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蜘蛛の糸を手繰り寄せてみる。

大学院の先生を訪ねました。心に溜めていた言葉「もう学術の世界に関わることはない!」と宣言しました。そもそも先生は、私の指導教授ではないので。「あらあら、えへへ」と苦笑いをしていました。先生は笑いながら「じゃあなんか本でも書いてみたら?いいんじゃない。うふふ。」と仰いました。

本来なら指導教授に言うべき決別の言葉を、隣の研究室の先生に宣言する気弱な私です。そんな私も、どうやら新しいことを始める準備が出来つつある様でした。そうです。いよいよ「終わりの始まり」なのです。では何をしようかな。息子の生育歴を整理してみたら何か浮かんで来るかもしれないと朧げなイメージが浮かんできました。

ズボラな私は育児日記も書いてないし、日記も3日坊主です。しかし息子の記録は、関わりのあった介護事業所のスタッフさん、ガイドヘルパーさん、学校の先生の連絡帳に記されています。家族以外の他者が成長に関わっていることが、健常児の成長と違うところです。まずは息子の生育歴を整理してみようと思い立ちました。

段ボール2個分の資料は、障害者年金の申請書類を書くときに、1度整理したことがあります。今回は福祉サービスの資料を軸に整理を行いました。ガイドヘルパーさんの記録表、放課後ディサービスの連絡帳、ショートステイの記録、学校の担任との連絡帳を学校や学年別に仕分けしていきました。そしてサービスを利用していた期間を書き出していきました。

すると障害者福祉の制度を介し多くの人の手を借りてきたことを思い知りました。よく「子育ては大変ですね」と言われますが、なんのなんの、こんなに人様に助けてもらっての子育てだったのです。なのにこれで嘆いていては、世間様に申し訳ありません。

この資料をどのようにまとめるかは、まだ考え中ですが、たくさんの人に助けてもらったこと。生きていたら、いろいろあるけど、「助けてー!」と叫ぶことができたら、必ずどこからか、助けの手が伸びてくることを伝えたいと思います。私自身、幾度となく芥川龍之介の蜘蛛の糸のカンダタの気持ちを味わいました。必死に生きていたら周りが見えなくなるのよね。みんな苦しいのに・・・

世の論文を読む限り「障害児を持つこと」「親亡き後」などの問題に答えが見えないし、社会を恨み叫ぶ母もいるし、ネガティブになりがちです。そんなこと論文に書かれても、我々からしたら、「じゃあどうすればいいの?教えてよ!」とエライ先生へ問いかけてみましたが、答えはありませんでした。

具体案がなくて困るのは私たちなんですけど。「こう言う人たちは悲惨なのです」と問題定義をされても、「それから」がないと、悲観するしかないのが親なんです。ああモヤモヤするぜ。人任せにしていられないから、蜘蛛の糸を手繰り寄せるように、自分で考えてみようと思いました。もちろん論文ではありません。

そんなわけで、早速、母校の図書館の利用カードを申請しに出かけました。段ボールの中身をぶちまけて資料を分類整理しました。専門分野の先生にお会いしたいとメールを送信しました。春だ!善は急げ!!です。
答えは出ないかもしれないけど、とにかく飽きるまで調べてみようと思います。


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