見出し画像

コロナ渦不染日記 #17

←前回目次次回→

五月二十六日(火)

 ○朝からオンライン会議。これより我々のとるべき態度について議論す。

 ○かつても書いたが、ぼくの仕事は穴居のメンテナンスである。主な業務は現場に赴いて行うチェック作業であり、先方の予定が優先されるものの、いずれにしても現場にゆかなければ立ちゆかないものである。
 だから、営業再開にむけて正式に指示がくだると、今度は先方とのすりあわせが発生するのだが、これが、予想されていたこととはいえ、すこぶる面倒である。
 言ってしまえば、先方はそれどころではないのだ。営業再開にむけての準備は、これまでも行ってきたが、それとてこれからの一週間の比ではなかろう。なんとなれば、当たり前だが、再開したあとに、ふたたび営業自粛ということになってはまずいのであるから、特に慎重にも慎重を期さねばならないのは直前の準備段階においてということになる。そこへ、我々という外からのうさぎが割りこんでゆくわけだから、邪険にするほどではないにしても、対応に困るものではあろう。当然、彼も我も「こんなときにすみません」と恐縮することになる。

 ○もちろん、こんなことは上司にも会社にもわかっていることであろう。だが、わかっていてもそうしなければならない。
 なぜならば、複数の人間が共働するものごとというのは、一対一のデートであれ、国家というものであれ、いったん動き出したらとまらないのだから。ひとりの意志だけで、とめたり方向を転換したりはできかねる場合がほとんどなのである。
 もちろん、それが奏功することもあろうし、その動きの足下ですりつぶされていく個人の意志もあろう。だが、それとこれとは、この場においては切り離されている。——だからこそものごとは進むし、個人としては、疲れる。

 ○五月二十五日のこと。
 総理大臣は午後六時からの会見で、緊急事態宣言の解除を「世界的にも極めて厳しいレベルの解除基準を全国的にクリアし」、「わずか一カ月半で流行をほぼ収束させることができた」ためとした。
 思わず「それはないだろう」と口にしてしまう。「ほぼ」という副詞を用いてはいるが、「収束させることができた」とは言いすぎであると感じた。
 さらに、この「解除基準のクリア」の理由を、「日本モデル」という言葉で表したのには、おためごかしにもほどがあると思ってしまう。

 ○ここでいう「日本モデル」とは、「世間」のことに他ならぬ。「なんとなく」お隣さんと歩調をあわせ、「なんとなく」やれといわれたことをやる、あの内在化され、主体性以前のものとなっている相互監視のシステムのことであろう。
 つまり、「日本モデル」とは、たしかに「世界的にもきわめて厳しいレベルの解除基準を全国的にクリア」せしめたかもしれないが、同時にここまで経済を冷え込ませ、「自粛警察」などを生み出し、先行き不透明な不安感を盛りあげたものと、同じものなのではないか。

 ○ぼくが一番問題だと思うのは、これが「主体性以前のもの」となっているだろうということである。「日本モデル」を「よきこと」として用いる人々は、それがいったいなんなのか、どんな利と不利があるのか、しっかりと理解していないのではないかと思うのである。
 ぼくは「世間」を憎む。しかし、その有用性を理解しないわけではない。「世間」なしに、自分がここまで育つことはできなかったとわかっている。
 今回の災禍に即せば、「世間」があったがゆえに、人々は「要請」だけで自主的に外出を控え、マスクをした。そのことが医療崩壊を防ぎ、新規感染者を減らしたのは、否定しようのない事実ではあろう。
 だが、これは同時に、人々をしてマスクの買い占めや、外出者へのいらだちや、「自分とおなじようにしないもの」を意志ではなく石をもって追うようにしむけたのである(そして、同時期の出来事として記録しておかねばならぬと考える、「リアリティ・ショーの出演者に対する誹謗中傷と罵詈雑言」も、この「世間」の生み出した、おぞましい惨禍である)。

 ○これは、「世間」が、我々を育む「前提条件」ではあっても、必ず幸福やゆたかさを補償してくれるものではない、ということだとぼくは考える。
 育つことの「前提条件」は「与える」ことであって、「選ばせる」ことではないのだ。そうして、幸福や豊かさは「選ぶ」ことの先にしかないものなのである。むしろ、選択の余地なく「与える」ことは、いつかそうした意志を、主体性を失わせ、自らの責任において行動することをさせなくなる。その結果が、「なんとなくお隣さんと歩調をあわせ、なんとなくやれといわれたことをやる」ことであって、そこに個人の意志、もっというと他者へのまなざしはないと、ぼくは考えるのである。

「なぜか?」
 日本人はこういう疑問を起こすことが稀である。まして、
「なぜこうなったのか?」というその経過を分析し、徹底的に探求し、そこから一法則を抽出することなど全然思いつかない。考えて出来ないのではなく、全然そういう考え方に頭脳を向けないのである。一口にいえば、浅薄なのである。上すべりなのである。いい加減なのである。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。
太字強調は引用者)

 これにつきると、ぼくは考える。
 少なくとも、今回の緊急事態宣言の解除は、現内閣の指導力でもなければ、「日本人が」(主体的に)戦った結果、「勝ちとった」ものなどではない。戦うとは主体的な行為であるはずである。主体性がないところに生まれるのは「やり過ごし」でしかない。

画像1


五月二十七日(水)

 ○朝。始業前にコーヒー豆を買いに外へ出たところ、バス停に多くの人が並んでいるのを見る。さらに、やってきたバスには、すし詰めとはいわないまでも、これまでになく多くの人が乗っているのを見る。
 こう見ると、ながらく理解できずにいた、「緊急事態宣言」の意味を理解する。緊急事態宣言が解除になったとたんにこのていたらくであるのだとすれば、あの説明のへたな「宣言」にも、意味はあったと考えられる。

 ○こうなれば、おそろしいのは、緊急事態宣言解除「後」である。感染拡大の「第二波」が来るだろうことは、間違いないことのように思えてならない。
 気になるのは、「第二波」が来るまでのあいだに、どれだけの体勢をととのえることができるか、ということである。そうしたことをふまえて、「新しい日常」となるであろう。だが、その根底には、過去のしっかりした洗い出し——なぜこうなったのか?——が必要不可欠であろう。

 古い日本は滅んだ。富国強兵の日本は消滅した。吾々はすべてを洗い流し、一刻も早く過去を忘れて、新しい美と正義の日本を築かねばならぬ——こういう考え方は、絶対に禁物である
 武力なくして正義が通し得るか。富なくして美が創造し得るか。理想としては出来る。個人としても可能である。
 しかし国家というものはそこまでまだ発達してはいない。このことは、この十余年の世界史でわれわれが否が応でも凝視せずにはいられなかった事実ではないか。われわれは、にがい、憂鬱な感情を以て現実論者にならねばならぬ。
 僕はいいたい。日本はふたたび富国強兵の国家にならなければならない。そのためにはこの大戦を骨の髄まで切開し、嫌悪と苦痛を以て、その惨憺たる敗因を追求し、噛みしめなければならない
 全然新しい日本など、考えてもならず、また考えても実現不可能な話であるし、そんな日本を作ったとしても、一朝事あればたちまち脆く崩壊してしまうだろう。
 にがい過去の追求の中に路が開ける。まず最大の敗因は科学であり、さらに科学教育の不手際であったことを知る。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。
太字強調は引用者)

 ○終業後、岬へ行って、イナバさんと行きつけの食堂で肉を食べる。ハンバーグカレー美味。


五月二十八日(木)

 ○在宅勤務は、先方とのやりとりで消耗する。

 ○夜、ボッカッチョ『デカメロン』を読む。

「親しい皆さま、自分の権利はきちんと行使する限りは、誰にも迷惑をかけることはない、とは皆さま何度もお聞き及びでございましょう。わたくしもそのように聞きました。できるかぎり、自分の命を助け、保ち、守るのが、この世に生まれた者に天然自然に与えられた権利でございます。その命という権利は大切なものですから、それを守るためにはたとい人を殺しても罪がないとされたことも幾度もありました。もしも法律がこのようなことをも認めているのだとするなら、人間誰しもが無事に生きていけるよう法律はこうして配慮しているのですから、わたくしども人間としては、自分の命を保とうとすることはまことにもっともなことですから、他人に害を与えぬ限り、わたくしどもに出来る手段や対策を講ずることは、これはもう当然許されていることでございます。[後略]

——ボッカッチョ『デカメロン』(平川祐弘・訳)より。
太字強調は引用者)

『デカメロン』は十四世紀に書かれたものである。つまり七〇〇年前に書かれているのであるが、そこで言われている意識(ぼくが強調した部分)が、七〇〇年後の日本にはないものであると思われる。


五月二十九日(金)

 ○政府配布のマスク、ついに来る。
 緊急事態宣言発出から五十三日、マスク配布開始から四十三日、緊急事態宣言解除から三日経った。
 特別給付金申請用紙は、まだ来ない。

 ○夜。映画『殺しの烙印』を見る。

画像2



→「#18 国民とはすなわち愚衆なり」



参考・引用文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


いただきましたサポートは、サークル活動の資金にさせていただきます。