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ゲームと子供。ー 「中学生が考える」安易にゲームを与えてはいけないこれだけの理由

こんにちは。やおきです。今回は、子を持つ親ならば誰でも一度は悩むであろう、

「子供にゲームを持たせるべきか?」

ということについて、子供目線から書いていきたいと思います。

私は、現在(2021年3月)中学生ですが、今まで、一度もゲームを所有したことがありません。

そんな私が、今まで十五年間、過ごしてきて、ゲームについて思っていることを書いていきたいと思っています。

字ばっかりだと、疲れるかもしれないので、所々、関係のない写真をはさんでいきましょう!

皆さんの、お悩み解決の手助けに少しでもなれれば嬉しいです!!

ゲームを欲しいと思ったことはないのか?

私の両親は、ゲームを子供に与えることに反対していて、一度もゲームを買い与えてもらったことがありません。

そこには、考えがもちろんあり、私の将来のことを考えてそう決断してくれていたのだと今は思えます。

ただ、

正直、ゲームが欲しいなと思ったことは、過去に何度かあります。

保育所の頃は、ゲームという物自体知らなかったのですが、小学校に上がって、ほとんどの友達はゲームを持っていることを知りました。

暇さえあれば、ゲームをしているようでしたし、みんなで遊ぶと言っても、それぞれがゲーム機を持ってきて遊んでいます。

そんな友達に囲まれて、自分もゲームが欲しいなと思ったこともありますし、両親にお願いしたこともあります。

具体的な年齢で言うと、小学校3年生、4年生くらいの時だったでしょうか。

ゲームが欲しくて、どうして自分だけないんだろうと悩んだこともあったような気がします。


私が、ゲームに接するのは、ごくたまに、近所の友達と遊んだ時のみ。

初めの方は、嬉々として、ゲームをしていました。やっぱりあれは楽しいですよね。

でも、ある日気づいたんです。

ゲームをしている時は楽しいけれど、

終わった後に、自分が、喪失感を抱いていることを。

ゲームを終えて、友達の家から自宅へ帰るのですが、その道すがら、なんだか、時間を無駄にしてしまったような気がして、やるせない思いになったのを覚えています。

家に帰っても、しばらく不機嫌だったこともあったようです。


そんなことが続いてから、ゲームってそこまで楽しくないなと思うようになりました。

ましてや、両親の反対を押し切ってまで、欲しいものではないなと思うようになりました。


今は、どう思っているのか?

確かに、過去には、ゲームが欲しいと思ったこともありました。

ただ、今になると、両親がゲームを

「与えてくれなくて」

よかったなと思います。


なぜならば、

ゲームをしていたら、決して経験することのなかったであろうことをたくさん経験できた

からです。

まずは、読書。位置付け的には、暇つぶしというかそんな感じなので、もし、ゲームにとても深くハマってしまったら、本を読む習慣というのはなかったでしょう。

本当にたくさんの本を読んできたと思います。何しろ、暇さえあれば、少しの隙間時間でも見つけようものなら、本を読んでいたのですから。

そうやって、本を読む中で、想像力は間違いなく身についたと思いますし、読解力も、ものすごく鍛えられました。

本を読むと、さまざまな人の生き方を疑似体験できるわけです。小説でも、ノンフィクションでも。そうすると、実際に経験していなくても、こういう時にどう行動すればいいのか、相手はどう思うのかが、自然とわかるようになってきます。

よく、自分を客観的に見る力が必要と言われますが、本ならば、読み手というのは、すべての登場人物の心情を公平に、客観的に見られるわけです。
「ああ、ここではこうしたらいいのに」とか、
「なるほど、こう行動すれば、相手は喜ぶのだな」とか。


そして、表面的な力で言うと、読解力や語彙というのは、非常に鍛えられます。

おかげで、難しい文章でも、たいてのものは読んで理解できると言う自負がありますし、人と話していると、難しい言い回しをするね。と言われることがしばしばです。

ただ、古い言葉を学べばいい、現在の「ヤバい」とか、「マジ」と言う言葉たちが、決して悪いと言っているわけではありません。
現に、私も、それらの言葉を友達との会話の中ではごく自然に取り入れています。

ただ、自分が考えていることを、本当に、正確に人に伝えようと思ったら、いくら語彙があっても足りません。同じ言葉のように思えても、微妙にニュアンスが違ったりとか。そう言う言葉が、日本語にはとても多く、ややこしいけれど、いい文化だなと感じています。

短くて便利な言葉ばかり使っていて、それしか知らないと、自分について理解することは難しいし、ましてやそれを表現することは夢のまた夢です。

そう言う点で、語彙がたくさん身に付いて、自分をより正確に表現できるようになったのは良かったなと思っています。

もちろん、こんなことをずっと考えながら読んでいた訳ではありません。読んでいるときは、本当に集中して、本の中の世界に入り浸っていただけです。

今こうして振り返ると、そういう効果があったのではないかなと。

そして、2つ目の良かったなと思うこと、それは、人との出会いが増えたということです。

ゲームがなくて、本ばかり読んでいる私は、いつでも基本的に暇人で、面白そうなことがあれば、瞬時に飛びつく準備ができています。

もしこれが、ゲームにハマってしまっていたら、恐らくめんどくさくなって、人と会う機会というのは、とても少なかったでしょう。

例えば、私の家の近くに引っ越してきたタイポン、ハルポン(もちろん、仮名)を始めとして、大学生や、社会人の人と多く出会ってきました。

おそらく、人と出会った数・話した数でいうと、他の中学生に比べてとても多いのではないかと思っています。


そういう人たちと話す中で、家に閉じこもっていては決してできない体験をさせてもらいましたし、あたらしい世界に触れることができました。

それらの体験一つ一つが、確実に、今の私を形作っていると実感する日々です。



じゃあ、結局ゲームをどうするか?


さて、なかなか長い文章になってきたので、そろそろ結論をだしましょうか。

結論としては、

ゲームをただ禁止するのではなく、代わりの楽しみを与える。

ということですかね。

ゲームは絶対にダメ。あれはダメなの!!
ではなく、ゲームよりも他にもっと楽しいことがあると教えてあげること。それが必要だと思います。


そして、難しくて子供にはわからないと思うかもしれませんが、なぜ、自分がゲームを与えていないのかということを教えてあげてください。

言っていることが、100%理解できる訳ではないと思いますが、子供というのは、感性が豊かなので、気持ちを汲み取ることができます。自分のこと思って、言ってくれているんだと感じることができれば、別の楽しいことに気持ち良く移行できるんです!(体験談。ww)

ただ、感情的ダメと言っているのではなく、きちんと思いがあってそうしているということをしっかりと伝えてあげることが大切だと思います。

ここまで書いてきている感じだと、

ゲームが絶対に悪で、悪いものだと言っているように聞こえてしまうかも

しれません。

でも、決してそうではありません。私は、ゲームはすごいし、一つのエンターテイメント、最近では職業として立派なものだと思っています。


だから、ゲームをしているからといって、軽蔑するわけでは決してないし、むしろ、そういう経験もするべきだと思います。

ただ、ゲームというのは、頭の良い大人たちが何人も集まって、そうやったら、ズゥーっと遊び続けてくれるのかを考え抜いて作られています。


それだけに、ものすごい中毒性があるんですね。ゲームに中毒性があるというは、考えてみれば当然のことです。だってそういうふうに作られているのですから。


そういう、強烈な中毒性があるものを自制心が心許ない、子供がしてしまったらどのような影響が出るのか。

それこそ、ゲーム以外には、手がつかなくなり、いろいろなことを学ぶ機会を逸してしまいます。それは、その子のその後の成長にとってマイナスの影響を与えてしまうのではないでしょうか。

ただ、全くゲームに触れずに、大きくなってしまうと、いつかゲームと出会ってしまった時に、耐性がなく、中毒になりやすくなってしまう可能性もあります。

なので、友達の家でやらせてもらうくらいがちょうどいいのではないでしょうか?友達の家で、友達とやることでゲームへの欲求はある程度満たしてもらい、家に帰ったら、他の楽しみを味わう。


これは、人によるかもしれませんが、私の場合は、友達の家でたまにゲームをさせてもらっていたのですが、終わった後に、時間を無駄にしたような気持ちになってしまって、したいという気持ちがなくなっていきました。

そういうことに、気がつくことができるという意味でも、少しは体験しておいた方がいいと思います。


ゲームを与えないと子供がかわいそう??

ゲームを与えてしまう親御さんの意見として多いのは、

「他の子たちが持っているのに、うちの子だけ持っていないのは可哀想。」

「友だちの話についていけなくて、仲間外れになってしまうのでは、、、。」

というものだと思います。


子供さんからも、

「友達は持っているのに、、、、。」
と言われて、悩んでいる方も、多いのではないでしょうか?

私は、これは、見当違いの意見だと思っています。

まずは、一つ目の理由。その子のことを「本当に」考えたら、どちらが可哀想なのか?と思うからです。

長期的に、その子の一生のこと考えると、

私は、安易にゲーム与えてしまうことの方が可哀想だと思います。


そして、2つ目の理由。そのことを許可してしまうと、

みんながやっていれば、それが正しいことなんだ。という考えを無意識下に植え付けてしまう可能性があるからです。

「みんながやっているから。」という理由で与えてしまうと、みんながやっていることならば、なんでもいいんだという考えを持ってしまう可能性があります。

いやいや、それは言い過ぎでしょ。と思われるかもしれませんが、そういう出来事の積み重ねが、人を形作っているというのは間違いのない事実です。



3つ目。これは、今までの中で、最も極端に聞こえるかもしれません。
でも、私の実体験に基づくものです。

それは、

ゲームの話以外で話すことがない相手って、そもそも友達とは呼べないし、そんなものがなくても、人とコミュニケーションが取れるようになる方がいい。

ということです。少し、分かりにくいですね。私も、こうして一文にまとめてみると我ながら何を言いたいのか分かりにくいなと思います。


これは、ゲームの話についていけなくて、仲間外れにされてしまうかもしれないという心配。これに対しての、私の考えです。

まずは、ゲームの話についてこないからといって、仲間外れにしてくるような人は、まずいません。少なくとも、私は、今までほとんど会ったことはありません。

私は、ゲームを持っていないことを、はっきりと周りに伝えています。なので、友人は、すでに、私にゲームの話はしてきませんし、かといって、気を使いすぎるわけでもなく、自然に話しています。

ゲームの話が始まると、私は、聞き役にまわります。もともと、人の話を聞くことが好きなので、全然苦ではないどころか、誰かが生き生きと話しているのは気持ちがいいものです。


そして、さらに言うならば、ゲームの話についてこないからと言って、仲間外れにしてくるような人と友達になっていても、いいことはないでしょう。周りには、たくさんの人がいるのだから、そういう人とは付き合わなければいいだけです。


また、コミュニケーションスキルを磨くという面で、ゲームがないというのは、かなり有利です。

なぜならば、小・中学生にとって、会話の中心で共通言語であるゲームを持っていないということは、立っている土俵が違うからです。

自分が好きなこと、興味があることに関心がない友達を、どう巻き込むか。そう考えながら、話していくと否が応でも、コミュニケーションスキルは身に付きます。

ゲームがないということを利用して、自分のスキルも高めてしまうことができるのです。


つまり、結論として、

「ゲームを持っていないから可哀想。」

という意見は、勘違いだと思っています。


まとめ。子供さんとゲームさんと。


一番大切なことは、ゲームをただ取り上げるだけではなく、

代わりの楽しみを与えて。

ということです。

それは、かもしれません。家族といくキャンプかもしれません。何かイベントに参加することかもしれないし、誰かに会いにいくことかもしれません。

なんだっていいんです。できるだけ、リアルな世界で、体全身を使って5感をー6感を全て使って、感じることができるような体験をさせてあげてください。

ゲームが欲しいと言っても、与えないことも大切だと思います。それは、周りの人のを見てかもしれないし、一時的なものかもしれません。

ゲームが決して悪いと言っているわけではありません。(繰り返しになりますが)

ただ、色々な期間が発達していない時期にそういうものを与えることで、長期的にどのような影響が出るのかをしっかりと吟味して欲しいなと思います。

せめて、中学校に上がるくらいまでは、与えない方がいいような気がします。

もちろん、今回書いたことは、私一人の経験で、科学的・統計的な根拠には欠けると思います。なので、あくまでも参考としていただけたらいいなと思っています。

皆さんの、悩みが少しでも解決していれば、これ以上嬉しいことはありません。

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

このnoteは、自分の考えを発信したいという上下変動が激しい不安定なモチベーションと、皆様からのとてつもなくパワフルなサポートで成り立っています。いただいたサポートは、なんらかの形で皆さんに還元できるように大切に使わせていただきます。いつもありがとうございます!!