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父という人間

友だちから「お金の哲学」を学びました。

「ケチはダメだけど、無駄はいかん」
「人へのお金は惜しまない」
「迷ったら買いなさい。それが経済を回すこと」

by A子さんの父

図書館でお金の貯め方の本を読むと、まったく同じことが書いてありました。友だちは自分の父親から教わったと言いました。

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私はの父は「お金の話をするな」と怒るので、家ではお金の話は御法度でした。一方、母は「お金がない」と私と弟にずっと言い続けていました。実際に家計が苦しかったのでしょう。母は看護師の資格があったので黙ってパートに出ていました。

そんな家庭に育ったので、私は短大卒業後の社会人としての学費は全て自分の資金でいきました。結婚に関することも親にお金は出してもらっていません。そもそも親に出してもらうという考えがなかったのです。

だから友だちからお金に関する大切なことを聞いたときに目から鱗が落ちました。

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もう一人の友だちの父上は、歳を取ってもアクティブで好奇心を持ち前向きな人だとよく話題に登っていました。80歳を超えてウィンドサーフィンをしたり、SNSを使いこなしたりとガッツのある方でした。

去年お亡くなりになりましたが、その亡くなるまでの時間も常に前向きで、やり残したことがないような見事な生き様、死に様でした。常に好奇心を持ち、前向きに生きることを友だちの話を通じて教えてもらいました。

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友だちのお父上には、どちらも方にもお会いしたことはありません。しかし娘である友だちからよく話を聞いていました。私の友だちはどちらも、人に親切で優しく、常に前向きな人たちです。お会いしたことのないお父様方ですが、娘である友だちの人柄に受け継がれていると思っています。こうして人柄や性質は遺伝子と共に子孫に受け継がれていくのでしょう。

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私の父は、私たちの学校行事にも来ないし進路にも無関心だったと母から聞いています。学生時代は優等生だったのが自慢に父です。学校の成績が悪い私は、父から誉められたことはありませんでした。

おまけに定規を当てても線が真っ直ぐに書けない不器用でな私は、1級建築士の父から、「お前を見ていると吐きそうになる。」「こんな問題が分からないことが分からない」と怒鳴られていました。父は馬鹿を見たことがなかったので対処法が分からなかったのでしょうか。

確かに本はたくさん与えられていました。これだけは感謝しています。しかし本の話を父とした記憶がないのです。今か思えば、本を購入するけど、自分では本を読んでいなかったのかもしれません。こんなこと全くどうでもいいことです。

また私は指が長く大きな手ですが、「男だったらフォークボールが投げれるのに、何もできない手だ」と言われていました。案外気にもしていませんがね。

「手がでかい人はクレバーね」初めてこの手を褒められたのが、香港のお店の人でした。不器用でピアノも弾けないし、フォークボールの投げれないけど、本のページを捲れるし、文章も書くことができる有難い私の大切な手です。その手を生まれて初めて褒められて私はとても嬉しかったのを覚えています。。

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夫が亡くなったときに、父という人間の本質を知りました。その頃から私は父と話すことをやめました。そもそも父とは「知らん、分からん、ややこしい」この言葉で全ての会話は終わるのです。だから実のある会話をしたこともありません。父はいつもテレビを見て、出演者を馬鹿呼ばわりしています。見かけで人を判断しているのです。

私は母がそうしているように、父のプライドを傷つけないように、癇癪を起こさせないように言葉を選び、距離をおくようにしています。

そして「父という人間」を観察しているのです。つなり分析の対象として見ています。そこに感情はありませんが、確実に私には父の遺伝子が受け継がれているのです。

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6月の第3日曜日。今日は「父の日」ですか。

私の実家では父の日も誕生日も特に何もしません。しかし母の日と母の誕生日は存在しています。おかしな家かもしれませんね。


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