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夜明けのすべてはなぜ好意的な感想ばかりなのか、脚色が過ぎない?

夜明けのすべて、観ました。
原作が好きで楽しみにしていたけど、なんか思っていたのと全然違う。
いらないものだらけだった。
原作にない設定がかなり追加されている。
脚色について世間の評価は概ね好意的だが、私はちょっと納得できなかった。

主役の二人、藤沢さんと山添くん、あとは栗田金属(劇中では栗田科学)の面々と辻本さんの御守だけで物語を進めてほしかった。

プラネタリウムも親しい人を亡くした人のセラピーも藤沢さんのお母さんもいらないんだよね。

追加の設定に何ひとつ必然性を感じなかった。
原作を補填するものではなかった。
映画としては纏まりがあり破綻はなく、むしろ良い話かもしれない。
だが、原作のまま二人の心情を深堀りした実写化で良かったのではないのか?

逆に原作の骨格をなす重要なシーンはカットされていた。
コケシのヘアカットはあっさり済んでしまった。原作を読みながら声を出して笑ったシーンだったが俳優がイケメンだからか、コケシとは程遠い。
クイーンで盛り上がる二人のやりとりで、山添君は発症前の生活と今の生活を比べて出来ないことばかりではない、工夫しだいで人生の光を見出だせると気付けたはずだ。
自転車は山添君が自分で買うことに意味があったのだ。藤沢さんの為に行動しはじめる気持ちが生まれるという大切なメタファーが自転車のペダルを踏み込むところに表されていたのではないのかな?
お守りはポストに入っていてこそ意味があったのだ。名前が無いことが押し付けがましくない優しさであり、それが三つもあったことが山添くんの背中をグンっと押したのだ。

パニック症候群により社会からから切り離されて自己肯定感を失くしていても、生きる気力を失いかけるも、他の誰かに案じられている、御守を届けてくれる人が自分にも居る、と気付き、周囲の優しい後押しに前を向いて進む、人生って最悪じゃないんだって思える。
そんな話だったはず。
そこをカットしちゃうのは原作を無視してると感じた。原作の設定を借りた別の話になってはいないか。

映画ということで病気の表現はかなりマイルドになっていると思う。パニック症候群とPMSの現れはもっと激しい事もある。私のパートナーはPMSであるが、一度スイッチが入るとあんなに簡単に治まるものではない。人により程度の差はあるだろうが。
パニック障害の発作だって当事者からみたらあんなに軽くは感じないのではないか。
この映画を観た人がパニック症候群、PMSを認知して貰えるのは良いことではあるけれど、あんなに軽々しいものじゃない人が居るという事を判ってほしい。ある種の誤解を生じさせてしまった危惧がある。

生きづらさを抱える二人の苦悩とそれでも少しだけ前を向いて進んでいきたいという想い、そして近しい周りの人達の優しさだけを描けばそれで良かったんだ。

色々詰め込んだから原作の一番大切な部分が薄れちゃた気がする。

ただ、フィルムとオールドレンズで撮影したような優しい映像と心落ち着くBGMは良かったと思う。登場人物全てが優しく、あたたかな映画であったのは間違いない。
原案 瀬尾まいこ として別タイトルの映画だったらモヤモヤしなかったのにな。原作を読まないで観ていたならば高評価だったかもしれない。残念だった。

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