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何も興味がない?

こんにちは!やんちゃんです🍫

重度の知的障害、自閉症の方は、物事に興味がない。余暇がない、なんて引継ぎを受けることが多いですが、、僕は何百人と余暇支援をしてきて、一体何を言ってとるんや?って感じ続けてきました。

今日はちょっと事例を出しながら話してみようと思います。

何にも余暇がなくて心配


ある方が僕の事業所に登録にきました。登録するときに、アセスメントシートってのがあるんですが、その中に、余暇がない。って書かれているわけです。僕はこの余暇がないってのを見ていて、一体余暇って何の事をいってるんやろ?って思ってました。

確かにその方の一日は、部屋の中で一人、何をするわけでもなく歩いたり座ったり、寝転んだりしているだけ、に見えます。僕たちが言う余暇的なことは何もしません。何を提供してもチラッと見ては部屋の外にぽいっ。

ただ良ーく見てるとニコニコして楽しそうにしていることが多かったりします。見たらわかるやん、って思うでしょ。でもね、支援者はそこを見逃していることがめっちゃ多い。

本人の今の状態より、情報や社会や支援の価値観に思考が持っていかれていて

「あかん!なんもすることなくて暇そうや」
「なんもしてなくて可哀そうな人」

とか、めっちゃ問題にしていくわけw課題や問題ってのは、なぜか本人を置き去りにした所で出来上がっていくわけ( 一一)


余暇アセスメントシートってのを作ってみる


ザ・テンプレート支援!!アセスメントシート!うちの事業所で出来る余暇を(支援者目線のね)作って評価みたいなのを作る。すると、見事に全部興味なしwのシートの出来上がり。それを見た他の支援員はやっぱりなんも興味ないんやなー。楽しめてないんやー。ってどんどんどんどん問題の人になっていく。

これは、も~耐えられない( ゚Д゚)

何かを判断するとき、いつもそのシートを眺めて紙の上の問題の人を皆で見つめるんよ。あほか。(汚い言葉ごめんね)


当たり前のことに楽しみがある


ちょっと、意見があります!物申す!!こういう時僕は完全に何かのスイッチが入ってる( ゚Д゚)

「彼って何か困っていましたっけ??」
「本人ってどう思ってるんでしたっけ?」
「余暇って誰が作った概念なんでしたっけ」

はー、でたー!って顔されますが、関係ありませんw

その日から、僕は彼を連れてあっちゃこっちゃ行ってみました。
コンビニ、スーパー、公園、自販機、みたいな当たり前に行ける所だけどね。

これには訳があって、僕はいつも本人がどういう時、どういう事に快を感じているのか(笑っているのか)を知りたいだけ。何かを扱ったり、していたりすることではなく、何のどの瞬間に幸せっぽいことを感じるのか、どんな世界なのか。教えてね。って感じです。

小さなサインを見逃さない


とある公園へ何度か行った時、普段はほとんどスローモーションのように動く彼が、少し早足になってるのに気づいたんです。何がそうさせてるんだろうか。僕もちょっと早めに歩いてみたり、方向を変えてみたりしてみる。すると、急に爆笑しながら全力疾走しだしたww

いやー。楽しかった。そんな顔してそんな感じで楽しむんやー!って思いました。


理由なんてどうでもいい


あ、それは実は走るのが好きで、坂道を走る感覚が身体感覚として・・とか理由を想像することは出来るけど、正直僕はどーでもいい。

本人にはそんなこと関係ないし、ただそうやって心地良さそうにしていたし、その後も時間があったら一緒にそこにいって爆笑しながら走りまくる日々を過ごしました。

長年言葉のない方と過ごしているとわかるんですが、そうやって一緒に楽しみを共有してると感覚として伝わることがあります。

その彼は、その後部屋から出てきて色んな方と関わる(近づいて笑ってるだけやけどw)ことが増えて、僕はいつも「○○はなんか幸せそうでえーなー」なんて声をかけたりしてました。


余暇なんて作るもんじゃないよ


余暇なんてのは、誰かが作った枠。それがないと楽しめてないとか、不幸せだとか、勝手な基準で個人の人生をジャッジしないで欲しい。

人は一人として同じではないし、その人だけのもの。周りがその人の世界を奪うことはやめい。

与えているようなふりして求めない。福祉なんて概念自体が、個人の意思を尊重することからかけ離れるんだから、ちょっと俯瞰して考えてみて。

教科書に載ってない自閉症支援、発達障害者支援、聞きたくなったらお声かけ下さいませw






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