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「長い長い延長戦の果て」ー論文審査に落ちて安堵している私ー

春・延長戦の始まり

 大学院の2年目から卒業する3月まで、修論にキリキリしていました。教授の指導に不満がありましたが、卒業の決定権を持っているので、黙って従い続けていました。卒業するまでの期間限定だからと我慢しました。

 よく耳が聞こえなくなる症状に苛まれていました。数えてみたら卒業までの1年で難聴で5回耳鼻科受診していました。卒業したから思う終わりだと思っていました。

 教授から論文の雑誌掲載を勧められました。先輩に聞いてみると、卒業してから1年以上、雑誌掲載を執拗に勧められるので、辛いと話されていました。それも辛いことなので、早期に承諾することを選択しました。長い長い延長戦の始まりました。

夏・文字が追えない

 ゆっくり考えを巡らせてみると。夏頃から、論文の読み返しが出来なくなっていました。誤字脱字など間違いを指摘された場所を探し出して、その都度訂正をしますが、全文を読み返すことが出来なくなっていました。

 冒頭の2、3行で、文字を追えなくなるのです。頑張って読もうとすると、紙面を見ていられなくなるのです。不思議と論文以外の本は問題なく読むことが出来ました。

 教授の過度な指導は、過度な訂正を求められます。何度も書き直しを求められますが、最終的に教授は自分で書き直すので、自分の論文ではないような気持ちになっていました。だから読み返すと、情けなくなり辛くなるのです。もう教授の論文なので、好きなように書い直せばいいと、機械的に指摘された箇所を訂正する作業をしていました。

秋・言葉の意味が理解できない

 秋になる頃には、電話で指導される教授の言葉が理解出来なくなってきました。面倒なので、適当の分かりましたと言います。そのようにして最短で電話を切るようにしていました。話す内容がわからないので、メモをとりまくり、友達に「どういうことを言っているのか」を解説してもらうようになっていました。

 しかし教授からの電話はいつ来るか分かりません。電話を取ると、「論文を印刷してください。10分ぐらいでできるでしょ。用意ができたら、電話をください。それから話をします。」こんな感じです。心が休まる時はありませんでした。

初冬・落選の知らせ

「審査に落選」の知らせに。心からホッとしました。もうこれで教授と付き合わなくて良いのだ。このクソ論文と付き合わなくて良いのだと、安堵しました。

 メールの最後に「12月の学会誌に応募しませんか、来年もう1度再挑戦しませんか」と書いてありましたが、この文章は見なかったことにしました。もう2度と関わりたくありません。

 修論から引き続き、研究の協力をしていただいていた方達に落選の報告をして、論文の資料を目につかない場所の仕舞い込みました。パソコンのデスクトップからアイコンを削除しました。そして教授の電話番号を着信拒否設定をしました。

 「言葉が理解できない。文字が読めない。」これは教授を脳が拒否をしていたのでしょう。過度なストレスは、思いもよらない心身の症状が出現するんですね。人体の不思議です。ああしんどかった。

しばし人生の休憩時間です。


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