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故人へ捧げる先輩作家への感謝の意

写真にあるのは「唯誠 さらば矢野康生」(徳間出版)を皮切りに、
立て続けに3冊の本を出した、故若野廉玄さん。

2月6日。
「若野会長が亡くなった」と聞き、久しぶりに動揺を感じた。

亡くなる10日ほど前。朝七時前に電話をいただき、朝早いけど
どうしたんだろうと思い、電話に出た。

「おはようさん。2冊目出したみたいやな。別に何にもあらへんけ
ど売れてるかなあ、思って」と言う。

その後、少し話し最後に会長はこう言った。

「自分は俺の若い時に似てる。いいか、余計な事、色々考えたらあ
かん。右手にチャカ持ってる筈が今は代わりにペン持って、本書い
とんねん。なーんにも考えんと必死で書きや」。

ああ、幸せな男だな私は。いつもこうして気にかけてくれる立派な
方が、時に助言や諫言をしてくれる。そう思った矢先だった。

初めてお会いして、もう3年くらいだろうか?
現総理の、岸田首相等と写った写真を切り抜き、上手く合成され、
「議員と反社会勢力の黒い交際」とすっぱ抜かれた。

これは大変な大嘘で、当然名誉毀損で講談社を訴え、あっさり勝訴
した。

若野会長は、渡世名を矢野と言い、ずば抜けた偏差値で当時の近大
に入学。
空手武道を極めた結果、右翼思想の勉強をし右翼団体に入る。

その後極道渡世に身を転じ、山一抗争と言われた大抗争の当事者
となる。

この抗争事件は当時新聞や週刊誌を賑わせ、若野会長もヒットマン
とし地下に潜ることになる

結局、若野会長の兄弟分が相手組織のトップとNo.2とその護衛を
拳銃で弾き殺害。
自身もこうして、この抗争に身を巻き込まれていく。

その後、若い衆を楽にする為に引退。
自身は空手の団体を率いる。

その経緯と結末は、さらば矢野康生という自著に詳しい。

兎に角、温かくて面倒見が良く、若獅子会という空手連盟を結成。

会長に就任し青少年育成に力を入れた。

いつお会いしても、傍にしっかりした秘書の方がおり、この方々も
教育や躾の行き届いた、尊敬できる方ばかりだった。

いつの世も良い人は、逝くのが早い。

若野会長の処女作

つい10日程前、お元気にお話をされていただけに、本当に辛く、
この時、新大阪駅までの切符を用意しようとしたが、どうしても通
夜と葬儀共に時間が合わず、行けなかった。

今思えば私の書いた書籍は、気持ちが入り過ぎる為、あちこち脱線
するが、多分これを読み「もっとシンプルに書け」と仰りたかった
に違いない。

本物は早く死ぬ。

この方は、ヤクザにしておくのが惜しかったから、神が作家にさせ
たのだと思う。

80歳の、門司のチンケな元ヤクザとその息子が、私から1億円のお
金を騙し、湯水の様に遣いそのまま知らんフリをしている。

この親子は若野会長の本を読み、恥ずべきだ。
人の値打ちは死んでから分かる。

若野会長は生きてる時も、お亡くなりになってからも、カッコ良い
人だった。

何故か、こう言う人が早いうちにお亡くなりになる。

さて若野会長から叱られぬ様、くだらぬ者は遠避け邪念を捨て、
今後、会長から頂いた言葉を胸に、いい物を書いていこうと思う。

それが、若野会長み一番喜んで頂ける事だ。

ボクシングも若野会長が大好きだった競技だ。教育もボクシングも
人としての在り方も、私なりに書いていく。

会長。
短い間でしたが、本当に色々ありがとうございました。

私もいつかそちらに行きますが、恥ずかしい思いをしない本を書き
上げます。

その時は大阪のスイスホテルで、いつも批評してくれた様、厳しい
ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

暫くの間ですが、会長。
失礼します。




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