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傾聴なんてすんな!?

こんにちは!心理カウンセラーのやんちゃんです🍫

今日は傾聴について好き勝手書いてみようかと思います。

僕は長い間福祉の世界にいたので、馴染みのある言葉です。

傾聴、共感、相手の立場に立つ。
皆良く言ってましたねー。

カウンセリングでは、来談者中心療法ってのがあって
受容、共感、自己一致、なんていう有名な概念ですね。

オウム返し(バックトラッキング)、反射的傾聴
伝え返し、とかスキルみたいのが色々あります。

僕は共感とか受容とかやらん

これは、
何百回も人の悩みを聴く仕事してると
正直、そんなねーよ!!って思うからです。

意図や意味はわかる。

でも、

人を受け入れること
共感しようとすること
自分の想いと発言が一致してること

こんなもん
相手に本気で向き合ったら自然に成り立ってる。

それを、何か技のようなものと勘違いして

○○だったんですね~。
○○と思ってらっしゃるんですね~。

みたいに棒読みで言っちゃうカウンセラー風。

ほんなら、友達と会話してて

「これ、美味しいよね」
     ⇩
「あ!美味しいと思ってるんですね」

とかやらんでしょww

むしろまずくなるやんww

いつも自分であり続ける事


こうなってしまう、大きな要因は

カウンセラーが、
カウンセラーという「役割」を演じてしまうからです。

カウンセリングって
コミュニケーションであり
人と人との関わり、なんです。

治療者や専門家のような仮面を被るのではなく
自分自身として、相手に当たり前に向き合う。

来談者中心療法を生み出したカールロジャーズも

創作された共感や受容、ではなく
自己一致(いつも自分で居続ける態度)をとても大切に
していただけなんじゃないかと感じています。

それが、周りから見れば、紳士な態度に映っていたし
共感的で受容的に見えただけでしょう。

質問の形式や、「やり方」ではなく

カウンセラー自身の人としての「在り方」

これが人と人の間に繋がりを生み
それを信頼関係、と呼ぶ。

そういう事なんだと感じます。

最後に

「悩み」ってのはいつも不確かな物です。
定義づけられるような、一般化された概念じゃない。

だからこそ、対処療法では救えない、
それぞれの個人の想いや背景がある。

その人を分析したり、型にはめるのではなく
今目の前にいる、その人を感じ、向き合っていく。

信頼とは、理解しようとするプロセスそのもの。

僕はそういう「想い」で誰かと向き合い続けたい。




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