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ベビーと見えない人たち

 今朝、新聞で「医療的ケア児支援法案成立へ」の解説記事を見て、昔のことを思い出していました。

 障がいを持った子どもたちへのサービスは、18歳まではとても手厚いです。支援学校、放課後ディサービスを連携して、親の仕事の時間を確保するのは可能でした。しかし18歳になり学校も放課後ディサービスも利用苦できなくなると、途端に時間の確保は難しくなります。もちろん子どもの障がいの度合いや家族の応援で、働いているお母さんもいました。

 息子の同級生のお母さんも、放課後ディサービスの延長時間をフルに使って、働いていました。しかし卒業した、次の月からは、これまで支えてきたサービスが大きく変わるのです。その大きな変化は、家族の生活おも変えることになると心配していたのは、私と自ら支援事業所を運営してきた友人でした。

 途端に生活介護事業所は、出勤時間に合わせて送迎はしてくれないし、帰宅時間も早くなり、仕事に差し支えが出てきました。その条件を飲んでくれる事業所を探しまくったけど、グループホーム入所しか方法はないと言われたと、卒業式に聞きました。明るく「うまく行ったら連絡するね。」と話していたけど、4月以降、入所したか、仕事を辞めたかは、聞いていません。

 手厚い18歳までのサービスは、障害児も成長をする過程で、伸び代があると考えるからかな・・・18歳以上になると、障害が固定化するのか、療育手帳の更新の感覚も長くなっている。ふと前をみると、子どもの18歳以降の人生は長い。そして親は老いていく。子どもが小さいときは、親も元気で馬力があるけど、それでもケアがある場合は両立はかなりしんどいので。職を諦めた人もたくさんいると思います。

 かつてNICU(新生児集中治療室)での実習指導先で考えたこと。息子が1歳の時に、主治医から「この子は数年前(の医療レベル)なら死んでいた。」と言われていました。NICUにはもしかしたら、この子達もそうなのかなと思うような重篤なベビーたちがいました。

 高度医療で救命したベビーが退院したあとに暮らす社会の体制は、まだまだ未整備であることは、私の実体験から感じていました。地域社会という大海に帰っていく、お母さんとベビー、家族が、信頼できる相談できる人に出会うようにと、私は密かに祈っていました。

 この社会には、表面に見えないところで、苦しんでいる人がたくさんいます。障害者も引きこもりも貧困も、虐待も、実は見えていないだけなのです。私たちは静かに、ひっそり暮らしておりますので。

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