俺が寂しさをぶちのめす為に意識してる事(わりと効果あり


1.独り言×ランニング(体動かしながらなら何でもいい説)
キロ5分くらいのペースでボソボソ喋りながら走る。喋ることは何でもいい。言葉を扱う事に僕は喜びを覚える。人と話すことも好きだ。だけど、それだけじゃ足りない。他者の目を気にせず、思いっきり、自分の言葉で、世界を支配して、楽をしたいぜ。
だから、独り言を言うのが、僕は好きだ。

でも、独り言しか言わないのは、なんか暗くてダセェと思う。自分という人間を、言葉にのみフォーカスする事に、大きな抵抗を覚えるのさ。(このnoteも書いててなんか文学者気取りの自分に嫌な気持ちを持ったので腹筋をしながら描きます。ほめて)

なので、運動をしながら、言葉を使う事にする。
言語能力に乏しいフィジカルモンスターは、その辺にいるだろう。
身体活力に乏しい言語中毒者も、インターネットの蛆だまりを除けばいくらでもいるだろう。空虚に向かって闇ツイを放つ変なやつさ。

だけど、日光の下で、体を動かしながら、自由自在に言葉を操ろうとする人間を、俺はイメージできない。だけど、とっても爽やかで、新しくて、健やかなイメージがある。だから、明るく、言葉を使うように、僕は、体を動かしながら、言葉を使いたい(言葉に熱が入りすぎて、腹筋忘れてたごめ)

2.カラオケ
まぁ、運動しながら独り言を言うのと、基本構造は似ている。身体活動量と言語活動量をぶち上げて、でっけえ何かになろうっていう取り組みさ。
だけど、人が作った歌を歌うと言う点で、やや受動的な響きを帯びる。カラオケは、どちらかといえば、言葉の模写に近いのかもしれない。それでいて、人と活発に繋がるイメージも浮かぶ(歌が上手い人って、人気でそうやん。俺下手やけど。でも今年中に上手くなったるでー!)
しかし、言葉の模写、と言う発想は、気に入った。
走りながら芥川龍之介の羅生門を音読するのもありだ。そういえばこの前、ミリタリーケイデンスをやりながら、その辺を駆け回ってみたが(誰もいない田舎です)とても楽しかった。ノリとリズムと前向きな言葉を、走りながら繰り出して、部隊の士気を高める営みだ。体力の消費下であり、かつ軍人受けする前向きな言葉という定型の元であっても、いろいろと表現できる事がたくさんあると気がついた。ミリタリーケイデンスには、ポエム的要素があると思う。

3.くそみてぇに、事前準備に時間をかけすぎない。
仕事の準備、引き継ぎ。やりだすとキリがない。無限に自分の落ち度なんて見つかる。そんな事をして休日の時間を減らして、言葉と身体活動への渇望を、オドオドした受動的な不安(他人に怒られないかと言う低次元な話)で埋もれさせるのは、本当に情けない気持ちになる。だから、俺は、最近、準備は運命として行う事にした。どんなにクソみてえにやりたくない休日の仕事でも、女神さまの奇跡の泉が湧き出るように、集中できる瞬間って訪れる。15分でも30分でもいい。風呂上がりとか、友達と電話して余韻に浸る時間とか、何でもいいけど、ふぅーっと涼しい風が吹くように、「明日の準備したるか」と思える瞬間が来る。その時に、ズバッと、やる。俺はこのやり方が気に入ってる。ただ、準備不足人には迷惑かけないという定型もあるので注意せよ。でも一番は自分のメンタルやけな。クソみてえな失敗を気にするより、俺たちは働いて金を使って、誰かに優しい言葉の一つでもかけてあげればそれでいいんだよ。

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