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我が教え子に伝えたい事

我がボクシングジムはOBがよく遊びに来る。私は指導中と、人として間違えた時しか教え子を叱らない。

いつも吉本並に、笑いを取ることを信条にしている。だから遊びに来やすいのだろうか。

さて、ある方の本にこの様な事が書いていた。うろ覚えなので正確ではないが以下の様な事が書かれている。

些細な事や下らない事で政治家がオタオタする。もっと泰然としなければならぬ。今の日本はどうか。ロッキード事件程度でこんなにオタオタするようではならぬ。

ロッキード事件は、約50年前の事である。その当時の言葉がまるで今の政界を指してる様で、これは今も昔も進歩がない、と言う事になる。

何故か?
政治家に限らず学校を出て就職をすると、やる事が多くなり勉強を疎かにする。政治家は立身出世と自分の欲で物を考える。

だから忙しいと言う事になり、目の前のことに追われる。
私の嫌いな言葉に「忙しくて忘れてました」という言葉がある。

私はこれを連呼する者に、必ずこう言う。

「親が死んた時、忙しいので葬式に行きませんと言うか?」。

意地悪ではなく物事の優先順位を考えろ、優先順位を間違えるな、という事である。軽々と忙しいと口に出す物ではない。

こう教えてるのだが、素直じゃない者は何も考えず「そうですね」と即座に相槌を打つ。

「こいつは聞いてないな」と直ぐ分かる。素直に聞く子は食い付いてくる。食い付いてくる子は特に小中高校生に多い。

かつて私は、毎日記憶を飛ばしてジムに入り本当に一瞬夢を見て記憶を飛ばしミットや指導をしていた。選手に止められた事もある。

夜10時以降は酒を呑まぬ私が、自分が言った事を翌日殆ど覚えてない時期が続いた。

しかし、いつも忙しいどころか「仕事があってありがたい」と思っていた。一度貧乏を味わうとそうなる。

結果、地元の財界人や市の政治家がこの行為を見ていてくれたが、私は何も見てほしいからという理由でやった訳ではない。

自分にしか出来ない与えられた事があるから、全力を尽くす。人が喜んでくれる。
だから、自分の信じた道を貫く。こんな幸せはない。

そう思うと忙しいなぞ思わない。

例えば、プロボクサーが朝ロードワークをして仕事に行き、夕方ボクシングの練習をやれば、家に帰ると疲れて寝る事しか考えない。

そうでないならば、密度の濃い練習も仕事もしていないと言う事になるので中途半端な結果しか出ない。当然どちらも達成は来ない。

これで後悔する人を多く見てきた。彼ら彼女らにそんな人生を歩んでほしくないのである。

若さの特権は「いくらでもやり直しがきく」という事である。

このやり直しは、良い師を持ち素直な心で質問し、勉強を続ける事である。その上で最低5年は一つの事をやり続ける事である。

「あのジムの出身選手はこう言う性格が多い」という、ボクシングジムあるあるがある。

先日あるジムの会長に「あそこのジムの出身選手は、何故口が軽くジムの悪口を他所で言うのが多いんでしょう」と聞かれた。

「簡単の事です。師匠がそうだから若い子に間違った洗脳を押しつけ、いつか反動がくる」と言うと「やはり」と頷いた。

人はどんな乱世になろうが、周囲がどうであろうが、我が信ずる道を行けば、必ず行動を見てくれる人がいる。

そう言う人達は、いずれ君の周りに集まる。

正しい行動を続けると、その人達は協力してくれ、必ず助けてくれる。苦言も呈してくれる。

質問をすると的確な答えをくれる。口下手な人は君の横に寄り添ってくれる。

君が落ち目になっても、君の信念が変わらなければ必ず側にいてくれる。

世の中は最終的に価値観の同じ人が集まる。価値観の違う人でも後に考えが変わる人もいる。そういう人は必ず君のもとに来る。

私の取り柄はどん底と絶頂を味わい、乞食から大臣まであらゆる人を見てきた、と言う波瀾万丈な人生である。

この体験から、人の上に立つ人は周りを自然と巻き込む、という事を知った。自分の意見を押し付けていないのに寄ってくる。

他方、手柄や自慢のみを欲する人は、自分のやる事を振り返らず、他人に押し付ける。自分の言う通りにしない人を認めない。

そして誰もいなくなった、という結末になる。

この違いは大きい。若い人は意外にお金では付いてこない。
理念と責任を取るリーダーについてくる。

立派な方がボランティアや寄付をするのは、信念があり我が道を貫く君の姿を、きちんと見てるからである。

我が道を行くと言うことは、思考が違い離れて行く人を、批判せず追わないこと。

他人の妬みや嫉妬に振り回されず、比較しない事である。

そうすると一度離れた人も、あの時はこうだったが、今は言うことが分かると思った時、戻ってくる事もある。

そして必ず助けてくれる。こうしてチームが出来る。

リーダーになると、こういった若者が困った時の為にも、お金は持っていないといけない。

お金がなければ、いくら綺麗事を言っても達成出来ない事がある。

このお金、つまり利の意味をどう正しく覚えるかが勉強、どう正しく教えるかが教育である。

我が道を行く。
いつか人の為にもなる事なら、胸を張り堂々と貫けば良い。
批判や逆境に心を乱されず王道を歩む。

泰然と。

ならば動じることなどあろう筈がない。

人の目を見れず、人に言えない事を行う人間に成らない様、互いが分かりあうまで話し合う。そんなジムでありたい。

質問も意見も言わない者に、後でああだった、こうだったと言う権利はなく、忙しいなどと言う自分本位の者は、最早論外である。

世の中には正解がない。

我が信ずる道を歩み、泰然とした態度で生き、突き詰めて成功と失敗を繰り返し、自分がこれだと見つけた事が正解である。

その正解を省みて、もっとベストはないか。

正解を更に進化させ、志を高める事が、君の産まれて生きてきた使命である。

それが宿命を運命に変えるという事である。

正解には終わりがないと思い、進化させる事で君が成長する。
君が成長すると君の周りも成長する。

私は今、やっと志の3分の1に来ている。

今、YANAGIHARAジムにいる子は、スタートラインにきちんと立てるよう、常に自分が決めた道を泰然と進んでほしい。

君たちはまだ何も始まってない。

こうしたらああなる、などと考え続けるとバスに乗り遅れ、人も去り、永遠にその場から進めない。






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