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朝起きて毎日が土曜日だと思う訳。

「己より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る」

カーネギー

これは、カーネギーの墓に刻まれている言葉である。

組織で自分より優秀な人を使う。ほんの少しとは言えまさか自分がそうなるとは思わなかった。

此処に至る迄の我が身を振り返ると、そうなった理由は「自然体に生きる事」と言える。

一昨年までは、殆ど寝ずに仕事をしていた。

普通のコンサルタントが入れば顧問先の会社の本来得られる筈がない収入と、本来払わなければならない支出を、全て合法的且つ道徳や倫理に反さずに払わない様にした。

全部足すと1年間で、約2億円の金額を弾き出していた。

ある時は腰痛がひどく、家で休んでる最中に電話で顧問先の依頼を受け、取引先に電話をし、4日で1000万円の利益を、その会社に計上させたこともある。

勿論私には成功報酬はない。だから良かった。

人から余計なお金をもらうと、制約され制限がかかる。

束縛されるのが嫌いな私は、敢えて多くのお金を貰わなかった。ハングリーという気持ちは常に心にないといけない。

もう一つはこの会社の社長に借りを作ると、後々嫌な事が起きる予感がしたからだが、これは大当たりだった。

私は何故かピンチを正当なお金に変える天才だった。

顧問先は喜び、幹部社員は畏敬の念で私を見る。この事は地元政財界の一部の人は知ってるし、証拠を出せと言われれば直ぐ出せる。

しかし人生というものは、予測不能な事が起きる。

ある事がきっかけで、そんな生活とおさらばしたある日の事。
ブレーンでもある某社の方と、世間話をしていた時。

何故かはよく覚えていないが、僅か5分で自社ビルを建てましょう、と決まってしまった。

後はまるでベルトコンベアーの様に、ビルの竣工が進んでる様だ。

進んでる様だ、というのは、「形ある物これいつか壊れる」ので、何が何でも欲しいわけではない。だからあまり見に行かない。

さて、独立を目指す若い人達には、以下の事柄を意識してほしい。

若い時リミッターを振り切る程の行動をして、それが成功したならば、君は必ずある世代になり、他の人より楽にはなる。

ただそれが幸せかどうかは、価値観の違いだから正しいと言うわけではない。

私はあまり考えず、まず動く。計画は立てない。常に自然体に、あるがまま、その状況下に於いて最大限の働きをせねば、納得ができぬと言うおめでたい性格だった。

さて、上記に書いた夢遊病者の様に仕事をしていた数年前の頃。

私は今日が何曜日だか本当に分からず、日曜の17時にジムに行って「あ!今日ジム休みやった」という事が多々あった。

顧問先の会社の危機管理を行い、数億円の、目に見えるものと見えないものを、稼いだり防いだりという行動、交渉をする生活を送れば人は必ずそうなる。

お金だけが動機では出来ぬが、ただ私は人の為に生きる事が楽しかった。

さて。昨年、新入社員を入れた。

21歳だがこいつは私より能力がある。

日が経つにつれ、私は「こいつは口出しせずに、自由にやらせて失敗を恐れさせない様にしとけばいいな」と思い出してた。

ある程度任せる日が来たのが、3ヶ月ほど前だろうか。

今年になり会社と別に、ボクシングジムには悠太郎という子が東京の大学ボクシング部から、私の元に戻って来た。

悠太郎のボクシング以外の行動も、各方面から私の耳に入る。

私がボクシングをしていた頃、私自身が走る事が嫌いで、異常にスタミナがなかったので、きちんと走る子しかボクシングは教えない!と決めたのが30歳の時。

うちの新入り従業員も、プロで3戦したがスタミナの塊だった。
更にその塊の権化である悠太郎は、スタミナの上に、私が一番苦手とする営業が得意な様である。

自社ビルパース

気づけば自分の育てた少年達が【己より賢き者】になっていたというわけだ。

最近、朝いつ起きても1時間位、ああ今日は土曜日か、と思う。

経営者に休みはないが、毎日が土曜日だと思うと楽しい。

この際理由はどうでもいいが、この世に土曜日が嫌いな人は少ない。とにかく毎日が土曜日だと思い朝、目が覚める。

こうなると人生は余程の欲をかかねば、地獄には堕ちんだろう。

安心感と言うものを最近やっとこの手に収めた気がする。

新入社員も悠太郎も、そしてそれに続く多くの選手や選手志望が、多く居る。
春だけに、最近特に多く入会してくる。

プロボクサーは引退後、うちで働きたい子は働かせようと思い、色々と想像し、土曜日ではない土曜日を過ごす。

自分より優秀な者を雇用すれば、会社が成長するというが、私は偶々、社員と選手達が優秀な者の集合体のトップに立てた様に思う。だから朝毎日、土曜日だと思える。

会社も私のブレーンも北九州市も、欲しい物のベクトルは同じ。
ボクシングの日本タイトルベルトだけだ。

後何年でベルトが来るのか、分からないから私は仕事で倒れる一歩手前の時も、毎日が土曜日な今も、変わらない日を過ごす。

あれもこれも、とやってはいたが信念はベルトであった。

「今度ね。」「いつかね。」「思い出したらね。」

こんな事をいう人には、絶対今度もいつかも来ない。思い出す事も永遠にない。

人間の軸は達成する迄は一つの方が良い。

人生に無駄とか回り道というものはない。

人から頼まれた事は、自分の事より慎重に大切にことを扱う。


憧れの本を読み徳を積めば、いつか似た様な成功経験が来る。

想いが叶うのは、つまりそういう事をしたから叶う。子育てや教育もそうだ。

御年80歳になる母が、布団で寝てる姿を私はついぞ一度も見た事がない。

多分母親が死ぬまで、布団で寝る姿は見れないだろう。

母親のあの生き方を見ていなければ、仕事を此処まで楽しいとは思わなかった。

母親のあの生き方を見ていなければ、今こんなに楽な人生を送れていなかった。

それだけは間違いない。

支離滅裂な気もするが、今日は本当の土曜日なので許してほしい。


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