第7巻
栄京学園・広田がヒールの本性を現して、野球漫画としての『H2』の前半の骨格があらわになる。栄京学園は巻の前半は明和第一、後半は千川を相手に大活躍。
また比呂も英京戦で本格デヴュー。
比呂の投球フォームは例えば上杉達也と変えている。上体の筋肉の柔らかさがハッキリ描かれている。素晴らしい筆力である。
第1話 悪いのはどっちだ?
漫画の舞台というのは、現代日本の話なら曖昧にすることが多い。特定の地域にするとそこの習慣や風景を正確に描かないとその地域の人に申し訳ない。とはいえ、その地域に住むかよほど歩き回らないと正確に描くのは難しい。夜間の街灯などは分かりやすい例で、地域でかなり差がある。
取材でこれらを知るポイントは以下のよう。
①同じ土地、場所に春夏秋冬、朝、昼、夜と行ってみる。「春の朝」と言われてその季節その時刻の空気感が思い浮かべられるくらい行く。
②町によって徒歩圏の感覚が違うのを知る。例えば北海道・札幌と新千歳間のJRには何キロも踏切がない場所がある。線路越し直線で300メートルくらいの場所に行くのに迂回して10キロくらいかかる事もある。
③日本は南北に長いので、自然にまつわる南北差が大きい。例えば、日の出日の入りの時刻は東京大阪で30分くらい差がある。沖縄では5月くらいまで炬燵を入れていたりする。そういう体感の違いを把握しておく。
ストーリーの中にでその地域を生かそうとしたら、さらにその地域に対する愛情が必要になる。吉田秋生さんの『海街ダイアリー』は全部揃った好例だろう。
大概の漫画はそこまで描く必要がないのでなんとなく東京風な町並みにしている。幸いというか、地方都市でも中核部は東京のどこかに似ている町が多いのでなんとかなる。
なんの話かというと設定の話である。
こういう下準備をしても長い連載だと設定を誤ってしまうことがある。言われるまで気がつかないこともあるし、言われないまま気がつかないまま終わることもある。
変えないと差し障りがある設定の時はどうするか。
一つの方法が無視。変えてしまったことを無視したり変える前のことを無視する。
二つ目が単行本で改変する。
三つ目が改変を公表する。
あだちさんが時々使う方法である。本回でもP22で設定の変更を告げ、作者がコソコソっと去って行く姿が描かれているが、実際は堂々としたものである。
「間違ってました。以降はこう読んで下さい」
ボク自身はこのやり方をやったことないけど(だいたい単行本で直す)大人の態度で良いと思う。読者を大人として扱っている感じもする。
第2話 季節はすっかり秋
全体19ページ
冒頭4色カラーが4ページ。2色が3ページ。モノクロ12ページ。
ゆるやかな三幕構成
P23~P33
P34~P37
P38~P41
例によって冒頭4色カラーはお話しではなく目につく絵が中心。見開きでひかりと春華の水着姿が描かれている。
栄京学園から練習試合の申し込みがあることで事態が推移していく。
「主人公に周囲が絡んでいく」
というルールがここにも発揮されている。
一幕目の長さはあだちさんの製作傾向。最初に状況を説明したら繰り返し状況説明はしない。
第三幕で語らず伝える」技法が使われている。手のアップ→英雄のアップ→素振りのシーンのつなぎのタイミングがうまい。英雄の視線の方向もいい。
第4話 これで行こう
全体はハッキリした三幕構成。
P61~P66 試合開始まで
P67~P72 比呂の心中、回想
P73~P78 試合
比呂の美しい投球フォームがミッドポイント。そしてこれがこの回の全てと言ってもいい。
投げながらシャドウから実体へ、絵が移り進んでいく。表舞台に出てきたぞ、という比呂の心情の表れになっている。
その絵の素晴らしさを引き立てるために比呂の投球シーンは他に一つもない。脚、キャッチャーミット、投げ終わったあとの姿だけで比呂が投球練習をしていたのを伝えてしまっている。神業
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