見出し画像

第十五話 茶道と水割りは紙一重

 「ペルセウスビル」の3階に目的の店があった。
 安っぽい扉の上には「赤い狐火」の表札がある。
 丸井は大きく2回深呼吸してから重たい扉を開けた。
 向かって左手側にカウンター、右手側にボックス席が2つ。客は誰もおらず、カウンターの中にポツンと1人女性がいた。
 女性は携帯電話を触る手を止め、こちらを見た。
 大きく見開いた目のクマは遠目でもすぐに確認できる。背負った悲しみが形となって現れたように見えた。
 「丸ちゃん!来てくれたん!」
 優華はセミロングの髪を後ろで束ね、やはりアメリカンドッグの串を刺していた。服装は黒のレーストップスにベージュのマーメイドスカート。レースの隙間から薄ら見える地肌がエロティックに見えた。
「湿っぽい店やなぁ。誰か死んだんか?葬式か通夜しとんか?」
丸井は出来るだけ内股にならないようにしてカウンターへと進んだ。
「相変わらず"角"ばった言葉吐くねぇ。なに飲む?」
優華は笑みを浮かべながら丸井に問いかけた。
「名前は丸井でも頭は角刈りや!!あ、なんでもかまへんから焼酎水割りください。ぺこり。帰られへんくらい濃いめで。ぺこり」
 言葉の狭間で頭をペコリと下げ、童貞特有の強い言葉を吐きながら、オーダーした。
 彼女は慣れた手つきでハウスボトルから水割りを作った。
 言葉少なに、素早く美しい所作で水割りが形作られていく。
 この美しい所作はカウンター越しに心地よさを与えた。
 この心地よい空間を共有し、それによって豊かな「関係性」を生み出す。これが「もてなし」の真髄なのか、丸井はそう感じた。
 茶道とも言える所作に目を奪われた丸井の前に水割りは運ばれてきた。
 視線を水割りから丸井に向けた。
「丸ちゃん、私も一杯もろていい?」
 優華は丸井より少し小さめのグラスを持ちながら言った。
「なんやねん、ちょっと可愛いからって。好きなだけ飲まんかいや。」
「丸ちゃん、おおきに!」

 彼女は丸井に頭を下げた後、同じように水割りを作り始めた
 プルプルと仔犬のように震えながらも手際良く、正確に手順を踏んでいく
 優華は作りたての水割りのグラスを近づけてきた。
「丸ちゃん流に言うわ。資本主義に乾杯!」
「なんやそれ…もう、好き!」

 丸井と優華はグラスを触れ合わせた後、ぐびっと一口飲んだ。
 "帰られへんくらい濃い目"ではなく、最適な濃さの焼酎が優しく食道を経て各器官へと運ばれた。
 彼女の手の震えがピタリと止んだ瞬間を丸井はメガネの奥から見逃さなかった。

この記事が参加している募集

スキしてみて

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?