相楽神社に天皇の后になる丹後4姉妹の悲しいお話しがある【京都】
相楽と書いて「そうらく」と読むのだが、神社は『さがなか』と読む。ちなみに、ここ周辺は「相楽郡」である。
この神社名は古事記の一説から来ている。古事記の垂仁天皇の箇所によると丹波出身の4人の姉妹が垂仁天皇に嫁いだのだが、綺麗でなかった2人を里に送り返した。2人の内の1人である「円野比売命(まとのひめのみこと)」は里に戻る途中、山城国の相楽に入った時に「同じ姉妹の中で醜いという理由で返された事は、きっと近所で噂になる・・・なんと恥ずかしい事なのでしょう」と木の枝に取り懸がって(さがって)自殺を試みた。そのことから『懸木(さがりき)』と呼び、これが後に訛って『さがなか』となったとか。
丹波出身の4人の姉妹が垂仁天皇に嫁いだ
・比婆須比売命(ヒバスヒメ)・・初代斎王
・弟比売命(オトヒメ)・・・・・
・歌凝比売命(ウタゴリヒメ)・・返される
・円野比売命(マトノヒメ)・・・返される
その後、姫は深い谷に落ち、お亡くなりになります。その後、堕国(おちくに)と呼ばれるようになったそうで、現在は『乙訓(おとくに)』という地名になったそうな。
なお、日本書紀になると「竹野媛」が入っている。そう竹野神社かと思うのだが。。竹野神社では9代開化天皇皇后で、日本書紀は第11代垂仁天皇に嫁ぐ予定だが返されたとあり、よくわからない・・。まあ~別人としておこうか(笑)。
少なくとも大和朝廷と丹後の関係が密であったことは間違いない気がする。この話の後に、開化天皇の別の妃から「彦坐王」が生まれ、四道将軍として丹後に派遣されていることからも、ある期間は関係が深かったことは記紀、丹後やここの神社の由緒からも、概ね合っているかと思う。
変更履歴
2021/09/11 初版
▼HP(木津川市観光ガイド)
▼アクセス
京都府木津川市相楽清水1
駐車場はないが、神社を過ぎた空いているスペースに置かせていただいた。
神社仏閣の数をこなすなら山田川ICを降りて一番初めに参拝すべきかな。
▼祭神
八幡神
▼見どころ
祭神は「ホンダワケ」こと応神天皇と「仲哀天皇」と「気長足姫命」こと神功皇后の八幡神であり、昔は八幡神社だったらしいが、延喜式に「相楽神社」とあり改名したとか。
交通量の多い道路に面しているが、境内は静かで落ち着いた雰囲気である。入った瞬間、久しぶりの割拝殿が目に飛び込んだ!!
本殿@重文の彫刻や相殿も素晴らしい。社務所には誰もおらず、電話して方式になっているが、由緒は自由にどうぞとなっている。
▼セットで行くところ(▼旅行記)
この後に東側にある浄瑠璃寺、岩船寺、海住山寺などに行くか、北に上るかかな~。もしくは奈良公園などでもよいかも。
↓メインディッシュな神社仏閣
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