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2017年小説ベスト10

ごあいさつ
 こんにちは、うさぎ小天狗です。
 こちらでは、ぼくが2017年に読んだ小説の中から、厳選したベスト10を発表します。
 ベスト10からベスト1までのランキング形式になっておりますので、ゆっくりとスクロールしてお楽しみください。
 また、各書影にはamazonへのリンクが張ってあります。もしご興味をもたれましたら手に入れてみてください。
 ちなみに、今年読んだ小説の一覧を、この記事の一番下に設けてあります。

 ではさっそく行ってみましょう!

ベスト10

『バーサーカー:赤方偏移の仮面』(フレッド・セイバーヘーゲン/ハヤカワ文庫)

はるかな太古、はるかな宇宙のどこかで滅びた文明が、作り上げた究極の兵器〈バーサーカー〉。自己増殖と進化を繰り返し、宇宙を放浪する機械群の目的は、「生あるもの」を殲滅すること。この究極の敵に出会った人類は、その命運を賭けて絶望的な闘いに挑む。ちっぽけな命の集合体である人類が、「死」の象徴とも言えるこの敵に対抗する武器、それは死にながら受け継いできた知恵と、「どこまでも生き抜いてやる」という強い意志!

「人類の絶対の敵」を描くSF小説の到達点の一つであり、『宇宙空母ギャラクティカ』や『R-TYPE』、など、その後の作品に多大な影響を及ぼした伝説のSF小説、その最初の作品集は、人類とバーサーカーの長い長い闘いの歴史のもっとも初期のある一時期を描いた、連作短編集ともなっています。
「無限に増殖し、進化する巨大な敵〈バーサーカー〉」の設定ができた時点で、このシリーズは「勝ち」でしょう。さまざまな場所で、さまざまな形態の〈バーサーカー〉を登場させることができますし、ある種の「災害」といっても過言でない圧倒的な敵に対して、『長靴をはいた猫』で猫が人食い鬼を口八丁で倒したように、人類が知恵と勇気で立ち向かう姿を描いて、人類が普遍的に持つ「自然との闘いの歴史」すなわち「物語の究極の原型」を宇宙に置き換えることができます。そう、このフォーマットを使えばいろんな話を無限に作り出すことができることになるんです(あたかも〈バーサーカー〉が無限増殖と進化を繰り返すように!)。
 しかも、この最初の作品集は連作短編集ともなっており、先行する短編をからくも生き延びたものたちが後の作品に登場して、「人類対〈バーサーカー〉」の歴史を俯瞰することができ、その結果として必然的にすべての短編を踏まえた大オチを最後に用意したりと、大河小説としての面白みも兼ね備えています。こんな話がおもしろくないわけがない!
 収録されている短編は、いずれもハズレなしの傑作揃いですが、ぼくはやはり冒頭収められた、〈バーサーカー〉物語最初の短編である「無思考ゲーム」が一等面白かった! ある辺境惑星を攻撃せんとする〈バーサーカー〉と対峙した二隻の宇宙戦闘艦。彼らが〈バーサーカー〉を倒すために不可欠な増援を待つ間、敵は通信機器にハッキングをしかけ、乗員の判断能力を失わせる精神攻撃をしてきます。これを、主人公である戦闘艦パイロットはなんとかやり過ごしますがに、次の精神攻撃までの充電時間に猶予を与えまいと、敵は次に簡易版チェッカーによる勝負をしかけてきました。宇宙空間に繰り広げられる、最強最悪の殺戮マシンとちっぽけな人類の戦闘は、ミサイルとビームが飛び交う物理的なものではなく、虚々実々の騙し合い、知恵と勇気の心理戦。このゲーム性のもたらす面白さこそ、優れたSF、優れたエンタメに不可欠なものでしょう。

ベスト9

「マホメッドを殺した男」(アルフレッド・ベスター/創元推理文庫『ピー・アイ・マン』)

妻の浮気に苦しむ男は、タイムマシンで自分と出会う前の妻を殺す。しかし元の時代に戻っても妻は浮気をしている。彼は「浮気する妻」を消すために、タイムマシンでさまざまな時代に飛び、様々な重要人物を殺していくのだが……。

 時間SFにつきものの「タイムパラドックス」を扱って、他にない「ある視点」を提供するアイディアが光る短編です。作者は大傑作SFミステリ『分解された男』やSF版『モンテ・クリスト伯』である『虎よ! 虎よ!』を書いたアルフレッド・ベスター。
 アイディア一発の短編なので多くは申しませんが、「過去の改変」につきものの矛盾点(パラドックス)を解消しつつ、いわゆる「平行世界」解釈に陥らない、これは出色のアイディアと思います。
 これと異なる「過去の改変」を描いた傑作に、つばな『見かけの二重星』がありますが、比べて読むと面白さが倍増します。

ベスト8

『白村江』(荒山徹/PHP研究社)

兄の百済王によって処刑されかけた悲劇の王子、余豊璋。才知溢れ、王位継承者でありながら不遇をかこつ新羅王族、金春秋。冒険心に富み、天皇位簒奪への野心を燃やす倭国豪族、蘇我入鹿。聖徳太子の大いなる遺志を継ぐために、策略を巡らす葛城皇子。激動の東アジアの情勢は、4人の男たちの思惑と絡み合って、「白村江の戦い」へとつながっていく……。(amazon紹介文より)

 剣と魔法とギャグと日韓交渉史(と柳生)でゆうめいな伝奇小説家・荒山徹先生の、2017年12月時点で最新の時代伝奇小説は、なんとあの「白村江の戦い」の真相に迫る伝奇小説。古代アジアの日韓にそれぞれの居場所を求める四人の若者、彼らそれぞれの人生が、たった一日で終わった「白村江の戦い」で交錯するまでを描く歴史小説でありながら、古代アジアを舞台にした冒険小説とも読めます。
 荒山先生には、紀元前の超古代アジアを舞台にした『シャクチ』という大傑作があり、こちらはロバート・E・ハワードの「蛮勇コナン」シリーズを始めとした、いわゆる「ヒロイックファンタジ」の系譜に連なる作品で、前段で先生の持ち味の一つに数えたギャグを封印していましたが、『白村江』は剣と魔法を封印した、より歴史小説に近い作風。ただし、そこここに地雷めいて埋め込まれたギャグ(特に「イルカに乗った入鹿」は殺人的)とともに、四人の若者たちがそれぞれの野望を胸に生き抜いていく激動の時代が描かれ、そこが冒険小説的と思ったゆえんです。
 全編を通じて貴種流離譚的な存在として艱難辛苦に耐える余豊璋がもっとも主人公的ですが、個人的には中盤の「大化の改新」以降、冷徹で魔的な魅力を発揮する葛城皇子が好きでした。

ベスト7

「長距離走者の孤独」(アラン・シリトー/新潮文庫『長距離走者の孤独』)

貧しい労働者階級の母子家庭に生まれ、学校を中退した不良少年の「おれ」は、店舗荒らしをして逮捕され、感化院に送られる。そこで彼は懲罰のため長距離走をさせられることになるが、果たせるかな、走ることは彼に考える余裕をもたらした。周囲の無理解を、自分自身への嫌悪を、振り捨てて走るうちに、自分なりに考える事を楽しむうち、「おれ」は有望な長距離走の選手として選ばれ、陸上競技大会に院の代表として出場させられることになったが……。

 作者のアラン・シリトーはイギリスの作家で、50年代から60年代にかけて活躍した「怒れる若者たち」作家の一人と数えられるそうです。この「怒れる若者たち」というのが具体的にどういった共通点を持つのか、浅学にして知らないのですけど、現体制への反抗を表明する若い世代、といった、いかにもパンク文化発祥の地イングランド的な印象を持っています。
 で、そうした作家の作品として、今回取り上げた作品は百点満点! 貧しく無学な若者でも、現状を踏まえて、考えることはできるのです。そして、孤独になることは、寂しさを引き受けて、自分の足で立つことでもあります。まして、主人公の「おれ」は走ることができる。誰のためでもなく、自分のために、走る。それは社会という巨大なうねりのなかで生きていくために、人間の持つべき矜持なのかもしれません。

ベスト6

『マインド・イーター[完全版]』(水見稜/創元推理文庫)

接触した人間を発狂させ、ときに鉱石化させてしまう、恐るべき隕石群〈マインド・イーター〉。この宇宙が生まれたビッグバンより以前にあった宇宙が、ビッグバン以後に生まれたこの宇宙への害意に凝り固まったものとも考えられるこの絶対の敵に、人類は対抗するすべを持たない。だが、座して滅びを待つことも出来ない。絶望的な戦いに散っていく人々は、それでもなにかをつかもうとする。それは生存の未来か、絶望の理由か。

 ベスト10に挙げた『バーサーカー 赤方偏移の仮面』が、「限りある生命は全力で死に抵抗する」「人類には知恵と勇気がある」といった、ある種陽性の観点から描かれた「絶対の敵との永劫の戦い」だとすれば、この連作は枠組みこそ似ていますが、その内容はまったく逆のベクトルを持たされています。
 なぜならば〈バーサーカー〉が滅ぼすのは命であり、体現するのは「生」と拮抗する「死」でしかありませんが、〈マインド・イーター〉が滅ぼすのは精神であり、体現するのは「心」がその中にかならず持つ「狂気」と「絶望」だからです。その証拠に、〈マインド・イーター〉に接触した人々は、心に傷を追った人が外界を遮断するように、鉱物へと変化しコンタクト不能な異物と化してしまいます。さらに、〈マインド・イーター〉に立ち向かうために精神を調整された戦士〈ハンター〉たちの戦いは、彼らと精神的に結ばれたものたちに〈マインド・イーター〉の狂気を伝染させることになります。
 こうした設定を背景に語られる七編の短編は、だからいずれも孤独のけだるさと滅びの美しさに満ちています。さらに、〈マインド・イーター〉の正体に迫るうち、読者は彼らもまた孤独と滅びを身にまとった、精神的鏡像だと知ることになります。生きていくことと死ぬことが切り離せないように、心を持つことと絶望することは切り離せないのです。
 ビッグバンを隔てて向かい合う、過去の絶望と現在の絶望。その交わる先に未来はあるのか。けして明るく楽しめる作品ではないですが、読むこと、考えることに避けて通れない暗がりを描いて、文学的な香り高いSFです。

ベスト5

『ジャズ・カントリー』(ナット・ヘントフ/講談社文庫)

ぼくは、ぼくじしんでありたいんだ。ぼくいがいの何者にもなりたかないんだ。でも白人のぼくに、黒人の音楽、ジャズが演奏できるだろうか? 大学受験を目前に控え、ジャズマンを夢見るトムは悩み。白人と黒人の世界のはざまで、微妙にゆれうごく青年の魂を瑞々しく描き、若い世代の圧倒的な共感をよんだ、ひとつの青春の物語。全米図書週刊賞受賞。(文庫版解説より)

ぼくが白人だから、何かちゃんとした意味のあるジャズはやれないってことですか?
 主人公にこんな台詞を吐かせてお話が動き出すんだからたまりません。
 過去の自分を振り返り、未来の可能性を信じて、今の自己を脱却しようとする季節を「青春」と呼びます。つまり、青春とは自己の否定と肯定が交錯する場所なのです。そこでは誰もが一度は「なにかになりたい」と思い、「自分は今のままではだめなんだろうか」と内省するのです。
 しかし、「なにかになる」とは「自分でなくなる」ということではありません。人は自分以外の誰かにはなれない。なれるのは未来の自分だけ。でも、それがわかるのは、青春という季節を過ぎたあと。
 そんな青春時代を、ジャズを題材に描き出してみせるのがこの小説です。だから、これ以上のくだくだしい説明は不要でしょう。まだ「その季節」を経ていない人はこういうものかと思いながら、そして、もう「あの季節」を過ぎた人はああそうだよねとうなずきながら読むべきです。特に後者は、主人公がいずれ失敗していく様々なことに踏み出すたびにうなずかれるはずです。
 作者のナット・ヘントフはジャズ評論家として有名な人物。だからこそなのでしょうか、ジャズの本質に触れつつ、そこへとどまらず、より広い世界へとつながる普遍性が描かれています

ベスト4

『パンゲア』全四巻(松枝蔵人/角川スニーカー文庫)

上条泉、通称「イージィ」はパソコン通信が趣味の普通の高校生。だが、ある日彼のもとに届いた一通のエアメールは、彼は普通じゃない世界へ導いた。世界初の人工知能「テレグラム・サム」との出会い。古代インカ文明の末裔の襲撃。そして超古代文明の遺産〈ビッグ・ジェネレーター〉を手中に収め、世界を支配せんとするネオナチ組織との戦い。アクションに次ぐアクション、謎また謎に満ちた探索は、やがて〈神〉の実在へと迫る冒険へ!

 ベスト5に選んだ『ジャズ・カントリー』を読んだのは、そもそもweb上の小説発表サイト「カクヨム」上で発表され書籍化された、トネ・コーケン『スーパーカブ』を読んで、青春小説の今昔を確かめてみたくなったからでしたが、川崎ぶら『雨の日はいつもレイン』、名瀬樹『アンダー・ラグ・ロッキング』を経て、たどり着いたのがこのシリーズでした。
 シリーズ第一巻が発表されたのは1989年、今からゆうに三十年前。そのころに書かれたものと思えないほど、今読んでもみずみずしいこの青春冒険小説を、ぼくはかつて一度通読したことがありました。今は亡き中学時代の友人から借りて読んだのが90年台半ば、その頃も相当面白かったのですが、それから二十年もの時間が経って再読して、改めて面白いなあと思ったのでした。
 ベスト8に挙げた『白村江』も前述の『ジャズ・カントリー』も、「なにかになる」ことの過程を描いて、普遍性のある物語でした。それはこの『パンゲア』も変わりません。ただ、前述の二つが時を隔てた累計としての「若者の姿」を描くのに対し、『パンゲア』はぼく自身が過ごした経験のある80年代を舞台にしていて、その同時代性が懐かしく思い出されるところがあったのが、より強くみずみずしさを感じさせ、次から次へと繰り出される危機と謎の冒険を楽しませたのだろうと思います。
 それは、この小説の主人公である「イージィ」が、冒険の仲間である、腕利きの傭兵や、大富豪の娘や、腕っ節の強い幼馴染みと異なり、ただの「80年代の少年」であることを抜きにしては語れません。彼は抜きん出た戦闘能力もなく、負けん気もそこまで強くなく、行動するより考える人物ですが、そうした等身大の少年、もっというと「読者の分身」であることが、後半、彼を冒険行の中心人物にさせていきます。「読者だからこそ主人公になれる」なんて、現代のライトノベルにも通じる魅力的なアイディアだと思いませんか?
 ちなみに、作者の松枝蔵人氏は、現在も小説を書かれており……なんと、その発表の場所が「カクヨム」! これもなにかのめぐりあわせかとびっくりしたものでした。

ベスト3

「姉妹たち」(グレッグ・ベア/ハヤカワ文庫『タンジェント』)

人類の遺伝子が解析され、生まれてくる子供を「デザイン」できるようになった未来。親の政治的意向で「デザインされずに」生まれた主人公は、「デザインされ」た「被造[ひぞう]っ子」とくらべて「自染体[しぜんたい]」としての自分の容姿にコンプレックスを持っていた。ある日、「被造っ子」のクラスメイトから「老婆の役をやってほしい」と演劇に誘われて反発したことから、彼女は自分の、そして同級生たちの、未来に待ち受ける運命と対峙せざるを得なくなっていく。

「作られた子供」をめぐる物語をSFとして描いて、百凡の物語が「自然と反自然=文明」の二項対立にとどまるところ、「姉妹たち」は親たちのイデオロギーという政治を持ち込んで、単純な二項対立のその先の普遍性を獲得しています。ですから、「被造っ子」が生まれつき高い知能と引き換えに、死に至る発作を起こす可能性を先天的に秘めている、という展開はクライマックスにはなりえません。まして、それは「自染体」である主人公の勝利でもありません。主人公もまた、「被造っ子」同様、親のイデオロギーによって生まれてきたのですから。
 そして、それは我々のことでもあります。親や時代と行った、自身を産み育ててくれた「因子」を、人はコントロールできないのです。できることは、その揺るがせない現実を踏まえて、己を見、世界を見、考えること。そういう点で、「姉妹たち」はベスト7に挙げた「長距離走者」の兄弟でもあるでしょう。

ベスト2

「この世界、そして花火」(ジム・トンプソン/扶桑社文庫『この世界、そして花火』)

「おれ」とキャロル、双子の兄妹。父が浮気相手の夫に射殺されて以来、酒浸りの母の家で、身を寄せ合って生きてきた。今、「おれ」は結婚を解消して実家へ帰り、結婚と離婚を繰り返しては慰謝料で暮らすキャロルと再会する。他人に自分を愛させては捨てることを繰り返す「おれ」、「おれ」のためなら殺人も辞さないキャロル。乾いた二つの魂は、身を寄せ合うときだけ熱く潤うのだったが……。

かつて、従兄弟たちにレイプされた妹を助けようとして、伯父にボコボコにされたことを思い出して、主人公はこう述懐します。
「どうにもならないんだ。いいか、どうにもならないんだよ。不当な扱いが積み重なって、押しつぶされそうになるんだ。標準は絶えず変わっている。人が変われば、時が変われば、状況が変われば、違うものになる。ある人間のためになることが、別の人間には不利になるかもしれない。だけど、どちらも常にノーマルな立場にいることに変わりはないんだ」
 彼らはいつからかノーマルな立場にいない自分たちを見出してしまいました。その原因がいつ、どこで、なににあったのかは、彼らには知りようもありませんし、そうする必要もありません。彼らはただ嘆いているのです。この世界の真実を。そして、いつからかこの世界からこぼれ落ちてしまった自分たちを。
 こうした、はぐれもの達の物語を描いて、人間存在の根源に迫る小説をノワール小説と言います。そう、彼らは特別な存在ではありません。確かに彼らは近親相姦カップルであり、血も涙もないひとごろしであり、狂っているかもしれません。しかし、彼らの魂は、自分が自分でしかないということの孤独に気づいてしまった魂は、不義を行わず、人を殺しもせず、狂っていないと思われている我々と、なんら変わることがないのです。違うのは、人間存在の本質にある精神活動、自我のネガである孤独に気がついているかどうか。そして、気づかぬものにそれを教え、気づいたものに慰めを与えるのが、ノワール小説なのです。
 そういう点で、この作品は素晴らしい完成度です。中編小説といっていいボリュームがありますが、それだけにあますところなく孤独な魂の彷徨とその末路を描き出して、一読忘れられないものさびしさを残してくれます。

ベスト1

『大東亜忍法帖[完全版]』(荒山徹/アドレナライズ)

幕末維新の騒乱期。命を落とした超絶剣士達が次々と蘇った。千葉周作、男谷精一郎、伊庭軍兵衛、近藤勇、土方歳三、沖田総司など総勢十二人! そして彼らを率いるのは、山田一風斎と名乗る謎の陰陽師。邪神“くとぅるー”の威光を負った彼らの目的は…? 発足したばかりの明治政府に《恐るべき超絶の集団》が襲いかかる!(amazon紹介文より)

 山田風太郎『魔界転生』の本歌取りであり、「クトゥルー神話」の題材を借りたシェアドワールドものであり、荒山徹先生ご本人曰く「久々のラブロマンス」でもあり、剣と魔法と怪奇と伝奇(とちょこっと柳生もあるよ)の一大エンタテインメント小説である『大東亜忍法帖』がついに完全版公開!
 これは個人的に今年一番の事件でした。なんとなれば、『大東亜忍法帖』は、ある事情により、上下巻に分割された上、肝心の下巻の発売が中止されてしまっていたからです。
 もちろん、そういった「外側の事情」と、この作品の内側にある「面白さ」にはなんの関係もありません。荒山先生にお得意の先行作品パロディはもはやマッシュアップとリミックスの域にまで達し、挿入されるアンセムフレーズは当意即妙であるからこそ狙いすました意図に笑いを禁じえませんし、『白村江』でも見せた「骨太なエンタメ作家」としての手腕は、そうしたある種の「やらかし」の中でも本筋を見失いなわず、予想を裏切り期待を裏切らない展開のつるべ打ちで、まさに巻を措く能わずといった感じ。
 さらに、物語の中で生き生きと飛び回り、戦いの中で倒れていく人々が、すべて「何かになりたい」人であることが、今年一年読んできた本を総括するものと思い、堂々のベスト1にランクインさせました。『魔界転生』の〈魔界衆〉に倣った〈擬界[まがい]衆〉はみな、天下泰平の江戸時代に剣士として生きたいと願ったものたちですし、彼らに対する「十兵衛」役を務める主役剣士は、ある事情から剣士として生きることが世の表舞台では叶わなかった人物。彼らはいずれも伝奇小説の主人公を務める人物ですから、もちろん史実上に名を残した人ではありますが、生きてこの世で行われなかったことを、この世の外である「物語」の中で行えるというのもまた、小説を読むことの大きな喜びであります。
 そういう喜びを、ときに読者として、ときに登場人物として体験することが物語の喜びだとするならば、今年一年で最もそうした「読む喜び」を味わえたのが、この『大東亜忍法帖[完全版]』でした。この大傑作が、電子書籍という形態でこの世に「転生」したことこそ、今年一番の喜びだったのです。


 というわけで、ぼくの2017年小説ベスト1は、荒山徹『大東亜忍法帖[完全版]』でした。
 来年はどんなお話が読めるかな? 今からわくわくしております。

 それでは。


(うさぎ小天狗)


タイトルイラスト
ダ鳥獣戯画(http://www.chojugiga.com/



今年読んだ小説は以下のとおりです。黒太字は新刊です。

一月……荒山徹『白村江』、種村季弘編『日本怪談集』上下巻、梁石日『タクシードライバー日誌』、ジェームズ・ルシーノ『ターキン』上下巻、山田風太郎『忍法八犬伝』、アラン・シリトー『長距離走者の孤独』、隆慶一郎『鬼麿斬人剣』、東野司『赤い涙』、R・E・ハワード『黒い海岸の女王』、ナット・ヘントフ『ジャズ・カントリー』

二月……ブルース・スターリング『タクラマカン』、カレン・ジョイ・ファウラー『ジェイン・オースティンの読書会』、E・F・ラッセル『私は”無”』、安倍ヨリミ『スフィンクスは笑う』、フレッド・セイバーヘーゲン『バーサーカー:赤方偏移の仮面』

三月……フレッド・セイバーヘーゲン『バーサーカー:星のオルフェ』、プラトン『饗宴』光文社古典新訳文庫版、大藪春彦『野獣死すべし』『餓狼の弾痕』、水見稜『マインド・イーター[完全版]』、鳥海永行『時の影』

四月……マイケル・クライトン『アンドロメダ病原体』、ジェフ・ヴァンダミア『全滅領域』、ハーラン・エリスン『ヒトラーの描いた薔薇』

五月……テッド・チャン『あなたの人生の物語』、アルフレッド・ベスター『ピー・アイ・マン』、北村薫『盤上の敵』、船戸与一『カルナヴァル戦記』

六月……マーク・レイドロー『パパの原発』、トネ・コーケン『スーパーカブ』、川崎ぶら『雨の日はいつもレイン』、名瀬樹『アンダー・ラグ・ロッキング』

七月……神林長平『七胴落し』、富野由悠季『密会 アムロとララァ』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』

八月……山田風太郎『かげろう忍法帖』『野ざらし忍法帖』『忍者月影抄』、松枝蔵人『パンゲア』一・二巻

九月……松枝蔵人『パンゲア』三・四巻、光瀬龍『錆た銀河』、荒山徹『大東亜忍法帖[完全版]』

十月……エイモス・チュツオーラ『薬草まじない』、山田正紀『地球・精神分析記録』

十一月……マックス・アラン・コリンズ『デイライト』、グレッグ・ベア『タンジェント』、ジム・トンプソン『この世界、そして花火』、椎名誠『埠頭三角暗闇市場』

十二月……スティーヴン・ハンター『ダーティ・ホワイト・ボーイズ』、小池一夫『夢源氏剣祭文』



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