読んで知る。知って分かる。そして本を読んだら反吐が出た。
バブルという時代が昔あった。
その時私は何をしてたかと言えば、1ヶ月半の間、水のみで車中泊をする乞食時代を過ごして、その後何とか運送会社に採用された。
更にサラリーマン生活を数年経た平成5年。遂に独立開業する。
とにかく趣味は、子供の頃から読書であった。
バブルの経済学、という本を起業してすぐに買って読んだ。。意味はないが経営者として何か引かれて、いや、経営者としてバブルを知らねば。
そう思い買ったのだが、その後起業が軌道に乗り、暫く読書は出来なくなる。
私は金融会社を起こしたので、本を読むとなれば民事訴訟法や民事執行法がほとんど。
民法は21歳で肝心な部分は殆ど理解しており、貸金業の規制等に関する法律なんかは、とっくに丸暗記していた。
動産執行と債権執行の勉強と実務は楽しかった。やればやるほど儲かる。裁判所で仕事をする優越感もあった。
さてあれから30年が経つ。
今は孔子がどうした、孟子がどうだという本を読む。
但し私は、この手の本を読み分からない所は飛ばす。
肝心な事はまず「おおーー!」と思う、目から鱗的な新しい発見。
例えば「徳を積めば得が来る」とか、まるで文字遊びをした結果、大賞を取ったように思える言葉の様で、実は奥は深い言葉の意味を考える。
私の場合、反面教師が多くいたので、これが出来ない人は才があっても事の達成できぬと読み、知る事となる。
所で、数億から数十億のものや利権が、いま現在私の耳に入り、色んな相談に乗る。
耳と目の前をもの凄い金額が飛び交うが、私は微動だにしない。
自分に入るお金ではないから、という理由が主だからだが(笑)。
私はまず、この話の動機。つまり何の為にこの商いを行うかを聞く。次に我らが北九州市に、どういう効果があるかを考える。
その他にも、ボクシングの子たちには結べないか?
あの会社とあの会社を繋げれば、いい結果が出るのではないか?
障がいを持つ子の為になるには、これにこうした事が出来ないか?
常にこんな事ばかりを考えていると、本当に楽しい。北九州皆の未来を想像し、ワクワクする。
そんなある日、ふとある人に言われた。
「柳原会長は、私より断然年下ですけど、本当に強くて自分の事はそっちのけで。得る事がすごくあります」。
うーん。
正直まだまだ全然なのだが、嬉しい。
私欲を捨てるという儒教の教え。
少なくともおそらく私なんかは絶対無理であろうが、私欲を捨てる気持ちを一応は常に念頭に置く。その上で話しその上で行動する。
とまあ、このままいけば仙人の様に霞を食わねばならんと思うかもしれぬが、心配ご無用。お金儲けは考えている。
ただ、今の私は自分のそれより、地元への貢献を考え、上手くいって皆が喜んでくれればいいな、と思うと辛い事は取り敢えずない。
さて、ここからが本題である。
住専問題で逮捕された人が、事の経緯を書いた本が、何故か最近、押入れから出てきた。いつ買ったのか、いつのものか分からない。
しかし私は、何故か直感で「読もう」。
そう思った。
バブルの経済学という、バブルを経済として検証した本を読み、バブルの時、私は乞食だった。だから当事者の声を知りたくなった。
そして私は、この本を読み吐きそうになる。
本の内容は、おおよそこういうものである。
慶応大を出てディベロッパーとなり、一兆円近い財を成したが、バブルが崩壊し、銀行とゼネコンから掌を返され騙された。
国策に近い捜査で倒産、逮捕。
本人曰く、そういう本である。
この人がどんな人か知らぬし、我々の税金を投入し、問題が残る処理を国が行った、一連の住専問題の出来事は、何とな分かる。
「従業員は悪くありません!全て私が悪いんです。従業員を責めないでください」。
そう泣いて記者会見を開いた証券会社の社長がいた事も思い出す。
「アンタと従業員が悪いから会社は倒産するんだよ。少なくとも株なんか俺は見たこともない」。
当時私はテレビを見て、そう思うと共に「敗軍の将、兵を語らずという諺を知らねえのか。情け無い男だな」と思った。
そして「男が大勢の前で泣くなよ」。
当時、そう思った私は、今更ながら軸がぶれぬ。
同じように、現在読んでる本は「どこどこの銀行が融資をすると言ったがあれは誰々が裏で絵を書いてた、間違いない確信がある」。
そんな言い訳を書いている。
読めば読むほど、徳とか義とか敬、という行いに値する行動、思考の記載はない。たられば、と騙された私も悪い「が」。と続く。
この「が」という言葉を読み、さらに反吐が出た。
昔なら面白い話だ、と読んでいたはずの、この手の本。
考え方を正しくすれば、そしてその正しい考えを少しだけ実行してる私は、この本の残りを今から読み、更に徳を積みたいと思う。
この本に書いてる事は、かなり事実だろうが一言で言えばこの方に私欲がありすぎるから騙された。私に言わせればそれだけの事だ。
「プロジェクトが終わり、あれだけ胡麻を吸ってた奴らが去った」というくだりを読んだ時は怒りを通り越し笑った。
「ボクシングの世界チャンピオンは、20代でベルトを手放した時、それを経験するんだよ」。
そう思うと笑えてきた。
この本も、YANAGIHARAジムの子供達が将来、来るべき時に私がどう接しどう振る舞うか。それを教えてくれる本になりそうだ。
世の中、自分だけの為に生きてたらこういう人になるし、溺れたら誰も助けやしない。
私は21歳の乞食の頃でも、地元の同級生が遂に私を探し当て、数人がパンやジュースを片道2時間かけて持ってきてくれた。
恥ずかしいからあまり言わないが、これは自慢である。
悔やまれるのは、この人は慶應大学を出た後、人とはどうあるか?
という矜持を考えず又持たず、失敗は人のせいだと思ってはならぬという勉強と経験をしていない事だ。
そして師がいなかった、と思う。
似たような事例はごまんと見てきたが、ここまで正直な告白を聞き、やはり人間は人の為に尽くし、お金儲けをするべきだという初心と、今もブレぬ気持ちは正しかった事を顧みることが出来た。
そして今日も街頭パトロール、ボランティアをした我が教え子達の写真をここに残し、明日のために寝る。
たられば、とか、騙された、なぞと負け犬が遠吠えを吹く子供達にだけは、絶対にしちゃいかん。
それは人とし生を受けた時に、義務つけられた天命だと思う。
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