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#海外文学のススメ H.マロ「家なき娘」

概要

 「家なき子」(Sans famille)で知られるフランスのエクトール・アンリ・マロ(Hector-Henri Malot)の、もう一つの代表作が「家なきむすめ」(En Famille)です。日本ではアニメ「ペリーヌ物語」の原作としても知られています。


あらすじ

 パリで母を亡くし、孤児となったペリーヌは親戚が住むと言うマロクールへたどり着きます。大富豪の老人ヴュルフラン氏の工場で働くことになったペリーヌは様々な困難を乗り越え、氏や周囲の人達の信頼を得ていきます。

 マロクールに着いたペリーヌはロザリーと出会い、ヴュルフラン氏の工場が働き手を求めている事を知ります。そこで親戚を訪ねもせず偽名を使ってヴュルフラン氏の工場で働くことにするのですが、そこに至る過程がかなり唐突で、何故偽名を使うのかも説明されませんので最初読んだ時には面食らいました。その理由は終盤に明らかになります。まあ、有名なので今さらですが結末は一応伏せておきます。


オススメポイント

 健気で真摯なペリーヌが困難に打ち勝って幸せを掴むまでの物語を縦軸に、執筆当時に存在した社会問題にも切り込んだ作品です。当時の人々の価値観や思想、文化や社会情勢なども知ることが出来、知れば知る程、興味は尽きません。


原著

 原著は著作権失効のため、フランス国立図書館からPDFをダウンロード出来ます。このnoteのタイトル画像はアンリ・ラノス(Henri Lanos)によって描かれた本書の挿絵から拝借しました。

 原著テキストはこちらでも読めます。(フランス語)( https://www.gutenberg.org/cache/epub/13793/pg13793.txt )


日本語訳

 日本語訳は現在までに幾つも出版されていますが、原著からの完訳は津田穣訳の岩波書店版と二宮フサ訳の偕成社版ぐらいしか無く、多くは英訳版「Nobody's Girl」からの再訳なので登場人物や設定が変えられていたりします。


 岩波書店版は「ペリーヌ物語」の底本となったもので、割と原著に忠実な翻訳です。1941年初版発行の旧漢字・旧仮名遣いですので若干読みにくさがあります。「無蓋四輪馬車ファエトン」のような当て字もあるので辞書を傍らに読むと理解し易いと思います。版元品切れ中で中古価格もプレミア気味。図書館を当たるほうが良いかも。


 偕成社版は2002年に初版発行された割と新しいものの為、現代仮名遣いで大変読み易いです。アンリ・ラノスの挿絵を原著から採録しています。訳注も詳しく、作中に登場する地名や文化、風習などについて細かく解説されています。作中に登場する馬車の解説はイラスト付きでイメージし易いです。下巻巻末の解説には小説のモデルとなった土地を訳者が実際に訪れた紀行文が含まれ「聖地巡礼」的な様相を呈しています。本書も版元品切れ中で結構なプレミア価格となっており、図書館で読まれることをお勧めします。

 これからお読みになる方には偕成社版をお勧めしますが、カバーの解説に物語の結末が書かれているので、初見の方はこの部分を読まないことを強くお勧めします。


 なお、最初の和訳とされる五來素川訳「雛燕」と須藤鐘一訳「家なき少女」は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。



時代背景

 「家なき娘」は現在から見ると130年前のお話なので、つい時代小説を読んでいるような感覚になるのですが、この作品は執筆時点の風俗や社会情勢が反映された「時事小説」であることに注意が必要です。

 当時のインドはイギリスの植民地だったので、ペリーヌは母親を英国人と紹介しています。ヴュルフラン氏の工場が蒸気機関で稼働していたり、競合他社が水圧式圧延機(原文 hydraulic mangle)を導入したことが示されています(1890年代のhydraulicとは油圧ではなく水圧装置)。またヴュルフラン氏の邸宅には電気機械(原文 des machines électriques、二宮フサ訳では火力発電)を備え、当時の一般家庭には無い電灯や電鈴が備わっていることが言及されています。

 医療関係では英国人のベンディット(名前を仏語発音でバンディ=盗賊と呼ぶと怒られます)が腸チフスを発症し入院。ヴュルフラン氏が白内障の手術をする際には痛み止めとしてコカインが使用されることが言及されています。

 労働問題もこの小説のテーマのひとつです。工員の日給は10スー(10スー=50サンチーム=0.5フラン、一週間で3フラン)で、日曜日が休日の週6日労働、朝6時に出勤し夕方までの作業時間である事が言及されています。週28スーで泊まれるフランソワーズ婆さんの宿舎の衛生状態の酷さ、ロザリーが機械に挟まれ負傷しても会社から治療費が支払われない(ロザリーはヴュルフラン氏の知り合いなので氏が負担しました)など、労働環境について問題提起しています。

また、原著ではペリーヌのみすぼらしい身なりについてブノワ工場長が次のように言及しています。

-- Je veux parler de sa tenue: sa veste est une dentelle; je n'ai
jamais vu jupe pareille à la sienne que sur le corps des
bohémiennes;  elle a dû fabriquer elle-même les
espadrilles dont elle est chaussée.


原文では「あんな(ボロボロの)スカートを穿いているのはボヘミア人の女ぐらい」と言うような意味ですが「ボヘミア人」では酷いと思ったのか伝わらないからなのか、津田穣訳では「乞食女」、二宮フサ訳では「旅芸人」となっています。どっちも大概ですけど。このボヘミア人の例えは原著の至る所で出て来ており、このような表現も当時の価値観を反映していると言えます。


マロとペリーヌ

 Wikipediaには「ペリーヌ」の名前はマロの孫から採られたと書いてありますが誤りです。初版本の発行は1893年ですが、その前年に新聞小説として連載されており小説のほうが先です。「ペリーヌ・メープルは刊行直後の1893年10月4日に生まれた」とのアニエス・トマ・マルヴィル夫人(ペリーヌの孫)の証言が偕成社版の解説に記載されています。マロは愛娘ルーシー(Lucie)の為に「家なき子」を書き上げた時のように、ルーシーの娘ペリーヌ(Perrine)の為には自身の引退を撤回してまで自伝小説「Le Roman de mes romans」を書き上げるほど溺愛していました。孫娘に小説の主人公の名前を付けるほど、マロはこの小説と主人公がお気に入りだったと言えます。マロはヴュルフラン氏とペリーヌの関係を自分と孫娘に重ねていたのかも知れません。


おわりに

 古典文学全般に言える事ですが、発表当時の世相や風俗を知らないと現在では意味が通じなかったり解釈を誤ってしまったりすることがあります。逆にそれらを調べることにより、現在に生きる私達に新たな発見をもたらしてくれるはずです。


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