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コロナ渦不染日記 #2

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四月八日(水)

 ○仕事行く。ことしの三月から新しい仕事になったのだが、きょうはその現場研修の最終日である。明日からは独りだちで、いよいよ先輩の同行なしに現場におもむくことになるのだが、しかし、来週からは基本的に在宅勤務となる予定であるから、当面はあすが最初で最後の現場になるのである。苦笑せざるを得ない。

 ○どこぞの動物園では、客が少なくなったことで、パンダが交尾を始めたという。やはり、世に人間が多すぎるし、人間はどこでもかしこでも我がもの顔が過ぎるのである。

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四月九日(木)

 ○仕事行く。独りだちはつつがなく終わる。

 ○wowowで始まった伝奇ドラマ『長安二十四時』を見る。


四月十日(金)

 ○大林宣彦氏亡くなる。
 ぼくはさしてよい大林映画ファンではないので、喪失感を抱えるほどの感慨は持たないが、『青春デンデケデケデケ』は何度も見るくらい好きだった。

 なにかをしたいが、なにをどうしていいのかわからぬ少年だったころ、あの映画を見て、なにかをどうにかしなければならんのだなあと思ったものだ。氏が監督したから生み出された部分に感動したわけではないように思っていたが、結局いままで原作は読んでいないのだから、やはり氏の作りだされた映像や言葉——「映画という時間」に感動したのだろう。
 あと、『時をかける少女』。

 ぼくにとっての『時かけ』は一九九四年のテレビドラマであり、芳山和子は内田有紀氏であるが、大林版を見るとやはり、原田知世氏のみずみずしさにはっとさせられる。

 ○自宅勤務。
 ぼくの仕事は穴居のメンテナンスである。すでにある穴に入りこんで、おもにインフラのメンテナンスをするのである。もちろん穴居には住人がおり、ぼくの勤めている会社が対象としているのは、なかでも巨大な、公共施設のひとつであるから、当然この災禍のおいては開店休業であるが、そうなるとぼくらの仕事はどうなるのだろうか。それは会社の先輩諸氏においても不明の事態であるから、新米のぼくに判断のつくことではない。今日は研修の続きのようなもので終わった。

 ○明日は休みなので、ワインを飲む。

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四月十一日(土)

 ○ラヴクラフト「The Quest of Iranon」の翻訳を再開する。三月にはじめて、五月中には終わる予定だったが、新しい仕事を中心にした生活のために思うように再開できなかったのである。今日は一段落だけだが進んだ。

 ○妹うさぎがやってくる。結婚して家を出ていたのが、夫をともなって、ひさびさの帰省である。この災禍の影響で、先月末から派遣先の南米より帰国している母うさぎをあわせ、四人で夕食をとった。妹は母の料理をおおいに褒め、夫に勧めていた。ほほえましいことである。

 ○夜、友人と通話。かなり長く話し込んだ。

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四月十二日(日)

 ○母うさぎの携帯電話が古い機種で、来年あたりには回線電波帯が使えなくなるというので、代替品を手に入れるべく通信会社の支店にゆく。
 支店はもよりの駅前にあり、おなじならびには、ぼくが取りあげられた産婦人科の穴居がいまでもある。あれから四十年がたった。並木の桜は変わらず咲いているが、ぼくが生まれた年は大雪で、父うさぎは積もった雪に点々と足跡を残して産院に向かったという。今年はこういう災禍の最中であるから、人影は記憶にあるより明らかに少ない。だのに、特に予約もなく行ったら、一時間以上待たされた。昨今は予約を取ってからゆくのが常識なようで、あとからやってきた人やうさぎが次々と案内されていくなか、母とふたり、ぼんやりとスマートフォン最新機種の手にあまる大きさなど話すことになったのであった。

 ○帰宅してから、イナバさんと通話。イナバさんは、ぼくが親しくしているうさぎで、岬の穴に住んでいる。たがいにマクドナルドのセットを買ってきてのオンライン会食となった。

 ○明日から在宅勤務になるので、部屋を片づける。雑誌に掲載され、たいそう感銘をうけたものの、単行本化されずにいる読み切りを保存したものが出てきたので、スキャナーで取りこんでPDF化した。
 奥田一平「BARONG」と冨嶋克樹「死線」。

 ○鳥彦『蛮世記』読む。

 中国の志怪小説を思わせる怪奇幻想掌編集。著者は絵描きであるというが、文章も達者。



→「#3 緊急事態宣言、全国拡大」



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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