コロナ渦不染日記 #1
四月七日(火)
○日本政府より、緊急事態宣言が発出さる。期日は同年五月六日、ゴールデンウィーク明けまで。日本の存亡この一ヶ月にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ……などということにならぬよう。
○この日記は、しばらく四月十八日よりさかのぼって書くことになる。こういうことをしようと考えたのが、四月十八日だからである。
山田風太郎『戦中派不戦日記』は、若き日のかれが見た「昭和二十年」、すなわち西暦一九四五年の一月から終戦に至るまでの八ヶ月と、その後の四ヶ月を大晦日までつづる。
それは、かれにいわく、
あの戦争の、特に民衆の精細な記録があれば今どれくらい貴重な文献になるだろう
との理由であるが、この日記にも似たような役が果たせはしないかというつもりがある。なんとなれば、いまの日本人は、七十五年前の「戦中」と同じだからである。
もちろん、日本という国は、そして日本を取りかこむ世界は、七十五年前とは大きく変わっている。今回の「戦」の相手も、そうした世界の変化と不可分でない。人を介して伝わる病気は、七十五年の時のあいだに、人と人の物理的な距離が縮まったことによって、ここまで拡大したのであるから。
しかし、人は変わらない。山田風太郎は前述の『不戦日記』において、
明日のことも知らぬ、哀れな、絶望的な、そのくせたちまち希望をとりもどして生きてゆく楽天的な日本人
と書いた。これは、七十五年がたってもまったく変わっていない。使い捨てマスクを買い占め、誰よりも多く米をカートに積み、たまさか咳をしたものがあれば怖ろしい目でにらみつけ、政府の対応が正しいの間違っているのと持論を叫ぶいっぽうで他人と議論をしようとせず、または右ならえで行動することを「団結」と呼び、そうさえすれば「やりすごせる」と思っているかのごときものがたくさんいるのがいまの日本人なのだとすれば、それは『不戦日記』に描かれる人々とどこが変わろうか。
だが、それこそが日本人であり、人間である。山田風太郎は『戦中派不戦日記』ではからずもそのことを看破した。だから、ぼくも、かの愚かさを責めもしなければ肯定もせぬようにしよう。なんとなれば、ぼくもまた「そのドラマの中の通行人」、すなわち、そうした日本人(うさぎ)の一人であるのだから。
参考・引用文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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