ってくれた昼食を食べて、本を読んだ。

 ○平田弘史『平田弘史のお父さん物語』を読む。

 平田弘史氏の作品を読めば、氏が真面目な方であることはすぐに理解できる。あれだけリアルで精緻な絵を描ける人が、真面目でないはずはない。そうした氏の真面目さが、氏がじしんと家族の生活を、そして「人の生き方」を見つめたときに、必然的に生まれるのが哲学である。
 これこそが本作のキモである。そもそも、哲学とは、世界と向きあったときに、じしんのうちに生じるものである。対象と真面目に向きあうときに、生まれるものこそ、哲学なのだ。『お父さん物語』が、当初こそ身辺雑記的なエッセイであったが、次第に「有限で無常な宇宙に生きる人のあり方」について展開していくのは、だから平田氏の真面目のなせるわざである。
 そして、真面目さは、笑いを生む。真面目であることじたいが笑いの対象になるし、そうした自分を客観的に見つめる真面目な姿勢は、笑うしかないなら笑った方がいいというポジティブな哲学を導くのだ。ゆえに、『お父さん物語』は、平田氏の他作品とおなじく、ユーモアと笑いに満ちている。

 ○公開するために日記を編集していると、あれからいよいよ一年が経とうかとしていることに気づいて、不思議な気持ちになる。世のなかは変わっていっているが、案の定、すこしもよくはなっていない。感染症は収束の兆しを見せず、「世間」のおろかさばかりが目に入る。だが、これこそ笑うしかない状況であるからには、せめてユーモアと笑いをもって対峙したい。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二七七五人(前週比+七〇六人)。
 そのうち、東京は、四四六人(前週比+一六人)。


四月四日(日)

 ○森田崇『813 怪盗ルパン伝アバンチュリエ(上)』を読む。

 このシリーズは、当初からしっかりとしたコンセプトが貫かれていて、それが読んでいて痛快だった。いわく、「現代にも色あせない『怪盗ルパン』の魅力を伝える」「初登場の青年期から、変化、成長していくルパンを大河物語的にとらえる」といったようなことであったが、もちろん、それを有言実行、誰が読んでもそのとおりと思えるかたちで現しているところに痛快さがあった。「およそ荒唐無稽なことをやってのけ、その背後に知性のきらめきと遊戯の痛快さがある」怪盗紳士アルセーヌ・ルパンとおなじことをやっているのである。
 ぼくは、けしてルパンシリーズのいい読者ではなく、原作も第一作である短編集『怪盗紳士ルパン』を読んだほかには、ポプラ社の子供むけリライト版『奇巌城』と、山田風太郎の手によるパスティーシュにふれたていどであるが、ルパンの魅力はじゅうぶんに理解している(彼の魅力を理解したければ、極論、シリーズ第一作「アルセーヌ・ルパンの逮捕」を読むだけでいい)。そのうえで、森田崇氏は、マンガ界のアルセーヌ・ルパンといって差し支えないと考える。そんな氏が、そしてこのシリーズが、二〇一六年に満を辞して発表し、原作シリーズでも屈指の知名度をほこる『奇巌城』編でいったん終了してから約二年、二〇一八年についに電子書籍版としてふたたび世に戻ってきたのが、この『813』であるが、さらにそこから三年を経て、ようやく物理単行本として刊行されたことは、「アルセーヌ・ルパンの脱獄」めいて、森田氏の用意周到にして大胆な手際のなせるわざと言えよう。
 もちろん、その内容は「待ってました」のひとことに尽きる。もともと、原作からしてすこぶるおもしろいのであるから、なにも疑うところはないのだが、約五年の「途絶期間」のあいだにも、森田氏の腕は、おとろえるどころか、ますます「マンガがうまく」なっていると感じる。読み終えるのがもったいないほどだった。

 ○曇り空の下、岬に出かけて、買い物をした。都会はそれなりの人出で、この災禍の新規感染者が増加中であるというのに、緊張感はあまりない。むしろ弛緩している。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二四六九人(前週比+六八二人)。
 そのうち、東京は、三三五人(前週比+四二人)。

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→「#118 未来への恩返し」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣ギ画」(https://chojugiga.com/


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