2013.07.30 昨日は思いもよらなくても明日はプリキュアにだってなれるんだ

例えば異常に歯が抜ける夢なんかを大学の頃まではよく見ていたのでありまして、
しかしながら異常にトイレを、
がむしゃらに入念にゴッシゴシとトイレを掃除する女子、
みたいな何かが最近の夢の中での私の配役なのであります。

目覚めは当然のように最悪、
だけれど夢占いなんかをチラと拝見するとどうしたものか、
“運勢向上の兆し”“準備万端の合図”などと書かれておるものですから私も、
朝からハイ・キャロリーなマヨネイズを
むりむりと浴びたキャベトゥーなんかをほうばっては、
勇気りんりん目がらんらんなのでありました。

人間というものは1日あれば、いや1時間あれば、
がらりと人生が変わってしまうようなことの連続の中で生きているのでありまして、
ご多分に漏れず先週の私なんかも、
そういった運命のような宿命のような轟々とした大河の清濁を、
まるでカ・ルーアミルクのようにグビグビと併せ飲んでいた次第でありましたが、
部屋中がミルキィ・ウェエイ!
なんてプリキュアしている年齢でも容姿でもないわけですから、
歩道橋からトゥーン!したい夜や中央線にタターン!したい夜は、
じゃあ一体どうすればいいと言うのでしょうか。

テレ(っと)クラ(ぶ)にでも電話をすればいいのでしょうか、
ホ(っと)スト(りーと)にでも赴けばいいのでしょうか、
否、私は私にしか慰められないのです。
1人48役ヘビィ、ロー、テー、ション、なわけであります。
結局、調子のいい部分を選抜し、神7な私を創り上げていくしかない…
という結論に辿り着いたのでありました。

嗚呼病気というものは悪魔のようでいて、
自分をもっと知れる機会をくれた天使のようであることよとは思うておりましたが、
躁にジャンプして鬱にダイブするという
盆と正月がいっぺんに来たような私の中には、
悪魔やら天使やらが住みつけるような土地も余裕もありませんので、
したらば病気とはそのようなものではなく、
“私”というものに他ならないということを噛み噛み締め締めしたのでありました。

躁にも鬱にも明日はあって、歯が抜けてもトイレ掃除をさせられても、
やっぱり明日というものは来るわけであります。
“現実には見えなくても夢は知っていた”みたいなおとぎ話を、
易々と信じる程度の想像力はまだ持ち合わせております私ですので、
先刻の夢占いの結果も然り、
昨日は思いもよらなくても明日はプリキュアにだってなれるんだと信じて、
ただひたすらに信じて生きていこうと、
右の奥歯に被さるキャベトゥーなんかを舌で弄んでいる火曜日の、
もうすぐ水曜になる夜のお話を、
長々と“あります調”で述べさせていただきました。
トゥーン!

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