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第十七話 #あの頃の近鉄復帰戦線

 あの頃の近鉄復帰戦線とは、布施を起点とする"嘆きの壁"を東大阪の文化を失うきっかけとなり得るとして、壁撤廃へと動く過激派。
 近畿大学長瀬キャンパスを占拠した「近大紛争」では数ヶ月に及ぶ激闘となったが、自衛隊の出動で撤退を余儀なくされた。
 行き場を無くした戦線は東大阪市の日新高校に立て篭もった。
 幸い生徒含む学校関係者は誰もおらず、女子生徒のリコーダー目当てで不法侵入した男がいたものの、自首する事を条件に解放され、そのまま枚岡警察署に出頭した
 大阪府警機動隊は正門側に大量のC4爆弾が仕掛けられていたため、深夜にグランドのフェンスから侵入を試みた。
闇夜の中、丁寧にフェンスを切り離し、グランドに侵入する隊員たち。「高校を奪還する為の簡単な任務」という認識が隊全体に浸透していた。
 ちょうど全員がグランドに上陸完了した時、鈍い音と共に先頭にいた部隊からのうめき声が静かな日新高校に響き渡った。
 それに続くように闇夜の中でバタバタと人間が薙ぎ倒されていく。

 後に襲撃を受けた隊員が「闇夜の殺戮者〜日新攻防戦撤退の真実〜」を出版。その文中で「足音一つ立てずに彼は忍び寄り、確実に我々の足首を刈り取っていった。あのタックルの鋭さを思い出すだけで身震いが未だに止まらない」と述懐した。

 この作戦で14人の隊員が前十字靱帯断裂や両足首骨折などの重傷を負い、1人が捕虜として拘束され、機動隊は撤退を余儀なくされた。
 翌日政府側は自衛隊の出動を閣議決定し、その日の夜にまたしてもグランド側から侵入を試みた。しかしながら機動隊と同じく自衛隊員は何者かの襲撃を受け撤退を余儀なくされた。
 自衛隊員25名もまた、前十字靱帯断裂や両足首骨折などの重傷を負う形となり、正体不明の襲撃者に怯えた隊員達はPTSDを罹患する者が続出。
 その結果、日新高校をあの頃の近鉄復帰戦線に明け渡す事となった。

 東大阪市は若江岩田駅に新校舎を設立。石切駅から徒歩15分の旧校舎に比べ、駅から徒歩2分とアクセスし易くなった。
 生徒達は駅近になったことから、SNSにて「#大浦とかいう神」「#あの頃の近鉄復帰戦線」というハッシュタグで称賛。
 学校側は全校集会や特別授業を介して、あの頃の近鉄復帰戦線の"罪"について説いたが、生徒側からは大ブーイングが起き、翌日全校生徒が若江岩田駅から塩を撒いて登校する事態に発展した。(※若江岩田塩の行進)

 日新高校の襲撃者はあの頃の近鉄復帰戦線の"ムラカミ"という人物1人の仕業ということが判明。
 ネット上でムラカミについての書き込みが殺到。
 ネパールの山岳民族戦闘集団グルカ兵に10年間所属していた説や伊賀忍者の末裔と言った情報が拡散。「ムラカミ神話」の樹立に至った。

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