見出し画像

嵐山「二尊院」「常寂光寺」【京都】【嵐山シリーズ】

阿弥陀如来と釈迦如来の二尊を本尊とする「二尊院」と「常寂光寺(じょうじゃっこうじ)」は紅葉寺である。場所は清凉寺から西へ出向き下って行くのが良いかな。平安時代に嵯峨上皇勅願により創建。

画像9

変更履歴
2021/11/16 紅葉参拝したので更新!

2021/10/28 初版

▼HP

二尊院

画像38

常寂光寺

画像39

▼アクセス

二尊院 :京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
常寂光寺:京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3

▼本尊と脇時

二尊院 :釈迦如来立像@重文 & 阿弥陀如来立像@重文
常寂光寺:十界大曼荼羅

▼見どころ

▽二尊院

 正式には「小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)」だそうだ。略して「二尊院」というのは乱暴か。。
 本尊が釈迦如来・阿弥陀如来の二如来を祀ることから「二尊院」となった。

聞きながら読んでいただければと。


画像2
画像3

→境内→参道

このちょっとした登りと両岸の紅葉がよいです。全盛期は夜間拝観もあります。もう少し色づくとよい感じになります。

画像1

真っすぐに伸びた参道は「紅葉の名所」として有名で、約百メートルの間にモミジとサクラの木が交互に植えられているそうな。理由は定かではないが「紅葉の馬場」と呼ばれている。

画像4

↕この写真は2020年より前の写真ですね。

画像5

↓ここから2021年11月16日の写真

画像10
画像45
画像46
画像11
画像47
画像12

紅葉の馬場突き当りが筋塀になり「黒門」「勅使門」が続く。勅使門は天皇の天皇の意志を伝えるために派遣される「勅使」が出入りする門。

画像13
画像14
画像6

→本堂内拝観(含、庭園)

画像15

 極楽浄土へ送り出す「釈迦如来立像@重文」と極楽浄土に迎える「阿弥陀如来立像@重文」の二尊を本尊とすることから二尊院となっている。遠目からの参拝になるので、オペラグラスは必須です。
 当初は現世を示す「薬師如来立像」があったのではと思ってしまうのだが、左右対称に見えるため、制作時から二尊だったと思われる。

 本堂裏に回る。

画像16
画像17
画像18

庭園が良い感じですね。

画像19
画像48
画像20
画像21
画像22
画像40

→境内

本堂から境内右側の写真

画像23

最近、こういう場所が多くなった気がする。

画像27
画像24

その右は九頭弁財天となっている。脇侍には小さい仏像が多々安置されていた。

画像25
画像26
画像28

本堂右に行くと「しあわせの鐘」があり、100段ほどの階段があるので上ることに。ひとまず、鐘を突きます。

画像29
画像30

明日は神護寺、西明寺、高山寺に行くのでテレワーク作業続きなので、リハビリがてらに上るが、結構、息が切れる・・。

画像31

最後に本堂裏に「時雨亭跡」がある。これは次の常寂光寺と前回記した「厭離庵」にもあるが、ここが元時雨亭であるそうな。

画像32
画像33
画像34

階段を上ったが、見どころがなかった・・。下る。

画像35

境内の右へさらに進むと、さっきの人だ~。

画像36
画像37

↕2021年と過去でなにか風景が違うような。上が2021年で下が過去です。

画像8

本堂右の表鬼門に「八社宮」がある。八社は伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の八社である。

画像9
画像41

さあ~帰るか。

画像42
画像43
画像44

▽常寂光寺 

境内は公式HP参照。。前回は夜間拝観できた。

画像49
画像50
画像51
画像52

まずは境内左へ行くと妙見と休憩処があった。

画像53
画像54

妙見右に奥への道があり多宝塔@重文に向かう。

画像55

多宝塔左の小道へ進み、後ろ側が良い感じですね。

画像56
画像57

お先に「時雨亭跡」については、公式HPでは次のように説明している。

公式HPより
定家山荘の場所については、諸説ありますが、常寂光寺の仁王門北側から二尊院の南側に有ったと伝へられています。 この場所には、室町時代頃から定家卿の御神像を祀る祠が有りましたが、常寂光寺を創建する時に、定家卿の祠よりも上に寺の庫裏を建てるのは恐れ多いと現在の場所に遷座されました。 明治時代までは、小さな祠でしたが、明治23年に現在の大きさの建物に改築され、歌遷祠と呼ばれるようになりました。 歌遷祠の扁額は、富岡鐡齋の作。南隣に位置する時雨亭跡は、戦前までは庵室が建っていましたが、台風により倒壊してしまい、その後再建出来ず現在に至ります。 この庵室は、いつごろ建てられたか不明ですが、当山の古文書「双樹院日勝聖人傅」(1728年)の境内図には、この位置に庵が描かれています。又、「都名所図会」(1780年発行)にも庵が図示されていることから、江戸時代中期には建てられていたことが分かります。

まっ、考古学や他の寺の古門書から何かが見つかるかも・・。

画像58
画像59


▼セットで行くところ

嵐山シリーズ、嵐電シリーズですね。


▼旅行記



----
#二尊院
#常寂光寺
#京都
#京都市右京区
#嵐山
#嵐山シリーズ
#神社仏閣
#仏像










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?