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2018年小説ベスト10

ごあいさつ
 こんにちは、うさぎ小天狗です。
 こちらでは、ぼくが2018年に読んだ小説の中から、厳選したベスト10を発表します。
 ベスト10からベスト1までのランキング形式になっておりますので、ゆっくりとスクロールしてお楽しみください。
 また、各ランキングにはamazonへのリンクが張ってあります。もしご興味をもたれましたら手に入れてみてください。
 ちなみに、今年読んだ小説の一覧を、この記事の一番下に設けてあります。

 ではさっそく行ってみましょう!

ベスト10

「失われた時間の守護者」(ハーラン・エリスン/早川書房『SFマガジン2018年12月号』)

墓地で出会った青年と老人は、人種や年齢を超えて友情を育むが……。

 読み終わってみれば、タイトルズバリな内容なのに、出だしから繰り広げられる老人と青年の友情物語にそれを気づかされないところに、ストーリーテラーとしてのハーラン・エリスンのたぐいまれなる腕前がうかがえます。
 誰もが心に抱える、今はもういない人、忘れられない人の思い出が、年齢や人種を超えて二人を結びつけるのは、この世に忘れられない人を持たない人はいないからでしょう。そういう意味で、この作品を「ハーラン・エリスン追悼特集」の冒頭に置いたと考えると、改めて失われたものの大きさに瞑目せざるを得ません。
 R.I.P.エリスン。あんたはすごい人だったぜ。


ベスト9

『アシッド・ヴォイド』(朝松健/書苑新社TH Literature Series)

ラヴクラフトへの想いに満ちた初期作品から、ウィリアム・バロウズに捧げた書き下ろし作品まで。クトゥルー神話を先導しつづける、朝松健の粋を集めた傑作短篇集、遂に刊行!(Amazon商品説明より)

 私事ですが、朝松健先生に師事したことがあります。ある出版社主催のある講座で、ホラー小説の書き方をご教授いただいたのでした。全十回ほどの講座でお会いするたびに、朝松先生は全身から青白い炎を発しているように見えました。小説を書いて生きていく、ホラーを愛している。そういう身内の熱が放射されているように感じられたのです。
 その「ホラー作家としての情熱」が強く感じられるのがこの作品集。還暦を超えてなお、ウィリアム・バロウズとクトゥルー神話を結びつけるアイディアを実行するパワフルさ(表題作)、「〈角度〉を通ってやってくるものを避けるため、〈弧〉で作られた空間に逃げ込んだら、そこにも〈角〉が生まれた」って展開を作る奇想(「球面三角」)もさることながら、それらを持つに至った「朝松健」という作家の核をみせつける初期の傑作群(「星の乱れる夜」、「ゾスの足音」など)にも触れることができるのは、先生がその著述業を通じて関わってきた「ホラー/オカルト/クトゥルー神話」にフィーチャーした短編集という本書ならではであるでしょう。
 来る2019年も変わらぬご健筆を期待したくなる、そんな作品集でした。


ベスト8

『源にふれろ』(ケム・ナン/ハヤカワミステリ文庫)

砂漠で生まれ育ったチビのアイクは、陽光あふれるカリフォルニアにひとりやってきた。家出した姉エレンを連れ去った謎の不良たちを捜すために。暴走族のボスに助けをかりたアイクは、モンスターウェーブさえものともしないカリスマ・サーファーのグループに姉との接点を探り当てるが……セックスと麻薬にまみれた海辺の街で少年は大人になるための暗く切ない一夏を体験する。サーフィン青春小説のオールタイム・ベスト。(Amazon商品説明より)

 ライトノベルはいうに及ばず、多くの小説に「思春期」が描かれるのは、それが人生でもっとも多くのものに触れ、影響を受ける時期だからというだけでなく、誰にも等しく訪れる時期だからではないか、とぼくは考えます。
 もちろん、思春期の過ごし方は人それぞれで、その時期も地域や時代や性別や文化によってまちまちですが、長い人生のどこかで一度も思春期を経験しない人間はいないのではないか。だからこそ、思春期を描いた物語は、多くの人間を共感させずにはおかないのです。かつて思春期を経験した人、いずれ思春期を迎える人、そして今思春期を過ごしている人、その誰もが思春期という時期を思わずにはいられないのです。
『源にふれろ』は、まさにそういう小説です。あらかじめ失われたものを求め、自分の生まれ育った場所を離れて、少年はさまざまな人、出来事に出会い、戻れない道を歩みます。そこには最良の道など存在せず、血と涙を流し、傷を負い変質し、出会いと別れを繰り返しながら、ようやく触れることができる「源」とは、まさに思春期という普遍的な時期そのものであるでしょう。
 そして、それは必ず失われる。少年が子供に戻れないように、大人は少年に戻れない。でも、だからこそ美しく輝き続ける「源」を描き出し、触れることができるようにするのは、これは物語の特権であるはずです。なぜなら、この物語で描かれるように「物語」とは「嘘」であるから。でも、それは「真実から生まれた嘘」であり、「嘘の中に残る真実」を探求する道行きこそ「思春期」でありましょう。


ベスト7

『ディスクワールド騒動記1』(テリー・プラチェット/角川文庫)

さぁて、みなさんお立ち合い。ここに現われいでましたるは、巨大亀の背中に乗った四頭の象がささえる円盤世界。その円盤世界に名高きは、われらが落第魔術師リンスウィンドとその相棒、究極の観光客ツーフラワーとお供の〈カバン〉。偉大なるゲームマスターの神々に操られ、このふたり、行くところたちまち大騒動を引き起こす。まずは、その第一巻の始まり、はじまりぃ。(Amazon商品説明より)

 文化の本質とは「模倣」です。声は音を模倣し、感情は肉体の反応を模倣し、概念は事実を模倣し、言葉は声や感情や概念を模倣し、道具は肉体や機能を模倣し、子は親を、周囲の人間を模倣します。事実を模倣して伝説が生まれ、伝説を模倣して物語が生まれ、物語は物語を模倣して、そうして人は物語を模倣して事実をなすのです。
『ディスクワールド騒動記』は、そうした「模倣=人生」の一つの到達点といえるでしょう。ヒロイックファンタジーの模倣、コズミックホラーの模倣、SFの模倣、神話の模倣……納められた物語はすべからく「元ネタ」を持っていつつ、そこに生きる人間たちは、現実を生きる人間と違いの見いだせない、生々しい生き様を見せてくれます。恐るべき力を持ちながら、それを呪いとしてしか発現できず、場当たり的な言動を繰り返すだけの魔術師リンスウィンド。自分の元いた生活の外にある物語に憧れ、それらの中に飛び込んだのに、それらしい成果を得るどころか台無しにしてしまい、そのことに気づくことすらできない観光者ツーフラワー。彼らの騒動だらけの道行きは、まったく我々の人生の「模倣」であります。つまり、それは我々の人生そのものであるということ!
 その悲しい事実を、ユーモアたっぷりに描き出すテリー・プラチェットの語り口は、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」というチャップリンの言葉を思い出さずにはおかれません。そして、プラチェットはチャップリンと同じくイギリス人。イギリス人てなんて真摯に人生と向き合うものが多いんだろうと、改めて敬服させられたりもします。


ベスト6

『テクニカラー・タイムマシン』(ハリイ・ハリスン/ハヤカワ文庫SF)

倒産寸前の映画会社クライマックスは、わらにもすがる心境で市井の科学者の手になるタイムマシンにとびついた。ロケ隊を11世紀に送りこみ、大スペクタクル大迫力ヴァイキング映画を制作しようというのだ。しかしいざ撮影を開始するや見込み違いが続出、本物のヴァイキングに襲撃されるは、主演男優は負傷するは、窮余の一策にと現地人を代役に仕立てれば濡れ場で本番をやらかす始末。しかもあれやこれやが重なって完成予定日にまにあわせることは絶望的、クライマックス映画社の命運はここに尽きたかに見えたが――才人ハリスンの放つ軽妙洒脱なユーモアSF!(本書あらすじより)

 タイトルにある「テクニカラー」とは、本邦では「総天然色」とも呼ばれた、かつてあった映画フィルムの彩色方式の名前です。現実の色彩を映像に移す際、初期には二色、その後は三色、それぞれのフィルターを通してプリントし、同時に撮影した白黒のフィルムと最終的に合体させて、カラーフィルムを作り上げるのです(Wikipediaより)。つまり「現実(を認識する我々の視覚)以上に現実らしい色」を記録/再現する手法
 それを過去、つまり歴史とか時間に対してやっちゃおう、という、非常にテクニカルな時間SFが本書であります。倒産寸前の映画会社がもくろむ起死回生の一手は、タイムマシンで過去に飛び、ほんもののバイキングを撮影して「超豪華なセットと迫真の演技によるバイキング歴史絵巻」をでっち上げる計画。さっそく過去に飛び、あるバイキング氏族と約定を取り付けた撮影クルーと現代の役者たちでしたが、彼らの前にさまざまな不測の事態が降りかかる……とくれば、これは今年人気になった映画『カメラを止めるな!』を思い起こさせます。映画の前面にもその背面にも、「現実」の苦労が渦巻いていて、それらをちぎっては投げ、かわしては走り、結果フィルムに焼き付けられるのは、これこそ「現実以上に現実らしい」人の生き様……というところに、たっぷりのユーモアと普遍的な人間賛歌を歌い上げるところも、かの映画とよく似ています。

「[前略]おれは凡才なんだ。そう認めるのがどんなにつらいことか、わかるか? これがまるっきり無能なら、自分でもそうとわかるし、すぐにおっぽり出されてガソリン・スタンドででも働くことになるだろう。また、もし天才なら、やはり自分でそれがわかり、左うちわで暮らせるってもんだ。しかし、凡才となると、自分でもはっきりしないもんだから、運かなんかのせいにして次の映画を撮りつづけ、七十三本の毒にも薬にもならん屑フィルムを作ったあとで、七十四本目がいい写真になってたかもしれんという気がすることさ。[後略]」

 主人公である映画監督が、自分の撮る映画で主人公を演じる、実在したヴァイキングの長に(相手が現代英語を理解できないことを忘れて)語るこの言葉の、なんと普遍的なことか! これこそまさに人生のテクニカラー!

たしかに彼は責任者なのだ。これまでのいつにもまして責任者なのだ。[中略]ふつうなら、これはかれに胃痛と不眠症をもたらし、優柔不断の暗い地獄をさまよわせるたちの状況だった。だが、こんどにかぎってはちがう。かれにもヴァイキング魂の幾分かがすりこまれたのだろうか。どんな人間も世界に対して孤独な戦いをやっているのであり、よくよく運がよければだれかが手をかしてくれるかもしれないが、そんな助けはあてにできない――という認識が生まれたのだった。(強調は引用者)


ベスト5

「サンディエゴ・ライトフット・スー」(トム・リーミイ/『サンディエゴ・ライトフット・スー』)

カンザスの田舎を抜け出した少年が、ロサンゼルスで出会った運命の恋人は、四十五歳の絵描きで娼婦「サンディエゴ・ライトフット・スー」。二人の美しい恋は、やがて悲しい結末を迎える。出会うのが遅すぎたのか、それとも……そもそも叶わない「願い」だったのか。

 作者のトム・リーミイは、処女長編『沈黙の声』の出版の前年、四二歳で夭折した、幻想小説の作家です。それゆえにというべきか、彼の死後に編まれたこの短編集は、習作というならうなずけるけど、プロの作品としては玉石混淆というべきラインナップになっています。一方で、彼の作風は「幻想美」と「エロ・グロ・残酷」が意図して混じり合うようなものが多く、そうしたピーキーな作風が許されるのもセミプロならではと言えなくもなく、もしプロとして磨かれていったならば、この唯一無二の美点も失われてしまったかもしれないと思えてくるほど。
 そうした、ある種の「若書きの美点」が原石のごとくきらめく作品群の中で、一等輝くのがこの短編です。「十代の若者と四十過ぎの娼婦の恋が六〇年代ゲイコミュニティに見守られながら花開く」という(当時としては)グロテスク美に、「この恋は魔術が引き寄せた人為的なものかもしれない」というグロテスク美が混じり合って、やがてくる悲劇的な別れが予見されるだけに、失われゆくものの美しさを描いて、リーミイの晩年とリンクするだけでなく、ベスト8に挙げた『源にふれろ』とも通ずる、「源」の普遍的な美を思わせます。


ベスト4

『泰平ヨンの未来学会議』(スタニスワフ・レム/ハヤカワ文庫SF)

地球の人口問題解決の討議のため開催される国際未来学会議に出席せんと、コスタリカを訪れた泰平ヨン。ところが、会議の最中にテロ事件が勃発。ヨンたちは、鎮圧のために軍が投下した爆弾の幻覚薬物を吸ってしまう。かくしてヨンは奇妙な未来世界へと紛れ込む……。レムがブラックな笑いでドラッグに満ちた世界を描きだす、異色のユートピアSF。(Amazon商品説明より)

『ソラリスの陽のもとに』(a.k.a.『惑星ソラリス』)で知られる、ポーランドの作家スタニスワフ・レムは、ソビエト社会主義の中にあって、社会主義的な思想にとどまらない、普遍的な人間像に迫った作家といえるでしょう。代表作の『ソラリス』からして、「人間の思考を読み取り、それを現在化するという奇妙なアプローチをする、知性体とおぼしき〈海〉」というSF的なガジェットを通じて、人の心のありように迫って、けしてアイディア一発勝負で終わらない作品でした。
 ですから、そのレムが、ユーモアたっぷりに「このまま文明が維持され続けたら訪れるであろう悪夢の未来像」を描いたら、これがつまらないはずがない! 出だしの「人口過密による飢餓をどうにかしようとする会議が初手方ぐだぐだ」ってあたりからニヤニヤが止まらず、「散布された各種の薬剤が人間の感覚を通じて心理をいじくってしまう」恐ろしさに震え、結果主人公が垣間見ることになる「すべてを効率化してしまった結果、人それぞれが個別に都合のいい夢を見るようになったディスコミュニケーション世界が現出する」というビジョンの予見性にと胸を突かれるのです。最後のやつなんて、twitterやインスタグラムをはじめとした、今日的なSNSを含むメディアと人間のありかたそのまんまじゃないか!
「人間は自分に都合のいい情報しか得ようとしない」というテーゼが、とってつけたような夢オチに、かえって薄ら寒い感じを与えるのもたまりません。サイバーパンクに先立つ「ドラッグパンク」とでも言うべき世界観は、ほぼ同時期に活躍したマーシャル・マクルーハンのメディア論とも通じるものがあり、この時代の知識人はほんとうに博覧強記であるなあと思わされます。


ベスト3

『宇宙船レッド・ドワーフ号』1・2(グラント・ネイラー/河出書房新社)

資源の枯渇した地球から、鉱石資源を求めて旅立った宇宙の採掘船レッド・ドワーフ号は、どうしようもないバカのどうしようもない失態によって全滅した。宇宙を漂流すること三百万年、宇宙船を統括していた人工知能は、孤独による自身の狂気を確信したことで、冷凍睡眠刑に処せられていたため、たった一人生き延びた二等航海士リスターを復活させた。自分が人類最後の生き残りと知って狂気に陥りかけたリスターを守るため、人工知能が演算領域を開放してホログラム人間としてよみがえらせたのが、どうしようもないバカの一等航海士リマー。そこへ、三百万年の間船内で独自の進化を遂げた猫人間のキャット、狂った奉仕ロボットのクライテンを加えて、どうしようもないバカどものどうしようもない航海が始まった。

 ベスト7の『ディスクワールド騒動記1』、ベスト6の『テクニカラー・タイムマシン』、ベスト4の『泰平ヨンの未来学会議』と、今年はユーモアの中に人生を描く作品が多く心に残りました。個人的に「怪奇三十郎、おっとそろそろ四十郎だがな」と自己紹介したくなる年齢にさしかかり、複雑な人生の綾が見えてくる年になったのかもしれません(とはいえ不惑の年を控えて、まだまだ惑うことは多かろうと思われますが……)。
 そんな中、読んでいてどうにも涙が止まらなかったのがこの二冊。本邦NHKで放送され、人気を博したイギリスのSFコメディドラマ『宇宙船レッド・ドワーフ号』を、メイン脚本家二人がコンビを組んでノベライズした本作は、一話完結の連作ドラマだった原作を適宜組み替えて、二巻の長編ドラマに仕立て上げた結果、どうにもこうにも涙を誘う、SF人間ドラマの大傑作になっていたのです。
 冒頭に挙げた三作と同じく、この物語に特別な人間は存在しません。いや、「特別な人間であることを望み、望みどおりの特別さを得た人間はいない」といった方がいいでしょうか。主人公リスターが「地球最後の人類」になったのは、彼の望むところではありませんでした。乗船の乗組員を道連れにしたどうしようもないミスを犯したリマーが復活したのも、彼の望むところではありませんでした。彼らは、「思い通りに人生を生きることができる」、我々の理想を体現するようなヒーローでは、けっしてありません。
 ゆえに、二人は第一巻のラストで、船に密かに持ち込まれていた、ご禁制のVRソフトが見せる「素敵な体験」にのめり込みます。あまりにも素晴らしい夢だから、望んだ世界を見せてくれるから、誰もが餓死するまでやめることができなかったVRソフトに、それと知りながら背を向けられない二人の心は、きっぱりと理想に背を向けることができるフィクションのヒーローたちに比べて、なんと現実的で、なんと愛らしいことか。そして、それを描くことの、なんと現実的な視座であることか。背を向けた嘘の世界に後ろ髪を引かれ、一度だけ、もう一度だけ理想の世界を振り返りたいと思ってしまう彼らの姿に、ここ一番の涙を振り絞らされたものです。
 人生がままらないのではなく、自分自身が自分にとってままならないのだと描く全二巻の物語は、後半で彼らが旅だった母星・地球への旅を始めます。「行きて帰りし物語」の結末、すなわち「この世に現れ、この世を去る人間の人生」の結末がいかなるものであるか、厳しいユーモアと優しい視線で見つめた、文学的名著といって過言でない傑作です。


ベスト2

『幻燈辻馬車』(山田風太郎/角川文庫)

明治の東京、孫娘を横に乗せ辻馬車を走らせる元会津藩士、干潟干兵衛。この孫娘と祖父は大山巖、三遊亭円朝、坪内逍遥、川上音二郎、自由党壮士らが引きおこす事件に巻き込まれていく――。時代にはじかれてしまった者たちの哀愁。(Amazon商品説明より)

『幻燈辻馬車』の主人公・干潟勘兵衛は元会津藩士、幕末においては戊辰戦争で妻を失い、明治においては西南戦争では息子を失い、今は息子の忘れ形見である孫娘とともに、落剥の人生を送る老人です。しかし、彼の半ば棺桶に足を突っ込んだ日々に、燃え残る熾火がありました。それは彼の妻子が亡霊となって現れ、彼の生きる明治の東京に、幕末と同じ血で血を洗う政治闘争が再びうごめきだしたことで、じわじわと燃え上がり始めます。
 そして、それは彼一人のことではありません。『幻燈辻馬車』に現れる人物はみな、落剥の人生を送りながら、その中に手放せない熱を抱えています。立場は異なれど、やり方は違えど、もう取り戻せないかつての日々に思いを馳せ、その熱に浮かされて、再び立ち上がる人々。彼らはすべて干潟勘兵衛と同じです。いや、山田風太郎という作家は、ずっとそういう人々の物語を描いてきたといえるでしょう。
 それは、個人的にかつて教えを受けた時代小説評論家の縄田一男先生の唱える「作家・山田風太郎の出発点は一九四五年八月十五日、すなわち『敗戦』というパラダイムシフトであった」という理論によって裏付けられるかと思います。『棺の中の悦楽』や『太陽黒点』といった初期ミステリの犯人たち、『甲賀忍法帖』をはじめとした忍法帖シリーズに命を散らす忍者たちと同様、山田風太郎の描く明治の人々もまた、「もはや戻ることのできない過去」の「失敗」によって生き方を決定されていると言えましょう。
 同じく敗戦を契機にした作家・坂口安吾は、あまりにも有名な「堕落論」をこう結んでいます。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦[また]堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(強調は引用者による)

 堕ちたものたちが永遠に堕ちきること叶わず、多分に自己欺瞞を含んだ安寧に落ち着いてしまう中、とことんまで堕ちきる過程を通して自分自身を発見し、救う。これは安吾が叫んだ、「『敗戦』を生きる人間の理想像」であり、山田風太郎がそういう人々を描くことで実践してきたことであり、山田風太郎の書いた傑作群に触れて、我々が生きるべき道であろうと思われます。

 これは2018年に見たテレビドラマのナンバーワンと思う『ジャン・クロード・ヴァン・ジョンソン』によせてつぶやいたものですが、我ながらよく言ったものと思います。なにもかもがうまくいけばいいというわけでもなく、かといってうまくいかないばかりでもつらくなってしまう……そういう両極端の上にあって、右へ左へふらふらと揺れながら、不可逆な未来へ向かって進んでいくのが人間の人生と言うことができるでしょう。そのことをきちんと描いて、清濁併せのむ混沌とした世界を描きながら、胸に炎を宿した人々の複雑な生き様を描いて、やはり山田風太郎という作家の見据える「現実以上に現実らしい」世界は、たまらないのです。


ベスト1

『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー/新潮文庫)

若き科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、生命の起源に迫る研究に打ち込んでいた。あるとき、ついに彼は生命の創造という神をも恐れぬ行いに手を染める。だが、創り上げた“怪物”はあまりに恐ろしい容貌をしていた。故郷へ逃亡した彼は、醜さゆえの孤独にあえぎ、彼を憎んだ“怪物”に、追い詰められることなろうとは知る由もなかった。天才女性作家が遺した伝説の名著。(Amazon商品説明より)

 ベスト10からベスト2まで、ぼくのつたない感想をここまで我慢してお読みいただいた方々には、今年の小説ベストに一つの筋が通っていることにお気づきかと思います。
 それは「人生」です。人が生まれてから死ぬまで、迷ったり苦しんだし、躓いたり諦めたり、泣き叫んだり怒り狂ったり、そうしてたどってきた「黄金のレンガで敷き詰められた道」こそ、今年ぼくを最も「読ませた」ものでした。
 その上で、やはり今年のベスト1を決めるとしたら、この作品しかありません。望まれず生まれてきた怪物が、苦難の道行きの果てにどうにも否定し得ない自分自身の底まで堕ち、ついに見つけた真実の自己を語る物語を、望まれて生まれてた人間が、苦難の道行きの果てにどうにも否定し得ない自分自身の底まで堕ち、ついに見つけた真実の自己を語るともに語るのを、我々に語る男がいる――という入れ子構造を通じて、「現実以上に現実らしい」人の生き様を見せつける大傑作。
 この物語に描かれるのは我々の未来であり、過去であり、現在であるでしょう。間違えない人間はおらず、事実をしっかり見据える事のできる人間はおらず、失われたものは常に美しく、未来は不安とおそれに満ちている。しかし、それは、見方を変えれば喜劇ともなり、そうした客観的視点を経て、しっかり事実を見据えれば、望んだものと同じかどうかはわからないけど、どこかへたどり着けると、そう示してくれるのもまた、物語であります。
 そのことを、ぼくに教えてくれたのは、山田風太郎であり、エリスンであり、厳しくて優しい知識人であり、夭逝した先人たちであり、恩師であります。そのことを、そろそろ三十代も終わりかけたいま、ようやく気づくことができたことからも、「人生がままらないのではなく、自分自身が自分にとってままならないのだ」ということは、ままならぬことの苦みとともに証明されることと思います。
 そして、ああ、ヴィクター・フランケンシュタインによってこの世に生み出され、「フランケンシュタイン」の名前を持つと誤解される、名前のない怪物! 彼こそ今年一年のぼくの姿でありました。いや、もしかしたら、あなたがたも含めた、誰もがあの「名前のない怪物」であるかもしれません。


 というわけで、ぼくの2018年小説ベスト1は、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』でした。
 来年はどんなお話が読めるかな? 今からわくわくしております。

 それでは。


(うさぎ小天狗)


タイトルイラスト
ダ鳥獣ギ画(http://www.chojugiga.com/



今年読んだ小説は以下のとおりです。黒太字は新刊です。

一月……スティーブン・ハンター『ダーティ・ホワイト・ボーイズ』、テリー・プラチェット『ディスクワールド騒動記1』、ケム・ナン『源にふれろ』、古橋秀之『百万光年のちょっと先』、山田正紀『弥勒戦争』

二月……深町秋生『猫に知られるなかれ』、ハリイ・ハリスン『テクニカラー・タイムマシン』

三月……スーザン・プライス『500年のトンネル』、眉村卓『下級アイデアマン/還らざる空』、眉村卓『EXPO'87』

四月……なし

五月……朝松健『妖変!箱館拳銃無宿』、山田風太郎『明治波濤歌』

六月……プロンジーニ&マルツバーグ『決戦!プローズボウル』、萩尾望都『美しの神の伝え』、グラント・ネイラー『宇宙船レッド・ドワーフ号』

七月……ロジャー・ゼラズニイ『虚ろなる十月の夜に』、三島由紀夫『剣』、有馬頼義『兵隊やくざ』

八月……メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』

九月……山田風太郎『幻燈辻馬車』、筒井康隆編『異形の白昼』

十月……トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』、川上未映子『わたくし率イン歯ー、または世界』、野坂昭如『骨我身峠死人葛』、ケイト・ウィルヘルム『翼のジェニー』、『SFマガジン2018年12月号』

十一月……野阿梓『花狩人』、朝松健『アシッド・ヴォイド』、ロメロ他『ナイツ・オブ・リヴィングデッド 死者の章』、サキ『サキ傑作集』、スタニスワフ・レム『泰平ヨンの未来学会議』

十二月……池宮彰一郎『四十七人の刺客』

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