ショートショート「病に至る本」
「貸し出し」
世の中は未知のウィルスの流行で、国中が混乱していた。かつてのペストの流行は、このようなものだったのかと考えることもある。感染症の流行とともに国民には自粛が要請された。もともと私の生業は、在宅勤務なので、自粛には幾分かの耐性があるので、日常生活に支障はなかった。
私は息抜きに本を読むことが多いが、利用している図書館は感染症対策で閉館している。しかし長引く自粛生活に配慮し、インターネットで本の貸し出しを依頼すると、窓口で本を貸し出してくれるサービスがあることを知った。
比較的、新しい出版日のものを4冊、本の貸し出し依頼をした。「整頓術」「コーチング」「小説」「病気」についてとジャンルに統一性はない。本との相性もあるので、相性が悪ければ、読むのをやめればいいだけなのだ。
「本」
その本は、ある病で隔離された患者へのインタビューをまとめた本だった。内容は主に当事者にインタビューをまとめたものであった。著作者の地道な努力の結晶とも言える大作であった。これまで読んだことのないジャンルであるし、とても興味深い内容だ。しっかりと読み進めることが、作者に対する敬意だろう。私は、比較的、本を読むのが早いので、早々に読破できるような気がした。
「読書」
ところが、不思議にページが進まない。気分を帰るために狭い部屋を、あちこち移動して、本を開くのだが、数ページも本に集中できないのだ。斜め読みで読み飛ばしていき、無理やりにページを進めていった。
「なぜそこまでして本を読み進めようとするのだろう・・・」
数日を過ぎると、ページを読み進めることも、難しくなり、数行読むのも、やっとのことになる。また本に目を移すが、1分も過ぎない間に、本から目を離している。神経が疲れているのだろうか、集中力が無くなっている。
「なぜ本を読むことを止められないのだろう・・・」
本と格闘しながら、なんとか第7章に読み進めたが、既に2週間の返却期限は明日に迫っていたのだ。サイドデスクには、この本と同時に借りた本が、そのままの状態で積み上げられていた。
明日までに、残りを読み上げなければならない。それにしても、本の内容は素晴らしい。私の知らなかった歴史の暗部であり、病者の嘆きがダイレクトに伝わってくる。彼らの個人情報を守るために、アルファベットで表記された一人一人の発言から、病の苦しみ、慟哭の叫びが聞こえてくるのだ。
「なぜ本を読むことが、こんなに苦しいのだろう・・・」
それでも結末を知りたい、その先へページを進みたいと思うのだが、やはり数行、読むと、動物園の檻の中の動物のように、意味もなく徘徊する私がいた。
本と格闘しながら、何度目かの室内徘徊で、ふと洗面所の鏡を見ると、そこには髪を振り乱し、髭も伸び放題の青白い生気のない目をした自分がいた。
そういえばいつ食事をしたのだろうか、眠った記憶も朧げで記憶は曖昧である。人間らしい生活をしていたはずの私が、そうでない私になったのだろう。
「私はこの本に取り憑かれてしまったのだろうか・・・」
「返却」
返却期限をあと数時間に迫る中、やっとの思いで、辿り着いた最後のページを開く。
「この本にある病者は特別な人ではない。誰しもが病者になりうる。しかしそれは「自らは病者でない」という意思のみでことである。なぜならあなたは既に病者なのである。」
『最後に、この本ぼ執筆に於いて、多大な協力をいただいた、〇〇氏に感謝の意を送る。』
なぜか私の名前が記されていた。私は病者だったのだ・・・それが私の最後の意識であった。
あとがき
我孫子武丸の「殺戮にいたる病 」をオマージュしたタイトルです。タイトルからしてジワジワしてくるで、よく背表紙を眺めていました。
少し前、なんの気無しに選んだ本と、読むのを止めたくても止めれないという、不思議な格闘をしていました。相性の悪い本であれば、冒頭の数ページで投げ出すのに、この本は辛くてたまらないのに、最後まで手放すことはできませんでした。せっかくなので、その心境を書いてみたのがこの作品です。
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