ゲロのような憂鬱を俺が破壊する。戦うぞ。


お疲れ

時間ない人は、書き殴った言葉から要点を抜き出してやるから、そこだけ読んでくれ。随時更新。

1.メンタル落ちてる時はすげぇバカになってる
自殺という行為の意味さえ、たぶん本調子の貴方の理解度に追いつけないくらい、バカになってる。愚かさから生まれる自殺に価値を感じないなら、病んでるときに自殺するのはやめておけ。



以下本文 言葉の吐瀉物

ネガティヴをぶちのめすために筆を執ります
アホみてえに仕事は忙しくて、自由時間全然ないので、全然推敲もクソもあったもんじゃないですが、逆にこの汚さが、商業的なnoteの自己啓発レッスンではなく、苦しみの当事者の本気のゲロみたいな、真実に根ざしているんだと、信じてくだせえ。僕は、なんだかんだ元気に生きています。明るさを諦めないで生きています。だから、読んで、読まなくてもいいけど、一人じゃないってのは、信じていいから。あなたの苦しみは、僕が言葉を作る意味として、僕を生かすから。というか、僕も寂しいから、だから、意味もなく寂しい人なんては、一人もいないんだよ。

本題

最近の自分の行動軸が、他人に傾きすぎていました

ここ数ヶ月、他人と上手くいってないですねえ〜

仕事でうまくいかなくて、孤立して、友人とも喧嘩してしまって、地獄のような2ヶ月でした。

いまは、友達も許してくれて、本当にありがたいことに前のように電話することができています!

ですが、「もう二度とあんな思いしたくない」と感じて、人に対する渇望感が強まっていたようにおもいます。

最近の自分は、一人になることがどうしようもなく怖い。人と喋っていないと落ち着かない、ラインの通知が来ていないといらいらする、自己嫌悪に陥る、と言った負のループが沸き起こっています。

ネガティヴなループを抜け出さなきゃと、思っていろいろ行動します。絵を描いたり、ネットで人と話してみたり、漫画を読んだり…

だけど上手くいかない。だって、一人で漫画を読んでも、部屋でウジウジしてる暗い奴に見えるし、絵を描くのもウジウジした暗いやつにみえるし…
何をしても集中できなくなってしまいました。

でも、今日気がついたんですよ。「ネガティヴなループを抜け出さなきゃ」って感情は、「ネガティヴな感情を外に出したら嫌われるから、明るくしなきゃ」って動機に基づいていることに。

というか、こんな感じの行動原理で動いている人、いっぱいいません?

僕、ようやく気がついたので、一緒に抜け出しましょうよ。

とりあえず、抜け出すための手掛かりとして、僕のここ数ヶ月の行動をば…

1.崩壊期
[概要]
職場で大声で恫喝され、泣く。仕事にも支障をきたす程に。仕事にやる気が起きなくなる。かと言って辞める体力もない。お金だけは貰いたいと思ってしまう。悔しい。情けなさはずっとあるけど、どうすれば抜け出せるかわからない。友達に相談する。仕事は仕事としてしっかりやらなきゃダメと言われて、安全圏から色々と偉そうに言われていると、思ってしまって、暴言を吐いてしまう。喧嘩になり絶縁。幸い、職場の上司に休暇を頂けたこと、実家で両親と話せたこと、妹が成長している姿を見せてくれたこと、全く関係ない友達が遊びに誘ってくれたこと、のお陰で、人との関わりを保つことはできた。でも、友達と映画を見に、上野に行ったら、人混みを歩く人はみんな、楽しそうで輝いていて、それに比べて俺は23歳で、憧れだけで仕事選んで、仕事なのに優しくされることを期待したりして、泣いたりして、情けないなって思って、パニックを起こす。

[振り返り]
人生初の職場の相手からの暴言でした。本当に物を投げるわ大声出して暴れるわでめちゃくちゃ怖かったです。特定を避けるために、どういう顛末で生起した事象なのかは、書けませんが。でも、自分だけが100%悪いわけで無いこと、他者の視点から担保されているため、執筆するに至りました。
本当にこの時期は、絶望的だった。死ぬことも考えた、首にロープをかけて、死ぬことが意外とめんどくさい(ロープが体重に耐える保証がないこと、ロープをかける強靭な支柱が意外と見つからないこと、脊髄破壊して歩けなくなったりしたらもっと地獄だということ、自殺未遂がバレたらそれこそ窓際に追いやられて生殺しを喰らうかもしれないことetc)ことを証明してあげないと、自殺を棄却できない程度には、追い込まれていた。
 また、脳内で自殺を棄却しても、バカになってるので、10分後にはまた自殺する理由を探し出して、同じように自殺できないと結論付けて、だけどなんで自殺できないのかわかんなくなって、ああそうか、俺が住んでる場所には、首を吊れる場所なんてないんだって気がつくループ。だけど、何回も考えるうちに、あれ?あそこのトイレなら行けるんじゃね?みたいな感じで自殺思考がどんどん育つのを感じた。

そういう時は、実家に帰ったときに見た、妹が元気に絵を描いている姿がちらつく。今俺が死んだら、妹は絵を描けるのかと。俺が妹の立場になって、姉が死んだら、俺は絵を描けないと。それは、かなりだるいなと、じゃあ自殺を棄却するかと、バカな脳みそで延々と自殺について考えました。周りの人たちは、仕事とか、友達と遊ぶ予定とかさ、考えちゃってるのに❗️

[崩壊期の振り返り]
人の繋がりって、本当に、大切なんだなって思いました。多分、僕に家族が一人でもかけていたら?上司の方がほんの少し厳しい人だったら?僕はどうなってたかわからないです。(当たり前かもですが)。この当時の、自殺脳内会議のおかげで、他者の存在は死を回避する上で大きな意義を持つことを、実感するに至ります。これが先に述べた他者への渇望につながることは、自明であると、推察します。
また、病んでいる状態は、馬鹿なことにリソースを割かれるので(だって、自殺するかしないかなんて、世の中の大半の人にとっちゃアホみたいな質問でしょう。なんでそこそこの彼女がいたりそこそこの仕事があったり、そういうのがなくてもまぁ、なんとなく昔の栄光による自信や、仲のいい友達とか趣味があれば、自殺なんて検討する価値もなくて、他のことに頭を使ってるわけでさ。)、どんどん世間から置いてかれる感覚もあった、本当にそれがさらに恐ろしくて、社会は苦しい僕なんか目もくれずどんどん育っていって、恐ろしい敵だと感じるようになった。

2.小康期
友達とは冷戦状態。休日になってもラインは来ない。話しかける雰囲気ではない。疑心暗鬼に苛まれる。上司がつきっきりで僕のことを心配してくれたおかげで、徐々に働くことができてきた。だけど、メンタルは不安定で、塞ぎ込むことやパニックになることも増えた。その様子を見た同期が、「演技やめろや」とほざいてきて、すげぇ僕はブチギレて大声で喚き散らして、さらに人望を枯渇させた。仕事に関しては、最低限のタスクはやると言った具合(掃除とか、簡単な文書作成とか、研修とか)。だけど、病んでる状態でも掃除はできるんだなーとか、最低限の雑談はできるんだなーとか、腕立て伏せとかは意外とできるしなんなら体を鍛えてる方が楽だなーとか、ぼーっとしながら蠢いてる時期。この頃から、休日を自殺検討会議に費やすことは無くなって、一人部屋にこもってぼーっと過ごしてなんとか仕事に体を持っていくという成功体験を賽の河原のように積んでいた。だけど、元気になった分、寂しさを感じる余裕ができて、きつかった。もっと暴言を踏みとどまれたんじゃないかとか、なんでこんな呪いみたいな流れが来るんだ?人類は愚かだ、とか、俺は罪人だ!とか考えて、自殺検討会議よりはマシだけど、これまた愚かな哲学気取りに至る。

[反省]
本当に、上司の方には恵まれました。良くも悪くも人手不足で不人気ではあるけど、社会的にニーズの高い仕事に体を捩じ込んだおかげかは知りませんが、面倒見がよかったです。ですが、全回復はさせてくれません。ママのように泣き止むまで待ってくれることはありません。体力ゲージ黄色になるまで回復させられてフレアドライブを撃たされるイメージです。仕事できるならさせられます。ですが、お金を貰えているので、むしろ、社会人という立場で関わるしかない以上、僕に向けられる優しさとしては、最大限の尊い物を頂けたと思います。それに、中途半端に休ませられると、さらに社会からドロップアウトしかねないので、こういう経験も必要だと思いましたね。学生時代は、調子を万全にする時間なんて無限にありましたが、社会人からはクソみてえなコンディションでも、切れるカードを全て切って打ち勝ってやる気概が必要なのだと、思います。

疲れたのでここまで

正直人に見せる体裁をなしていないが、僕のゲロからなんとか、戦う活力を見出してくれ
綺麗なだけのポジショントークよりは、マシだろ

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