見出し画像

「続・あしながおじさん」と児童文学

読後感想
愛読書「あしながおじさん」の続編を読みました。原題は「DEAR ENEMY」です。穏やかではありませんが、それは物語を読めば分かります。実のところ、前半部はなかなか読み進めまられませんでした。

「あしながおじさん」の主人公ジュディから、カレッジの同級生のサリー・マックブライドになります。「あしながおじさん」と同様の書簡集形式ですが、サリーが書く手紙の相手は、ジュディとその他何名かの相手に対しての手紙になります。

「あしながおじさん」ではおじさんにだけに書いていた手紙ですが、「続」では手紙の相手が違います。この点が躍動感を何度も止めることになりました。

それは海外文学の登場人物の名前を覚えるのが大の苦手だからです。だからいちいち「これは誰に宛てた手紙なのかな??」となるのです。

サリーは進歩的な考えの女性で、孤児院の改革を進めていく物語です。彼女も年頃の女性なので、気になる殿方が登場します。サリーのロマンスは「ふむふむ」と読みましたが、わたしが衝撃を受けたのは、「訳者あとがき」のページでした。

ジーンの人生
そこにはジーン・ウェブスターが長い交際の果てに結婚、1年後の出産の翌日に亡くなっていたと記されていました。(p390)

1876年生まれのジーンの生きた時代は、物語にもあるように、女性が大学へ行くのは稀な時代で、上流階級と孤児の階層とは雲泥の格差がありました。そんな中で彼女は、祝福され難い結婚をし、出産後すぐに亡くなるという人生を終わります。

あとがきの9行間を読み、彼女の人生と物語が重なりました。いわゆる「不倫」に対する異常な報道バッシングをよく耳にします。もちろん当時も同様、倫理的に問題行為でしょう。

しかしそれぞれの事情があるのです。

ジーンは秘められた自分の恋愛をモチーフに、陽のあたる場所での生き生きとした恋愛を描いていました。彼女の心を想像すると、切ない気持ちになりました。

この物語は結婚前に書かれ、彼女の死後に刊行されたとありました。長い交際と短い結婚生活、その1年後の出産後に亡くなったことは、同じ女性として、なんとも言えない複雑な苦い感情が残りました。

彼女の人生を想像した時、恋愛という個人的なことを、赤の他人が「正義」を振りかざし、非難するのは如何なものだろうとの思いました。非難する権利があるのは、当事者の身近な人たちであるべきです。

本編の幸せな結末と、たった9行に記されたジーンの晩年のコントラストが、わたしに深く刺さりました。

児童文学への想い
もう1つ当時のアメリカ社会や歴史の知識があれば、この2冊の物語は、また違った受け止め方ができたでしょう。残念ながら作中に引用されていた文学作品を、わたしはほぼ知りませんでした。わたしに「教養」があれば、さらに物語に奥行きを感じることができるのです。

だからもっと知りたい。

これは子ども時代に読んだ、すべての作品に言えることだと思います。大人になって児童文学を読み返し、原書に触れることで、新たに知ることもあります。

だから再び読み返したい。

「赤毛のアン」「若草物語」「小公女」「小公子」「宝島」「ロビンソンクルーソー」「シンドバッドの冒険」「十五少年漂流記」「青い鳥」「長靴下のピッピ」「ふたりのロッテ」・・・もう1度読み返したい思い出の本が、あふれてきました。少しずつ読み返してみようと思います。

人生は長いように想いますが、地球上の面白本を手に取るには、あまりに人生は短すぎます。さあ少し急足になりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?