日記とエッセイの織り交ぜ_2024.05.11家族の話をするのが苦手です。

久々のnote。
今週は仕事で色々考えることがあり、まあ結構重く頭を悩ませてしまっていたので、一度文章にして吐き出すことにした。


明日に母の日を控えている。

私は、販促関連の仕事をしている。
そこでは、イベントに便乗して発言する機会が多くある。
あくまでも会社として発言しているので、私自身の言葉かと言われると微妙なところではあるのだが、どんなテーマでも、自分の中の引き出しから企画や文章を作っていかなければいけない。

話は戻って、明日は母の日。
母の日は一年の中でも結構大きなイベントだ。
もちろん、元々これにも便乗して文章を書くつもりだった。
いつもは、提供する商品があるので、それをプレゼンすることで乗り越えてきた。
だが今回、それが通用しない流れになった。
新しい上司がついたことで、新しい提案がされた。

「いつもと違うことをやってみよう。あなたが思うお母さんのこととか、エピソード書いてみてよ。」

これが私にとってはある意味、地雷だった。
私は家族の話をするのが苦手だ。
家族と特別仲が悪かったとかではないのだが、
性格は合わなかったと思う。
例えば、父親とは姉の方が相性が良かった。
コンビニや、ちょっとしたお出かけで父が連れて行くのは姉だったし、私からもついて行くことはあまりなかった。
一緒に行ったとしても、少し早足気味の姉と父は私より前を歩いて、歩くのが遅い私は、その背中をぼーっと見ながらついて行くだけだった。
それを悲観的に感じたことがないと言えば嘘になる。
だけど、それが私の家族にとって当たり前になったから、
「人対人だし、仕方ない。」
そう思ってなんだか、父親や姉との関係を良くしようとかも考えられず、私は家族に対して結構冷めてしまっていた。

そして母の日には、別の問題もあった。
私の母は、私が4歳の頃に病気で亡くなった。
母を思い出せることはほとんどなく、母親が居ないというのは私にとって普通だった。

母が使っていた指輪、ネックレス、そういったものは何故かほとんど私が譲り受けた。
姉が興味を示さなかったことや、私が実家を出るタイミングで自然とそうなった。
私はそれらをすごく気に入っているから、出かける時は高頻度で身につけている。
母が生きていれば、気が合ったかもしれないとは少し思った。

そんな私なので、言い方は変だが、家族に対する解像度が高くない。
お母さんと言えば、兄弟と言えば、お父さんと言えば…そういうものに対して、あまり考えれなかった。

母の日の文章は、2時間くらい粘ったものの、うまく形にできなかった。
上司には素直に、母の日の文章が書けない。家族の話をするのが苦手だと伝えた。
上司からは、「理想の母娘はどう?」と提案された。
そこからさらに、架空の母娘を作って、文章を考えた。
ヘンテコな創作物が出来上がったところで、上司に報告した。
上司からは結構な修正をもらい、もはや最初の面影はないものが出来上がった。
そんなの初めてで、何だか情けない気持ちになってしまった。

家族に不満があるわけではない。
家族に特別傷付けられてきたわけでもない。
ただ、うまく干渉できずに過ごしてきただけだった。
なのに、何でこんな惨めな気持ちにならなければいけないんだろう。
仕事で自分のコンプレックスや、今まで作り上げられた価値観についてここまで影響するとは思わなくてショックだった。

家族について、私はどうなりたいとか思わなかったけど
わからないと言い続けるのはわがままなのかな。
わりと定期的に頭をよぎることではある。

そんな色んなことを考える1週間だった。

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