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コロナ渦不染日記 #103

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二月二十日(土)

 ○JAXAが十三年ぶりに宇宙飛行士を募集するにあたって、応募条件の緩和を検討するという。いちばんおおきな変更点は、理系の大卒に限っていた募集を、文系の大学や大学院、短大、高専、専門学校卒業者にも対象をひろげるところにある。理系の知識があることは、宇宙飛行士の条件のひとつであろうが、そこだけに限定することで、かえって多様性を減ずることになる、と考えたものだという。
 山田芳裕『度胸星』が、現実のものになる日も近いかもしれない。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一二三四人(前週比-一二五人)。
 そのうち、東京は、三二七人(前週比-四二人)。

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二月二十一日(日)

 ○新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』オリジナル版の全編を読み終わった。

 途中、宮沢賢治「なめとこ山の熊」を引用する箇所があるが、全体を読みとおすと、むしろ全体のモチーフは「よだかの星」であろうと考える。

 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋[ぴき]の甲虫[かぶとむし]が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)

――宮沢賢治「よだかの星」より。
太字強調は引用者)

 生きるということは、他のいのちを奪うということである。それは、他者のいのちをとり込んで、自分の一部とすることであるが、と同時に、他者のなかにある、自分のそれとおなじものを奪うことでもある。自分のいのちを長らえたいために、他者のいのちを奪うのだが、しかし、自分のいのちを長らえたいならば、他者もまたそうである、と考えるとき、知性ある生物は、その矛盾に胸を痛めてしまう。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』は、その矛盾について、考える物語であった、と、ぼくは読んだ。そして、それは、宮沢賢治が追求したテーマでもある。「よだかの星」は、そのなかでも随一のものである。

[前略]よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居[お]りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 
すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。


――宮沢賢治「よだかの星」より。

 このラストを思い出すと、『ザ・ワールド・イズ・マイン』のラストが、なぜああなったのかがはっきりする。他者のなかでしか生きられないものが、他者を基準にしたとき、否定しても否定しきれない自己の醜さと向き合うことで、自己を肯定し、翻って、そうした「自己」の集合としての他者、そして世界を肯定するのである。ちょうど、よだかが星となったように、たくさんの「よだか」が、空に輝くことを知るのだ。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一〇三〇人(前週比-三三二人)。
 そのうち、東京は、二七二人(前週比-九九人)。



→「#104 進めるだけどこまでも進んでいく」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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