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2017年映画ベスト10

ごあいさつ
 こんにちは、うさぎ小天狗です。
 こちらでは、ぼくが2017年に見た映画(劇場、DVD、ネット配信など観賞形態は問わず)の中から、厳選したベスト10を発表します。
 ベスト10からベスト1までのランキング形式になっておりますので、ゆっくりとスクロールしてお楽しみください。

ベスト10

『ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー』

 もはやエンタメ史上地球最大規模の連作であり、今後二十世紀史の一事件にも数えられるだろう『スター・ウォーズ』。その第一作『新たなる希望』の直前に至るまでを描く外伝である『ローグ・ワン』は、先行する「その後の物語」が示すように、あらかじめ「味方の全滅」が約束されていたお話でした。しかし、だからこそ、本作は「死にゆく人々」がその生命を振り絞って何事かを成し遂げる過程をこれでもかと描くことができたのだと思います。
『新たなる希望』から『ジェダイの逆襲』に至る第一期、その前日譚としての『ファントム・メナス』から『シスの復讐』に至る第二期は、基本的には「選ばれし者の系譜」の物語でした(正確には「新たなる希望」のみ、公開時点では「選ばれし者の系譜」の物語ではないのですが……)。これらは壮大な銀河の伝説として無類の面白さを誇りますが、同時に「選ばれし者をめぐる閉じたドラマなってしまう」という暗黒面をもっていました。しかし、外伝である『ローグ・ワン』は、外伝であるがゆえにこの暗黒面の閉鎖を免れています。しかも、あらかじめ決められた滅びの運命の中で、死にゆく人々がどれだけ輝かしく命を燃やしたかを描き出すことで、生まれては死ぬ生命の普遍性と、死すべきさだめの生き物が「なにか」を継承することで世界の明日を切り開くという希望の本質に迫って、サーガ史上最も誠実な作品との印象を受けました。
 ていうか、ぼくは個人的に、この『ローグ・ワン』が、『スター・ウォーズ』シリーズ中最もかっこよく、最も現実的で、最も美しい物語だと思っています。それは、この作品が、現代史の中で恐るべき巨大サーガとなってしまった『スター・ウォーズ』が生まれたときにもっていた精神――「名もなき誰かが命を振り絞って未来を切り開く」というテーマ――に立ち返った作品であると考えるからです。

ベスト9

『ワンダーウーマン』

 この世の楽園と言って過言でない自然豊かな島で育った少女は、自分たちの祖先が戦神アレスの蛮行から世界を守ったように、いつか自分も世界を守る戦士になりたいと願っていました。少女は長じて島に生きるアマゾネス戦士の一人となった自身にワンダーな力が宿っていることを知り、時を同じくして島に流れ着いた男を助けたことから、神秘の力で守られた島を離れ、戦神アレスの蛮行に蝕まれた世界を救わんとする旅に出ました。しかしそこで彼女が直面したのは、昔語りに聞いた華々しいいさおしの世界ではなく、銃弾と砲撃だけが飛び交う無人地帯と、毒ガスが敵対地域の村人を虐殺する殲滅戦、そして姿を見せず暗躍する戦神アレスのごとき「正義」というイデオロギーに踊らされたものたちの蛮行――第一次世界大戦の現実でした。
 アメリカン・コミックス二大巨頭の一柱・DCコミックスの女性ヒーローとして1941年から活躍を続け、昨年公開された『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』でも華々しい活躍を見せたワンダーウーマン、彼女の単独主演映画である今作は、その少女時代からヒーローとしての自己を確立するまでの「誕生秘話[オリジン]」となっています。そして、今作はそのコンセプトに相応しい、夢の終わりの苦味と、現実を足下に感じながら踏み出す一歩の重みを描いた傑作であると思います。
 個人的には、特に中盤、ワンダーな力を持つとはいえまだ少女だった主人公ダイアナが、初めて自らの意思で戦いを始める無人地帯のシークェンスにグッときました。といっても、それはこのシークェンスでの彼女がかっこいいと思ったからではありません。その逆で、ぼくはこのシークェンスのダイアナをみっともないと思いました。雄壮な音楽とともに飛び出したはいいものの、機関銃の火線に釘付けにされてしまう。
 結果的には彼女を守ろうと飛び出した男たちに助けられて敵兵を蹴散らすも、彼女の勇気は空回りしていると言っていいでしょう。でも、だからいい。なぜならこのお話は、ワンダーな力を持っていてもただの少女[ガール]でしかなかったダイアナが、心に描いた自分勝手な夢を現実に打ち砕かれ、しかしその現実の前に屈せず、自分勝手でない夢のために立ち上がる存在=ヒーローになるまでを描いた物語だからです。そういう意味で、先の無人地帯のみっともなさは、その後にダイアナが「真にワンダーな女性[ウーマン]」に成長し、この物語が完成するために必要なみっともなさだったと思うのです。

ベスト8

『ブレードランナー2049』

 1982年に公開された映画『ブレードランナー』は、公開当時こそさっぱり集客のふるわない映画でしたが、その後のビデオリリースとレンタルビデオブームによって人気を博し、さまざまな解釈の飛び交うカルトムービーとなりました。ゆっくりと衰退していく人類の文明を描いて退廃的なビジュアルの中で、言葉少なに語られる物語はスタイリッシュなたたずまいとともに解釈を誘うスキが多く謎めいていたのです。
 でも、ぼくは昔から、この映画が、みんなが喧々諤々と解釈を語り交わすにふさわしい、深みのある映画とは思えませんでした。それよりも、原作にあたるフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のほうが、人間のどうしようもなさと、それでも生きていかざるをえない哀愁、そしてそうしたどうしようもない存在を優しく見つめる「愛」ある宇宙を描いて、素晴らしい作品だと思っていました。
 だから、ぼくが『ブレードランナー2049』を素晴らしい映画だと思ったのは、この映画が前作にあたる映画『ブレードランナー』よりも、原作にあたる『アンドロイド~』に近い作品だったからです。というより、『2049』ははっきりと、『アンドロイド~』から流れ出て『ブレードランナー』を経由したテーゼを核に持つ「『ブレードランナー』の続編」というよりは「『アンドロイド~』の再映画化」であったと言い切ってもいいでしょう。
『アンドロイド~』から流れ出た核とは、実存的孤独です。そして、ディックはそうした実存的孤独にあえぐものたちが、自身の実存的孤独との苦闘をそっちのけで、同じような実存的孤独を持つ存在を救うところに人間性が、があるのだと考えていました(この辺はディックの論文「人間とアンドロイドと機械」に詳しいです)。『2049』はこのを、さまざまな角度から描くことに成功しています。ただひたすら相手を愛するように作られたホログラム存在のJOY、彼女に愛され彼女を愛することで実存的孤独の脅威から逃れようとするK、そして自身の特別性を信じて疑わないLOVEの「被造物」三者はいうに及ばず、この物語のマクガフィンである「レプリカントが産んだ子供」と、マクガフィンを追う過程でKと観客の前に姿をあらわす前作の主人公デッカードもまた、愛という人間性の証明を求めながら、自らそれを体現する存在です。ということは、そんな彼らが交錯するこの物語は、まごうかたなき「愛テーマ」の物語であり、その物語世界はディックが感覚していた「愛ある宇宙」にほかなりません。
 しかし、そんな「愛ある宇宙」は、実は人の実存的孤独を癒やしはしません。人は常に独り、たとえ誰かに愛されようとも、誰かを愛そうとも、いえ、愛するがゆえに孤独でありつづける。そんな世界で孤独に負けずに生きていくために必要なものはなにか。クライマックス直前、Kが雨の中見たものこそ、その答えであり、ディックの出した結論と同じものだと思ったのでした。

ベスト7

『復讐するは我にあり』

 実在の連続殺人事件を取材した実録犯罪小説が原作のこの映画、そもそも原作からして取材時の取材者/被取材者双方の意識的フィルターや、執筆時の構成などを経て作られたものであり、現実と隔たっているところに、それが演じられ編集されることで、現実とはそうとうかけ離れたものになっているはず。ということは、この手の「現実に取材した(作品を題材にした)映画」の意図とは、現実そのものを伝えることではなく、目に見える現実の裏側にあるものを想像力によって膨らませて、ある解釈を提示するところにあるでしょう。
 そういう点で、この映画は傑作です。まずキャスティングがすごい。主人公である連続殺人鬼に緒方拳、彼の妻に倍賞美津子、彼の父に三國連太郎。いずれも芸達者と一口に言うだけでは説明のつかない凄みを持った役者陣で、三人のアンサンブルを見ているだけでも極上のサスペンスを味わえます。そして構成が演出と編集がすごい。特にキリスト者でありながら犯罪者となった主人公にとって「絶対の敵」であるとともに「同じもの」である父を演じた三國連太郎の悟り済ました顔を映して、その裏側に隠しきれない獣性をのぞかせて、映画は見ているこちらにある解釈を投げかけます。
 中盤、「あの人と一緒になったのは、お父さんと一緒にいたかったからです」と息子の妻に言い寄られ、おっぱいを揉んでしまう三國連太郎の表情。終盤、息子に「おれが本当に殺したかったのは、復讐したかったのは、あんただ」と睨みつけられる三國連太郎の表情。そこには「こんなことになってしまった」ことへの困惑があるばかり、彼は何も言葉を発しません。人の妻に愛されて沈黙し、罪を背負った息子に憎しみをぶつけられて沈黙する父――これは「」の謂でしょう。すると、主人公の妻を演じる倍賞美津子に運命の男を身ごもった「聖母」が、主人公を演じる緒方拳の顔に裁きの丘で磔になった「あの人」の姿が、二重写しにかぶさってくるのです。
 つまり、この映画は「罪」というものに関する人類普遍の解釈を模索したものであり、「罪」を通して人間存在の根源――それをこそ我らは「神」というのではないか――に迫る物語ということができるのです。
 もちろん、これはたくさんある解釈の一つに過ぎません。でも、そういう読みを可能にする、言葉で語らず絵で語るすばらしい映画であることは間違いありません。

ベスト6

『彼女がその名を知らない鳥たち』

 主人公の十和子は身勝手な女です。姉の心配を他所に妻子ある男性と関係し、その男性の心を無視して彼を深く愛し、彼に捨てられてのちは同棲することになった十五歳年上の男性の金で暮らしながら、思うに任せない生活の不満を彼にぶつけ、別の男性に抱かれます。それは、彼女が現実に存在する男たちではなく、彼女自身を愛しているからです。ここではないどこかに憧れながら、具体的に行動することはなくいつも他人任せ。その証拠に、この物語は、彼女が「止まった時計」の「交換」に関して、デパートの時計売り場に「クレームを入れる」ところから始まります。
 主人公の十和子は身勝手な女です。そして、それは我々のことでもあります。自分自身を愛するあまり、他人の気持ちを見ようともせず、自分ばかり見ているくせに自分がやらかしてしまったことを客観視できない我々と、十和子の間にどんな違いが有るでしょうか。
 こうした「真実」を描いて、『彼女がその名を知らない鳥たち』は、出色のノワール映画であります。そう、たとえ表向き犯罪が描かれなくとも、「自分自身が隠蔽した真実」への対峙を否応なくさせられることが描かれ、人間存在の深奥にある実存的孤独に至る物語は、ジム・トンプソンやジェイムズ・M・ケインの作品が血なまぐさい犯罪の影にさびしい人間たちの心の叫びを描いたように、孤独という「黒[ノワール]」のある人生を描く物語にほかならないのです。
 そうそう、ノワール物語には、主人公を惑わし、結果的に実存的孤独との対峙へ誘う異者=「運命の女[ファム・ファタル]」が登場しますが、主人公が女性であることから、その役割を務めるのが男性であるところに、このお話の特色があると思います。特に主人公の忘れがたい恋の相手を演じた竹野内豊氏のキモチワルイ演技は最高でした。Die!Bitch,Die!

ベスト5

『ヘルケバブ 悪魔の肉肉パーティ』

「ヘルケバブ 悪魔の肉肉パーティ」なんて、トロマ・エンターテイメント制作のやりすぎスプラッタバカホラーみたいなタイトルがついていますが、これはどシリアスな傑作ホラーです。歪んだ時空に囚われてしまった人々の恐怖を描いて、ぼくが個人的に敬愛するラヴクラフトの宇宙的恐怖に接近する、「人間のちっぽけさ」のお話。
 ですから、この映画は多くの方にはオススメしません。扱っているテーマ自体はこれまでぼくがベストに上げてきた作品と同じく「実存的孤独ありきの人生」ですが、それを物語る語り口――主人公が少年自体に見た夢、現実と見分けがつかない幻想の景色、この世のものとは思えないおぞましい邪教の儀式――そうしたシークェンスはすべて象徴であり、そこに何を見るかは人それぞれだからです。ぼくが思うような結論を読み解かない人もいるでしょうし、見た目のグロさや意味不明さに辟易してしまう人もいるでしょう。個人的にはそうしたものの先にある真意を読み取っていただければと思いますが、ネット上に散見される感想を見るにつけ、やはりぼくの感想はぼくだけの妄想なのじゃないかと思ってしまいもするのです。
 とまれ、そうした個人的感想こそ、万人普遍の「物語の楽しみ方」にほかなりません。あなたはこの作品を「支離滅裂で下手くそなだけのただのスプラッタホラー」と見ますか? それとも「無限の時間と空間の中であがくちっぽけな人間の限界を喝破した物語」と見ますか? それはあなたの理解度と気分次第……。

ベスト4

『KARATE KILL』

 この映画を見ている間、ぼくは幸せでした。なんとなれば、この映画には、ぼくが大好きなものがすべて詰まっているからです。すなわち、愛するものを奪われた男の復讐求める道へ導いてくれる女性理解可能で共感不能な敵格闘技vs様々な武器のトーナメント形式のバトルゴア恋愛でなく盟友としての男女関係悔恨限界突破する精神が導く肉体の限界突破、そして現実的な着地。ぼくが映画に求めるもののすべてがこの映画には詰まっていました。
 特筆すべきは三つ。一つは主演のHAYATE氏。アクション・スターであり、スタント・コーディネーターでもある彼のアクションのすべてが格好いい。彼が1980年の生まれであること、この映画の中で「妹を守るためならなんでもする兄である」ことも、彼を格好いいと思う理由でしょう。ぼくも彼と同じ1980年の生まれであり、作中彼が演じる主人公同様、妹がいるからです。
 二つ目は監督の光武蔵人氏。彼のメジャーデビュー作『サムライアベンジャー/復讐剣 盲狼』は、勝新太郎の娯楽時代劇「座頭市」シリーズと小池一夫先生原作の劇画をマッシュアップさせた傑作で、一見、この人は信用できるクリエイターだと思ったものです。その光武氏が全力を傾けた作品、面白くないはずがありません。
 そして三つ目、これが個人的には最大の理由なのですが、ヒロインを演じた亜沙美さんが美しかった。彼女が演じた役は、主人公の妹を拉致したカルト教団にとらわれていた過去を持つ片腕の女(バイオレレンスアクション映画『ローリング・サンダー』のオマージュ)で、主人公の相棒というポジション。狂気の殺人集団に徒手空拳で挑む主人公の相棒であり、過去の傷を癒やすためカルト教団に挑む復讐者[リヴェンジャー]であり、そして主人公が作中たった一度愛を交わす相手を、元AV女優、いや、濡れ場を避けない女優としての亜沙美氏が演じるのを見ることは、ただ眼福と言うだけでなく、恥ずかしげもなく申せば「理想の恋人を見つけた気分」でした。正直、ここまで胸キュンするヒロインは初めてでした。ポンプ式ショットガンを片手でリロードする亜沙美さん、鉤爪の義手でコルト45口径の遊底を引く亜沙美さん、死地に赴く前夜に刹那の愛を交わす亜沙美さん、そのすべてが格好良く色っぽく美しい
 個人的に理想のヒロインが活躍し、個人的に信頼できる監督によって自分と共通点の多いヒーローが血みどろのバトルを繰り広げる物語を好きにならずにはいられません。

ベスト3

『バーフバリ 伝説誕生』

 インド文化圏に伝わる伝説にある王国「マヒシュマティ」を舞台にしたヒロイックファンタジ……という以上に語る言葉を持たない大傑作です。
 映画とはなにかと問われたら、ぼくは黒澤明氏の「絵画と音楽と文藝が合わさった総合芸術」(大意)という言葉を金科玉条としていました。そこへ「すべての物語の原型である神話」と「神話を語る技術としての叙事詩」という要素をぶちこんだ、いわばエクストリーム総合芸術がこの「バーフバリ」です。
 この世にあるすべての物語は、その生まれた土地と、生まれた時代と不可分な「文化」によって制限を受けます。この要素があるから、物語は世代や経験によって受け入れられたり受け入れられなかったりします。個人的なことを申せば、90年代までのジュヴナイル/ファンタジア&スニーカー文庫には共感できても00年代以降のライトノベルになかなか共感できないのは、この「世代と経験」のせいです。つまり、物語とは受け手の主観に評価を強く左右されるものなのです。この問題をクリアするために、送り手は様々なテクニックを駆使します。
 そして、この『バーフバリ』は、そのテクニックを「英雄神話」に求めました。いや、そんな意識すらなかったのかもしれません。いずれにしろ、どの土地の、どの時代の、どの民族でも持っている普遍的な英雄像、すなわち「自分がじぶんであるからこそ立ちはだかる運命の障害に、自分が自分であるからこそ打ち勝つことができる」という人類普遍の理想像を、最新の映像美で描かれて納得しない人間はいないと思われます。
 2017年12月29日公開の続編への期待を抜きにしても、すばらしい映像体験でした。

ベスト2

『イット・フォローズ』

 この世で一番普遍性をもつ存在は何者か――そう問われてあなたはなんと答えるでしょうか。ぼくはこう答えます、「それは思春期の少年少女である」と。
 なぜならば、思春期を経験しない人間はいないからです。だから。思春期の少年少女が「変化すること」――自分は永遠に自分ではなく、いつか違う何かになってしまうこと――すなわち「大人になる」こと、そして「いつか死ぬこと」について考える物語ほど、誰の心にも届く物語はありません。そういう点で、「命あるものはいつか死ぬこと」という事実から受ける漠然とした不安を「イット・フォローズ[追ってくるもの]」という怪物として描いたこの映画は、永遠に讃えられるべき一作となったと思います。
 もちろん、このアイディアを具体的な映像の形に落とし込もうとして果たせなかった映画はたくさんあります。それらの映画と異なり、この映画がそうしたイメージをしっかりと具体的な映像に落とし込めたのはなぜか――それは、「果たせなかった映画達」を参考にしたからだ、とぼくは思います。
 かの有名な『徒然草』で、兼好法師は「先達はあらまほしきことなり」と言いましたが、そうした先人の失敗と志に習った/倣ったことが、この80年代スラッシャーホラーへのオマージュを捧げた映画を――セックスという他者との交歓を題材にしながらも逆説的に――思春期に誰もが経験する忘れがたい寂しさへと導く傑作ホラーたらしめているのだろうと思います。

ベスト1

『スパイダーマン:ホームカミング』

 これまでのすべての映画を貫く、2017年のぼくの評価基準は何か――この文章をお読みになった方は、もうお気づきのこととと思います。そう、それは「主観的な没入感」、すなわち共感です。これ以上に普遍的な「物語への没入感の理由」はないでしょう。そして、だからこそ、物語を語るということには、それが小説であれ映画であれマンガであれ、受け手の共感をいかにして獲得するかがテクニックとして問われるのです。
 そうした観点に立って、今年一年の映画を振り返ってみると、やはり一番エモーショナルだったのはこの『スパイダーマン:ホームカミング』だったと言わざるを得ません。そもそも、「卒業生と在校生が交わる場所」である「ホームカミング・デイ」を舞台として、ヒーローである前に思春期の少年である存在として再定義されたスパイダーマンが主役だなんて、流行り言葉で言うところの「エモさ」に満ちているでしょ! 共感して感動しないわけにはいかないでしょ!
 ですから、この映画は全編見どころといっていいです。大河な連作映画シリーズいわゆる「マーベル・シネマティック・ユニバース」の一作であるということを抜きにしても、一人の少年の成長にまつわる苦闘と苦味、そのジレンマへの解決策としての具体的な行動を描いて、『ホームカミング』は『ブレックファスト・クラブ』や『フェリスはある朝突然に』に匹敵する、いや、それを踏まえた上でのあらなマスターピースと言っていいと思います。
 もしあなたが、この文章を読んでいるあなたが、新春なにをしていいかわからず、とりあえずレンタルビデオ店に向かおうとしているなら、悪いことは言いません、『ホームカミング』を御覧なさい。消して損はさせませんよ。――そういい切って後悔のない大傑作です。


 というわけで、ぼくの2017年映画ベスト1は、『スパイダーマン:ホームカミング』でした。
 来年はどんな映画がみられるのかな? 今からわくわくしております。

 それでは。


(うさぎ小天狗)


タイトルイラスト
ダ鳥獣戯画(http://www.chojugiga.com/



 ちなみに、今年見た映画は以下のとおりです。黒太字は劇場で鑑賞したものです。

一月……『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』、『ゴースト・バスターズ(2016)』、『スーサイド・スクワッド』、『GARM WARS』

二月……『GOEMON』、『ジャッカルの日』、『アウトロー』

三月……『ラ・ラ・ランド』、『柳生一族の陰謀』、『L♡DK』、『クリムゾン・ピーク』、『シン・ゴジラ』

四月……『ヴィジット』、『セーラー服と機関銃・卒業』、『KARATE KILL』、『ザ・コール』、『レモ 第一の挑戦』、『シェフ 三ツ星フードトラックはじめました』、『ローリング・サンダー』、『トロピック・サンダー』、『26世紀青年』、『インビジブル』

五月……『バトルシップ』

六月……『ハムナプトラ2』、『ダーク・クリスタル』、『ザ・コンサルタント』、『ヘルケバブ 地獄の肉肉パーティ』、『ドント・ブリーズ』、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
七月……『血まみれスケバンチェーンソー』、『スペクターズ』、『メッセージ』、『13日の金曜日・完結編』、『コラテラル』

八月……『スパイダーマン:ホームカミング』『ワンダーウーマン』、『赤い影』

九月……『ダークシティ』、『HIGH&LOW THE MOVIE2:END OF THE SKY』、『エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊BOPE』、『いつかギラギラする日』、『復讐するは我にあり』、『キング・コング:髑髏島の巨神』、『バーフバリ 伝説誕生』

十月……『アシュラ』、『闇金ドッグス』、『闇金ドッグス2』、『闇金ドッグス3』『ブレードランナー2049』

十一月……『マグニフィセント・セブン』、『キラー・インサイド・ミー』、『彼女がその名を知らない鳥たち』

十二月……『ディーパンの闘い』、『デンジャラス・マインド』、『イット・フォローズ』、『ブレックファスト・クラブ』、『ダークマン』

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