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当たり前とは

この仕事をしていると、不登校の子や発達障害を抱えている子、家庭環境があまりよくない子など、「普通じゃない」子と出会う。

今、私は「普通じゃない」という言葉をあえて使ったのだけど、そもそも「普通」とは何なのかという話になる。

みんな(と思っているちっぽけな集団)と違っていると「普通じゃない」

自分の当たり前と違っていると「普通じゃない」

少数派だと「普通じゃない」

変わった服装をしていると「普通じゃない」

理解の範疇を越えると「普通じゃない」

おそらく「普通」とは、平均的な状態を指すのだろう。


クラスでも大人社会でも、人を見下す人は存在するし、反対に劣等感を感じている人もいる。人間社会はデフォルトでそんな風にできているといったらそれまでなのかもしれない。だけど、私はクラスのみんながハッピーに生きてほしいと願っているので、いじめとか、馬鹿にするような変な空気がクラスに漂ったり、それに対して悩んでいる子がいたりしたら寄り添える大人でありたいと思っている。そのためにはいつもアンテナを張って空気を読める大人でないといけない。

「普通じゃない」子は仲間外れにされたり、疎外感を感じていたりすることが多い。ここで思い出すのはさかなクンの「いじめられている子への言葉」だ。(気になる人、調べてみてね)さかなクンのメッセージはいじめられている子に向けられているけれど、私は「普通じゃない」子にも向けられていると思っている。

自分の「普通じゃない」部分といえば?と考えてみると、「片耳難聴」で補聴器ユーザーということだろうか。

難聴が原因で言葉の発音が周りと違っていて(自分ではわからないのだけど)それを周囲に真似されて笑われたことがある。別にそれはいじめではなく「いじり」だったのだけど悲しい気持ちになったし、自分が嫌になった経験だ。(いじめといじりの違いについても話し始めたら長くなるやつだな~)

昨今、マイノリティーという言葉が一般的になってきた。クラスの子たちには、人はそれぞれ何かしら「普通じゃない」部分を抱えていて、それを受け入れる心の広さをもってほしいと思っている。中には、こちらが悲しくなるくらい心が育っていない子も正直いるのだけど、少しずつこちらの思いが伝われと念じながら伝えていきたい。いやぁ、でもさ、子供に伝えるってほんと、難しいよなぁ。←本音

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