鬼の棲む世界遺産に行ってきた 【GW近畿一人旅①】
「3年ぶり制限なしGW」から早くも1ヶ月が経とうとしている。
日本に住む多くの旅行好き同様、
GWに私も仕事のことはミスチルのように蹴っ飛ばして
近畿地方を一人旅してきた。
せっかく旅に行って「あ~楽しかった」ってだけで
何も残さずこのまま時が過ぎるというのも
どこかなんとなくもったいない感があったので
こうやってnoteにまとめていこうと思った次第。
なお、「近畿地方の一人旅」と書いたが
実際回ったのは三重県、和歌山県、大阪府、京都府、奈良県の5府県。
兵庫と滋賀には行ってないのでそこはお見知り置きを。
(滋賀は高速道路で一瞬通ったけど)
合計で8泊したのでまあまあの長編になりそう。
まあ見切り発車で書いて行くとするか。
私が出発したのはGWが始まる前日の4月28日。
仕事を終えた私はそのまま夜東京を出発し、
『ハライチのターン!』や『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら
高速道路を駆けた。
オードリーのラジオはTRFのSAMとDJ KOOがゲストの回で、
これがまた腹を抱えて笑えるほど面白かったので
ラジオ好きには是非聴いてもらいたい。
そんな調子で私はガソリン残量がギリギリになるまで走り続け、
三重県津市の「安濃SA」で車中泊をした。
翌朝4月29日。
GWの初日は4:30に起きてサービスエリアを出発。
私と愛車はまず三重県熊野市にたどり着いた。
私が熊野市に来たメインの目的は
ズバリ「鬼ヶ城」に行くことだった。
『鬼滅の刃』の映画もさすがに上映していないそんな今この時期、
そもそもなぜこの「鬼ヶ城」を目指していたのかというと、
みなさんはGoogleマップで日本探検はしたことはあるだろうか。
その名のとおり、「スマホのGoogleマップアプリで日本を探検する行為」だ。
スマホさえあれば簡単に世界旅行ができる、
ITの進歩に身震いしつつも
常に人は己の指先で行く場所を探し求めているのだ。
そんなとある日、いつものように
Googleマップで日本探検をしていたところ、
この場所に「世界遺産」という表記を見かけた。
大学生の頃世界遺産の授業を受けていた私は
多少世界遺産に対して素養があるはずだったが、
こんな紀伊半島の果てオブ果てみたいな場所に
世界遺産があることなんてまったく知らなかった。
そのため、この「鬼ヶ城」という場所が
一体どのような景色の場所なのか、ずっと気になっていたのだ。
そしてこの日、
私の頭の片隅でずっと奇妙な存在感を醸し出していた
「鬼ヶ城」にようやく来ることができた。
まず駐車場に車を停めると
2人の鬼が意外にも礼儀正しくお辞儀をしてお出迎え。
秋田の男鹿半島でもこんな鬼を見たような覚えがある。
あれはなまはげだから違うのか。
駐車場の周りには観光案内所やレストラン的な建物もあったが
この時朝の7時前。当然やってるはずもなかった。
この看板を見る限り、とりあえず海に向かって歩けとのことなので
鬼殺隊の気持ちになって海の方に向かって歩いてみた。
最近のPCは「きさつたい」と打つとちゃんと「鬼殺隊」って
変換されるんだね。鬼滅の刃って本当すごい。
ちなみにこの「マブリカ」を見た時、
脳内で米津玄師の『パプリカ』が流れたのは
きっと私だけではないはず。
しばらく歩くと、その「鬼ヶ城」は姿を現すのであった。
私が第一印象で感じたのは、
「岩がすごくとんがっている」。
普段小説を読んでる方からしたら
なんともみすぼらしい感想だろうが、
だってとんがってるんだもの。
ポケモンでああいう感じのツノ生えてるヤツいた気がするもん。
ドラゴンタイプの。
ポケモンはダイパ(DS時代)までしかやったことないけど。
もう少し近づいてみると、
まるで人が通れるようにわざと人工的に開けたかのような穴がある。
これ本当に自然の力でできたのだろうか?
お前の見た目はあまりにも「入り口」過ぎる。
身長180cm超え、女子から見たらいわゆる「高身長男子」である私は
背中を曲げ、過去に経験したヘルニアが再発しないか憂慮しながら
この入り口みたいなトンネルをくぐった。
地面を踏む感覚が人工物から自然物へと変わったと
感じ始めた矢先に待ち構えていたのは
圧巻の「大自然です」。
岩肌ダイレクト。
我々人間が鍾乳洞でよく目にする「洞窟の壁」が外に剥き出しになっており、
ルー語のようなものが自然に出てくる。
これらの凝灰岩は海風蝕と地震による隆起でこんな不思議な形になったらしい。
自然のパワーってすごい。
そして岩肌から振り返ると海。
若干曇ってはいたものの、
ちっぽけで不甲斐ない私が自然の壮大さを感じるには十分だった。
こういう階段になってる岩、
さすがにこれは人が作ったのだろうか。
一人でふらふらと歩いてると、
途中崖で釣りをしている釣り人達を多く見かけた。
何か釣れるのだろうか。朝早くからお疲れ様です。
道はまだまだ続いており、
この先の道はずっと崖っぷち。
市からのお気持ち的な感じで一応簡易的な柵があるが
ちょっと躓いたらすぐ乗り越えてしまいそうだし、
乗り越えてしまったら最後、
釣り人に拾い上げてもらう以外
さすがに助からない気がする。
よく「俺の人生はずっと崖っぷち」だと
不幸なことなのになぜか自慢してくる人がいるが
あの方達はこんな道を歩いたことがあるのだろうか?
しばらく歩いたところでようやく説明看板。
君、出てくるタイミング遅過ぎやしないか?
ほうほう、なんでもこの鬼ヶ城には伝説があったらしい。
この伝説について少し解説しようと思う。
余談になるので歴史が嫌いな人は読み飛ばしてもらっても構わない。
上の説明に記載されている
桓武(かんむ)天皇といえば、794年に都を平安京に移したってので有名な御人。
「鳴くよウグイス平安京」のあの人。
そして坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、
こちらの名前は学校の授業で聞き覚えがある人が多いのではないだろうか。
そう、日本初の征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の人。
彼らがいた平安時代の頃は
当時朝廷に従っていなかった蝦夷(えみし)と呼ばれる、
東北地方の豪族達のことを指した言葉で、
都の人間からすると「我々に逆らう野蛮人」的なイメージがあったので
ある意味差別用語的なニュアンスがあったよう。
そしてその蝦夷を討伐するために作られた役職が
「征夷大将軍」。
「夷」を「征」するだからね。
それに指名されたのが先ほど説明した坂上田村麻呂。
彼は実際に東北に行って蝦夷と戦ったりしていた模様。
そしてこの「征夷」の「夷」は、
なんでも東北の奴らだけを指しているのではなく、
要は「野蛮な奴ら」という意味だったようで、
その意味の範囲は東北だけに留まらなかったよう。
そのため坂上田村麻呂は東北以外でも軍事活動をしていたらしい。
その軍事活動の一つにあたるのがこの鬼ヶ城での海賊討伐。
先ほどの写真の説明によると
当時この海域にいた海賊達は鬼と恐れられていたようで、
坂上田村麻呂は実質当時の鬼殺隊的な感じで
鬼を征伐したようだ。
そしてこの地は「鬼が住んでいた」という伝説から
「鬼の岩屋」と呼ばれるようになり、
そのうち「鬼ヶ城」と呼ばれるようになったらしい。
というのが私の解釈も踏まえた
「鬼ヶ城伝説」の説明である。
一見お城っぽい見た目ではないのに
「鬼ヶ城」と呼ばれている理由に関しても
個人的には合点がいった。
崖っぷちの道はまだまだ続いており、
高所恐怖症の私は怯えながら進んだ。
ちなみにこの時ここを散歩していたのは
マジで私一人だけだったので
本当にゴールデンウィークが始まったのかと
疑いたくなった。
この調子で足を進めていた私だが、
このまま歩き続けていいのだろうかと一度足を止め
Googleマップ先生に頼る。
こんな場所でも電波が通じるというのにまず驚いたが、
このままずっと歩き続けた場合
私の行き着く先は山を挟んで駐車場とは反対側の場所
だということが分かった。
まあつまりはこのままゴールしてしまうと、
駐車場に戻るのに2km以上も歩かないといけないということが
分かったということ。
鬼ヶ城の散策ルート的には大体半分くらいの場所まで
到達していた私だが、
意外と鬼ヶ城への到着が7時くらいになってしまったことと
(本当は6時くらいに着く予定だった)
この先の旅の予定を考えると
これ以上ここで散策している時間はない、
と判断し、私は歩いて来たルートを戻ることに決めた。
帰り道、先ほど見かけた釣り人達を
もう一度見かけたが、
魚が釣れている様子はまったくなかった。
散策ルートを最後まで歩けなかったのは
やや残念だったものの、
ここに来た時に感じた自然のパワーというのは
今でも忘れられない。
海の目の前というロケーションもあって
世界遺産に認定されるいうのも十分納得である。
さて、この後駐車場に戻った私は
朝ごはんを求めこちらのパン屋さんに向かった。
事前にこのパン屋さんが朝7時半から営業しているのは調査済みである。
パン屋さんの名前は「ビスモルゲン」。
熊野市では人気のパン屋さんらしく、
県外からもここのパンを求めて来る人が多いらしい。
こんな紀伊半島の端っこまでパンを求めに来るって
すごいことだと思う。
7時半オープンちょうどに行ったところ、
すでに6〜7名のお客さんがトング片手にパンを眺めていた。
やはり人気というのは確からしい。
数多く並んだパンの中から、私が選んだのはこちらの3つ。
クリームチーズデニッシュ ¥220
てりたま ¥160
チョコクロ ¥70
安い。
レジに並んでいる時、前で会計をしていた
主婦さんがかなりの量のパンを買い込んでいて
会計が3000円くらいになっていた。
パン屋ではなかなか見ない金額だ。
その会計はなかなかの時間を要したが、
その主婦さんは会計を終えると
後ろに並んでいた私達に向かって
「お待たせしてすいません」
と一言言ってからお店を後にした。
周りに気を遣える素敵な奥さんだと思った。
結婚してほしい。
その後車で移動し、すぐ近くにある
「道の駅 熊野・花の窟」に車を停め、
そこでパンを頂いた。特にてりたまが美味しかった。
道の駅は当然まだ営業してなかった。
この時点でまだ朝の8時前。旅はまだまだ始まったばかり。
そしてこのたった1時間の出来事を書くのに
気づいたら4000文字を超えてしまっているではないか。
こんな記事を読み続けてくれた人は
きっと疲弊しているに違いない。
ここらでいったん一休みして
続きはまた別の記事で書こうと思う。
次回は丸山千枚田、赤木城、熊野本宮を回った話をする予定です。
■今回行った場所
●鬼ヶ城
・住所:三重県熊野市木本町183
・アクセス:①JR紀勢本線「熊野市駅」から「大又大久保行き」バス約5分
「鬼ヶ城東口」下車すぐ
②熊野尾鷲道路「熊野大泊IC」から南へ車で約1分
・営業時間:24時間営業
・定休日:なし
・駐車場:あり
・入場料:無料
●ビスモルゲン(パン屋)
・住所:三重県熊野市木本町677
・アクセス:「熊野市」駅から徒歩4分
・営業時間:AM7:30~PM18:30
・定休日:月曜
・駐車場:あり(店の隣の敷地に4台分くらい)
・支払い方法:現金のみ
●道の駅 熊野・花の窟
・住所:三重県熊野市有馬町137
・アクセス:熊野尾鷲道路「熊野大泊IC」から南へ車で約7分
・営業時間:10:00~17:00(季節によって終了時間の変更あり)
・定休日:なし
・駐車場:あり
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