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新年に、くだらぬ怒りの原因を顧みて反省した事とは。

大よそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として慎んでお受けをするということが、われわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。ですからこの根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えないと思うわけです。
したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、また真の人間生活は、ここからして出発すると考えているのです。

森信三

さて、大晦日も元旦もなく、年末は家から一歩も出ず、お陰様で
お客様や教え子が来る時以外、ひたすら読書をしている。

昨年は多くの、特に昔からの同級生にこう言われた。
「どうした?変わったな、そろそろ死ぬんじゃないか?」

そう言われる程、私は変わったらしい。

来たる北九州市長選は、多くの功績を残した北橋市長が、5期目の
出馬を取りやめ、4人が市長選に立候補。

各候補がデットヒートを繰り返す、過去にない市長選の様相を呈し
ている。

「北九州を変える!」。
そう言い出した約3年前、私は必要な所と必要な事へ、いくばくか
のお金をかけ、我がグループでやれる事をしようと思った。

その間、私のいきなり思い立つ且つ性急な性格で、多くの従業員や
友達に迷惑をかけた。

YANAGIHARAホールディングスを結成し、我がグループの一部
の者が弱音を吐いた時。

「限界?そんな物見た事がない。もう1人でやった方がいい」。

よく考えると今更だが、テメエの性格が尋常では無い事を当時反省
し、怒りや憎悪、諍いを無くす為、東洋哲学を学んだ。

死に物狂いだった。

その間、北九州再生推進会議という、一部上場の会社も名を連ねる
会の、本当に1番ビリに当社が選ばれた時、これぞ天明と喜んだ。

それからひっそりと世の為、子供の為、北九州の為と、儒教を勉強
し、偶然今年、2ヶ月後は北九州市長選が来た。

年下であるにも関わらず、縁を持った「武内」という優秀な人物が
北九州市長選に立候補し、只今激務を楽しく行っている。

やはり運命と環境は、自分で造り動かすんだ。
正しい教えを学ぶ大切さ、運命と宿命の違いに気付く。

思えばジムで、選手達に起きたまま眠り、ミットを持ちながら寝言
を言い、指導した10数年間。

自分はスーパーマンでないといけない、という愚かな思考でこの間
を過ごした。

しかし、その時指導したプロボクサーが、今では当社随一の若手の
エース社員になるのだから、世の中は面白い。

さて。
いつもの様に前置きが長くなったが、新年からそんな事を考えてる
と、冒頭の深い言葉が目に入った。

この言葉は、森信三さんという哲学者の言葉で、彼は天明という
言葉をよく使う。

既述した様、私は人間とは思えん生活をし、弱気を助け強気を挫く
手法を良い手法に変える為、哲学を学び、怒りや憎悪の無力を学ん
でいる。

しかし、時にジムの子や身内から勘違いされたり、友人から柳原に
頼むと不可能はない、と、正当ではない頼み事をされる事がある。

「過去の悪は、一生悪のレッテルを貼られ生きていくのか」。
そう思う事が、昨年少しだけあった。

人は、自分を変える時が一番苦しい。
最近つくづく思う。

中学一年の時、母親から「あんたの事は一生信用しない」。

そう言われ育った私は、振り返れば若い時、何もしてない事で警察
から嫌疑をかけられた時、手がつけられぬ程怒り狂った。

交番で机や椅子をひっくり返す、署内で刑事を殴る、警察が謝る迄
永遠に怒鳴る。

断っておくが、私の母親は今ある自分を造りたもうた、一番感謝
する人である。今でも愛情を注いでくれ、頭が上がらぬ。

が、中1でこう言われた時、ああそうなのかと引き金となる。

やっても無い事を、身内から疑われる事が、私に取り一番の怒りと
なった。

他人から、何と言われてもどうとも思わないが、身内から疑われる
と、お前も警察か、と思ってしまう自分を本日、恥じた。

今年は疑われる事も、勘違いされる事も「自分が生きてきた事から
来る天明だ」。そう思い、昨年を顧みた。

北九州への恩返しの動機が、真の確信に変わったのは、ある日コンビニのトイレから戻る時、駐車場にある自分の車を見た時だった。

「過去悪い事ばかりした自分が、何故こんな偉そうな車に乗ってる
んだ?」。

北九州孝行をする、一番の動機はこんな些細な、単なる罪滅ぼしからだった。

人様に偉そうな事を言い、道徳だの儒教だのという自分を、いまだ
に身内から勘違いされた位で、怒る自分を、元旦早々恥じた。

森信三氏は、更にこうも説く。


故人に尽くす一つの途
(故人に尽くす一つの途は)故人の書き残したもの、並びに生前故人と親しかった人々の、故人に対する思い出などを書き集めて、それを何らかの形で印刷して、故人の生前を知っている人々の間に頒(わか)つということであります。

森信三

私は亡き私の先輩と、育ての親をこのnoteで多く書いてきた。

自分の行いは正しかったのかな、と思うと共に、自分もこう思われ
る人生を歩まねばならん、と誓った。

勉強すると、こんな見えなかった足元に気付く。
愚かな自分に気付く。

元日この想いを書いた理由は、下記「年頭清警」の一と二を読み、
昨年起きた、些細な事を振り返った次第である。

昨年と今年が同じならば、いずれ来たる死と造化を放棄する事だ。

そう思い、下記の言葉を皆様と共有し、今年を生きたいと思う。

年頭清警/安岡正篤活学一日一言0101
一 残恨(残念なこと)を一掃して気分を新たにする。
二 旧習(ふるい習慣)を一洗して生活を新たにする。
三 一善事を発願して密に行ずる。
四 特に一善書を択んで心読を続ける。
五 時務を識って自ら一燈となり一隅を照す。

安岡正篤

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