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好きだぜ、憎いあんちくしょう

許せない人を許すのは。
次のステージへステップアップするための、試験。

許せない人が理解できると。
愛が流れ込んできて、罪悪感が溶ける。

許してしまえる。

絆。
別名、神聖な関係。

今となっては。
本当に自分は役に立てているのかと。
自分を責めている人ほど。

ちょっとどうかなって表現に。
なるってことがわかったけど。

弱い者の上位に立つときこそ。
心に隠した、痛みが見えるのかもしれない。

障害者になったから。
理解できたことな気がする。

機能訓練施設の利用を終えた。
残余期間は少しあったけど、卒業を決めた。

自律神経症状が出やすい夏の休止期間を挟み。
一年半の長きにわたってお世話になった。

決して忘れられない人にふたり、出会えた。

ひとりはOT(作業療法士)さん。
あらゆる意味で復職に大きく関わってくれた。

特に。
悩ましかった後遺症の自律神経障害を。
何とか軽減してくれようと頑張ってくれた。

最後の方のリハビリは。
完全に私にカスタマイズしてくれた内容。

ここまでもがいてくれた人を他に知らない。

おかげで。
おそらく利用終了ふたつき前ほどから。
劇的に改善が進んだ。

本当にありがたい。

これまで。
たくさんのOTさんに関わってもらったけど。
呼吸法のレッスンを入れてくれたのは、正直。

白眉だと思う。

ピンポイントで決まり。
回復の土台に乗った。

彼の仕事が評価されて欲しい。
心から望む。

自律神経症状を緩和させるには。
環境改善が医学的にも第一選択。

例えば。

体温調節がうまく行かないならアイシングをする。
風を当てるなど。

だけど。

環境改善はできるときと、できないときがある。
外出先で強く暖房が当たる場所に位置してしまった、なんて場合。

できるのは上着を脱ぐぐらいで。
一刻も早く、脱出するしかない。

残念ながら。
生活も行動も制限された事実は変わらないのだ。

彼は、制限された状態から、一歩。
脱却させようとしてくれていた。
利用終了後の生活を見越してのことだろう。

資料や論文も探して読んでくれていたのが伝わる。
リハビリそのものの変化からわかる。

一生懸命調べてくれてた。
最善の道を見つけようとしてくれてた。

一緒に。

障害当事者じゃないのに。
障害者の生活を向上させる手助けをするって。

本当に胆力のいることだと思う。

そもそも、他人のことを。
分かりきるなんて出来ない。

ましてや。
障害を負った絶望を。
少なくとも私は隠してた。

関わりづらさに表れていたはず。

それでも、もがいてくれたのは。
彼の人柄に他ならないだろう。

初手から、なぜか私が。
いちばん警戒しなかった人だった。

入所してからしばらくして。
職員に違和感を覚えることがよく起きた。
そのウエメセどうなの? と思うことも多かった。

弱い者を助けたいという気持ちが。
「助けてあげてる」態度にすり替わることって結構あるんだなと気づいた。

だけど彼だけは。
常に対等さを感じていた。

私の方がずっと年上なので。
持ち上げられてしまうこともあるけれど。

他の利用者さんへの関わりを目にしても。
人に対するリスペクトを感じていた。

誠実だな、と思ってた。
ウエメセを感じたことは一度もない。

いや正直、私のプライドが高いだけなんだろう。
でもさあ。

急性期も回復期も。
「なんか馬鹿にされてる」って思ったこと。
あんましなかったからさ。

衝撃だったよね。

病院と、施設は環境が全く違う。
単純な比較は出来ない。

急性期なら、救命が大前提。
いかに死なさないか。命をつなげるか。

希望を失わないように自分から関わろうとしたのもあり。

ドクターも、ナースも、セラピストも。
一緒に笑った記憶が多い。

寝たきりでベッドからボケを繰り出せるなんて。
思いもよらなんだ。

だからなのか。
「べちゃべちゃに甘やかしてもらった」感覚が。
急性期では強い。

ちょっと指が動いた。
支持ありで5分座位が取れた。

すごく驚いてもらえる。
よろこんでもらえる。
泣いてくれる人もいた。

赤ちゃん期をやり直している感じもあったけど。
命最優先なら、当然だろう。

回復期では、鬼のリハビリが始まる。
つらい道のりを歩くことをわかっているから。
応援の熱が半端ない。

出来ないことばかり。キツくて悔しくて泣く。

でも。
ベッド上で自主練をしたり。
車椅子や歩行器の練習をしたりしていると。

応援が飛んでくる。

ドクター、ナース、セラピスト、介護士。
毎日個室をお掃除してくれたおじさんも、声をかけてくれた。

重い認知症で病棟では困ったちゃんになってるじいちゃんすら。
毎回廊下で道を空けてくれた。

ほとんど何を言っているかわからない。
普通の会話は出来ない。

だけど。
息を切らして車椅子漕ぎ練習をしてるとき。

彼が向かいからやってくると必ず。
自分の車椅子をとめて。

目で言ってくれているのがわかった。
先に通れ、と。

必ず誰かと一緒にいる感覚があった。
やることはみんな、尊重してもらえた。

ちょっとわがまますぎやしないかと思えることも。
叶えてくれようとしている人が、必ずいた。

栄養飲料がどうしても飲めなくて困ってたら。
ミスが多いとしょっちゅう怒られてたナースマンが。

全種類味見して、飲めるの探そうよ、と。
言ってくれたときにはすごく感動した。

ブルーベリーとパインが何とか行けた。
思いが伝わってきた。

ミスが多いのは変わらなかったけど。
コーヒー味とか、激甘だよねーとか言ってた彼のことは。

とても好き。

だけどやっぱり病院は特別な場所だったのだと。
今では思う。
「してもらえること」が格段に多い。

地域でもう一度暮らせるように訓練する施設。
「してもらえないこと」が格段に増える。

入所前の見学で。

忘れられない人。
もうひとりに出会った。

自主練も含めてずっとリハビリをする。
朝から晩まで。

時間割があって、学校のような感じ。
とは聞いていた。

見学後の説明。
どうやってリハビリに取り組むかを聞いていた。

仕事が出来てたときの状況を尋ねられた。

病前の生活動作を聴取して。
施設でどこまでの回復を目指すのか考えるからだと思う。

思い起こせばやっぱりちょっと悲しい。
月に2回以上は東京に出張して。
ワークショップや面談カウンセリングを行い。

フットワークも軽かった。

東京へ直通する長距離電車にはよく乗った。
タイミングが合えば特急も、新幹線も。

最寄駅から、東京面談ルームへは結構歩く。
バスを使えるときもあるけど、歩いても行った。

駅からの急坂はしんどくても。
まあ、へこたれてしまいはしない。

2泊や3泊、普通にするので。
荷物は結構大きくなる。

どんなにコンパクトにしても。
機内持ち込みサイズのスーツケースと。
大きめのカバンを一つくらいが、標準装備になる。

重いので。
男性カウンセラーが一緒にいるときは。
甘えて持ってもらうことも多かった。

窓の外を時折眺めながら。
聞き取りに答えていた。

スーツケースは、どのくらいの重さなんですか?
う〜ん。ざっと10キロくらいですかね。

少しの沈黙。

重いものを持てるようになるリハビリはしていません。

(えっ? どういう意味だろ)
そういう訓練の環境がないってことですか。
いえ。

あなたはこの先、一生。
重いものを持てるようにはなりません。

どうだった〜? 見学。

同い年なこともあって。
ともだちになったナースが聞いてくれた。

ミス多めナースマンの指導者だ。
しょっちゅう彼を怒ってる。
でも、可愛がってるのが伝わる。

きっと。
栄養飲料の全種味見を相談されて。

あんたがいいと思う看護なら、やってみなーとか。
言ったんだろう。

すげえな看護って素直に思う。
彼の気持ちが響いたし。

こんなに考えてくれる気持ちに恥じないように。
リハビリ頑張ろうって思えたから。

結構素直に話ができた。
同い年ナースには。
いちばん、関わってくれたから。

うーん…まあ正直。
あんまり気分いい経験じゃあなかったよね。
まあ、そりゃあそうだよね。

実はさ、と。
同い年ナースに打ち明ける。

言葉を失い、黙り込むしかなかった衝撃を。
包み隠さず。
ナースの表情がこわばった。

えっ? 何それ。

ギランバレー症候群。
重症の場合、本当に長い時間をかけて回復してゆくと言われる。

だけど。
どこまで回復するか。
廃用がどこまで進むかは個人差が大きい。

治るのかあるいは。
もう治らないのかの問いには。
「わからない」が、いちばん誠実な答えになる。

気にしてくれたセラピストやナース。
ケースワーカー。果てはドクターまで。

ちくりまくった。
私もよっぽど腹が立ったのだろう。

全員、同い年ナースと似た反応。

えっ? が。
は? に。
変わるくらい。

セラピストたちには言われた。
もしそうだとしても確定するのは今じゃないよ。

客観的に見ても。
わりかし、ぷんぷん丸である。

ドクターは。
その人病気のこと知らないんじゃない? と苛つき気味だった。

普段、穏やかな先生なので、珍しいなと思った。

要するに。
関係者全員。
おこだったわけだ。

だけど私は、真に受けてしまった。
あの言葉を。

これ以上、良くならないなら。
何のためにリハビリするんだろ。

まだ治ると。
周りが一生懸命言ってくれても信じきれなかった。
でもそれは。

私自身が「もうこれ以上は治らないだろう」と思っていて。
一生、障害を持って生きていくことに。

耐えられなかったからだろう。

だから。
あんなにもブッ刺さった。
もちろん、悪い意味で。

落ち込む私を見て。
ケースワーカーが頑張ってくれて。

何とか別の環境や。
使える制度がないか探してくれた。

だけど。
どの方向から検討しても。
他の選択肢がなかった。

諦めて、入所を選んだ。

見送ってもらうとき。
本当に私でよかったんでしょうかと。
ケースワーカーが泣いてくれた。

できることは全部頑張ろう。
光明が差してくるかも知れない。

他に道は、ない。

平日の訓練室。
リハの時間以外は。

回復期病棟で頭に叩き込んだ筋トレで。
自主練を頑張った。

休みの土日もなるべく自主練に励んだ。
でも、筋力も体力も全然なくて。
寝込んでしまう日も出てきた。

悔しい。

惨めで仕方ない。
悲しかった。

どう頑張っても、思ったように回復せず。
思うように動くには程遠い状態だった。

OTさんに何度か。
回復の記録で動画を撮りましょうと言われたけど。
それとなく回避したのは。

動けない自分を見るのが。
惨めだったからだ。

セラパテという粘土を使ったリハビリがある。
柔らかいのに、押したり引いたりがキツくて。
だんだん落ち込んできてしまう。

今日はセラパテ少しやりますか。
…ごめん、辛くてちょっと出来ないや。

笑って許してくれたけど。
どんな気持ちで見てただろうか。

リハビリの一環で軽作業がある。
チラシを使って、箱を折る。

みかんの皮とか、入れて捨てられると便利なやつ。
折ったことがなかったので、教わったけど。

平日の昼間に。
チラシを折っている自分を惨めに思う気持ちを。
なかなか振り払うことができなかった。

病前は、仕事をしていた時間だもの。

あのときの自分と比べてしまうと。
どんどん追い詰まる。

それでも頑張った。
落ち込んでても、何も解決しないから。

居室にはルーターを入れてネット接続ができた。
改築して数年だし、公的機関が運営しているので。

入札を考えると。
ネットインフラはかなり高性能なはずと読んだ。

カウンセラーになる前は。
IT系の仕事をしてたので。
物理的な接続を取るのは楽勝。

夫とビデオ通話もできるし。
大好きなプロレスも配信で見られる。
快適。

接続をしてしまえば、だけど。

同室の人に迷惑をかけないように。
空いている居室や会議室を。
ビデオ通話に貸してもらえた。

居室で接続した機器類を外し。
歩行器で移動し。
使わせてもらう部屋で再接続をする。

wi-fiルーター。
電源コード。
ネットワークケーブル。

力がないのと麻痺で。
なかなかうまく接続ができない。

カテ6のケーブルって、こんなに硬かったっけ?
いやいや。

ジャックの爪を押さえて差し込むことができない。
私の指がおかしいのよ。

いよいよ困ったら、歯を駆使した。
すごいケモノチックな動作で、お見せできません。

居室から遠い部屋を貸してもらって忘れ物に気づいたとき。
心底うんざりした。

だけど。

半分寝たきりの回復期。
担当OTさんがiPhoneのsiri呼び出しで。
ビデオ通話を設定してくれたおかげで。

夫と毎晩話すことができて、心が安定したから。
死守する。
ビデオ通話は。

ただただ、毎日、接続と再接続を頑張った。

本当は居室の掃除も毎日したいけど。
なかなかできない。

軽いハンディモップをうまく握れず。
驚いた。
掃除と言えるほど取り回せなかったことに。

ほこりや落ちている髪の毛が気になって仕方ない。
頑張るしかない。
息を切らして居室を掃除する。

指が動かず曲がらなくて。
手のひらに水を溜められないから、顔が洗えない。

濡らしただけの手のひらで顔を撫で。
タオルで拭くことから始めた。

そのうち、顔を洗えるようになるだろうと信じて。

綺麗に身支度をできているかよりも。
動作をすること。

思い通りにできなくても動かすことに意義がある。
廃用させないために。

ちゃんと顔を洗えたと。
思えるのに1年以上かかった。

水回りが汚れていると辛いから。
できるかぎり、清潔に保つようにした。

顔を拭った後に、洗剤で洗面台を洗う。
スポンジが使えない部分は、手で擦る。

撫でる程度に過ぎないけど。
毎日、頑張った。

1日だけ同室になった人が口をゆすいだ後。
全く流されていなくて、残さ物が洗面台に張り付いたままで。

すごく頑張って綺麗にしていたのに、と。
心がぽっきり折れた気がした。

洗濯物を畳んで、棚に収納するのも一苦労で。
その人が自分のものとわからず。
勝手に私の服やタオルを乱暴に使っていたときは。

流石に爆発した。

病気だから仕方ない、障害があるから仕方ない。
そう言い聞かせるけど。

悔しくて、惨めで。
なかなか気持ちを堪えきれなかった。

消灯してから窓の向こうをぼんやり眺め。
何かを考えてしまうと辛くなるから。
できるかぎり、何も考えないようにした。

朝、目覚めた後に毎日。
向かいの部屋から絶叫が聞こえるのが苦しかった。

急性期でも、回復期でも、叫ぶ人はいた。
なんとか堪えて、なんとか耐えたのだけど。

なぜか、ここでは耐えられなかった。
気が狂う、と、何度も思った。

だけど。
病気だから仕方ない、障害があるから仕方ない。
そう言い聞かせる。

自主練の時間に、居室で筋トレをしていると。
時折、ぷつりと気持ちが切れる。

私いったい。
何をやってるんだろう。

できるようになってる実感はない。
こんなことしてても、無駄じゃないのか。

でも。
回復期病棟で撮ったセラピストたちとの写真を。
居室に飾って、励みにした。

僕の胸に打ち込んでみて、と。
動作を求めてくれたPT(理学療法士)さんの写真めがけて。

黙々とトレーニングゴムを引きながら。
パンチを放った。

歩行器は手放せなかったけど。
少しずつ動けるようになってきた。

窓の外から目に入るようになった。
訓練室で会う仲間が。
自主歩行訓練をしているのが。

毎日、同じメンバーだと気づいた。
ただそれだけで。

居室でしている自主練を惨めに思わずに済んだ。
あの人たちも、頑張ってる。

辛いのは、私だけじゃない。

意識が心の痛みに没入するのではなく。
外に向けられるようになってきたのだろう。

急性期。
嚥下を確認して少しずつ常食にしてもらったが。
困りごとが出てきた。

パンや麺類を噛めない。飲み込みが辛い。
仕方ないので、パン禁、麺禁としてもらった。

他にも、食べられないものが出てきた。
甘さのあるもの。

今思うと、味覚障害が出ていたのだろう。

デザート類はもちろん、果物も食べられない。
甘みが「刺さる」感じがあるからだ。
バナナが最高に気持ち悪い。

元々そんなに好きではないけど。
いわゆる照り焼き系の甘じょっぱい味付けもダメになった。

色々と禁が増えてゆく。
栄養士ができることを探ってくれた。
ご飯と納豆は何とか行ける。

本当は栄養の代替えとしてはおかしいんだけど、と言いながら。
納豆をつける回数を増やしてくれた。

回復期にも引き継いでくれて。
甘いものは出来る限り抜いてもらった。

出汁を多用してくれた。
かなり、融通してくれた。

ちくわや練り物の甘みがダメというレベル。
ふりかけや味が変わるものを持ち込んで食べるようにした。

まだ、食事介助してもらっていた時期。
恥ずかしいと思いながら。
背に腹は変えられず。

毎食、ゆかりやかつおぶしや。
チューブに入った梅などをかけてもらった。

そのうち。
酢の物の甘酸っぱさは大丈夫になった。
でも、果物はダメ。

甘いヨーグルトに練り梅を入れると。
プラム系の味になって美味しいことに気がついた。

病院食よりずっと美味しいと人気なんですと。
施設では言われたが。
地域的なものだろうか、全体的に味付けが甘い。

病院ほど対応はしてもらえない。
食べられるものがなくなっていった。

正直、美味しいと思えたことがほとんどなくて。
出されたものをほぼ残すことが増えた。

持ち込みはOKなので。
苦肉の策で夫に差し入れをしてもらった。
身体を作る材料だからタンパク質は死守したい。

少しでも、障害された神経細胞が回復するように。

ソーセージや6pチーズ。
プロテインドリンク。

プルトップじゃないコンビーフなら。
何とか歯で開けられる。
あたりめや高タンパクのヨーグルト。

シェイクはできない。
だけど溶けやすい粉なら直のみできそうだから。
粉のプロテインも差し入れしてもらった。

失敗して何度もむせたけど。
鼻腔に入ると痛いね。

そんなことをしてる自分は、うんと恥ずかしい。

でもやっぱり。
背に腹は変えられない。

毎週夫が差し入れしてくれた。
コロナ禍で居室には入れないから、
職員に持ってきてもらう。

量が多くてちょっとうんざりされることもあった。

施設の食事を食べるのが辛い。
周りは美味しいと言っているけど。
正直美味しくない。

病院ではふりかけで何とか乗り切った、頼みの綱の、お米がまずい。

なかなか正直には言えない。
ただ、口に合わないと言うようにした。

味覚障害が残っているからだとは思う。
だけど。
わがままの盾に使いたい言い訳のように思えて。

どうしても言えなかった。

だからきっと。
食事を拒否して。
居室で、好きなものだけ食べている勝手な人だと思われていただろう。

だけど。
食事が辛い事実が、起死回生の策を呼ぶ。

出される食事を取らなくても、食事代は払う。
施設利用料のうち、食事代が結構な割合だった。

食べてないのにお金を払う。
夫が汗水垂らして働き、払ってくれているお金を。

みすみす捨てている気がして。
夫に失礼なことをしてるように思えて。

食事なしにすることができないかと相談をした。
だけど言われた。
食事も含めて支援なので、できないです、と。

ついにキレ散らかした。
全然支援になってないじゃないですか。

相談するしかなかった人は。

あなたはこの先、一生。
重いものを持てるようにはなりませんと言った、あいつ。

怒りが何割か増しになっていただろう。
すごく困った顔をしていた。

数日して、提案されたのが。
通所利用への切り替え。

リハビリの進み具合を確認して。
出来ると判断してくれたのだろう。

少し前に。
シャワー浴と更衣が介助なしでできるようになり。
自立していた。

急性期の担当医に。
何とか書字ができるようになってきたよと。

手紙を出したばかりだった。
入院期間も含めて、9ヶ月ぶりに家に帰れる。

嬉しくて、嬉しくて、居室でひとり、号泣した。

帰宅して、少しずつ生活動作に取り組んだ。
バリアフリー改装はしていない。

だから入所しているときよりずっと大変だけど。
毎日コツコツと。
生きていくための動作を繰り返した。

通所に切り替えて、半年くらいたった頃だろうか。

えっちらおっちら洗濯物を二階に上げて。
ハンガーで干せるものを干して。
時間をかけてピンチで吊るして。

室内の洗濯物かけに吊るしたピンチハンガーを。
ベランダの物干し竿へ。
気合を入れてかけ直したら。

いつもは重さに耐えられず。
手首がかくっと折れてしまっていたのに。

かけられた。
物干し竿に。

ふと思った。

この先、一生。
重いものを持てるようにならないなんて。

嘘じゃねえの?

可能性を自覚したからこそ。
封じ込めていた悲しみが。

爆発しそうになったのかも知れない。
思ってしまった。

あいつ、絶対許せない、と。

でも。
散々酷いことした人を、裏切るような人を。
傷つけられ、苦しめられ、辛い気持ちの根源になるような人を。

許しましょう、とお伝えする仕事に。
ついてしまっている。

憎い親が。
さまざまな事情で、こどもが求めるかたちの愛に応えられず。

自分を責める気持ちに耐えられなくなって、
感情的に爆発したり。
こどもにこそきつい言い方になってしまったり。

ひどい親だからと。
こどもを近づけさせなかったり。
傷つけないように距離を取ったり。

親として失格だから。
自分はいない方がいいと思って。
別れたり、失踪するしかなかっただけで。

子どもを愛していなかったことなんて。
一度もなかったことを知ることができたら。

親を、許すことができたら。
人生が変わることを知っている。

人生は変えられることをお伝えする仕事に。
ついてしまっている。

人に言うことを。
自分がやらないなんてあり得ない。

人にやってもらうことは。
やってもらう人以上に。
自分がやってないといけない。

お伝えする側が。
いちばん学ばないといけない。

そうでないと、誠実じゃないから。

人にやれと言って自分はサボる不誠実さは。
どこかに滲み出てしまうのだ。

信頼できない感じとか。
嘘がある感じとか。

急性期でも、回復期でも、施設でも。
心理カウンセラーだと開示している。

仕事に復帰したり、継続したりするために。
リハビリの目標を立てるからだ。

必要な動作ができるよう訓練したり。
筋力をつけたりしてゆく。

どういう仕事なのかはほとんどの人が知らない。
興味も持たれない。

たまに。
お力にならせていただく人も何人かいるのだけど。

だから。
言わない。
仕事のことは。

ごく稀な例外を除いて。

だけど。
何も言わなくても。

人を許せと言う自分が。
誰かを許せなければ。
何となくの雰囲気に出てしまうのだ。

信頼してみようと思ってもらえない。

回復期、あるセラピストが言ってた。

そもそも私たちは。
動かない体を動かしてもらうっていう。
やりたくないことをやってもらう仕事だから。

非常にわかる。

リハビリなんてやりたくない。
辛いから。

だけど、セラピストを信頼できると。
やる気になるのだ。
やりたくなかったリハビリを。

どんなに辛くても。
一緒に歩いてくれていることが、わかるから。

ひとりじゃないことが、わかるから。

いやだいやだと言いながら。
セラピストを信頼すると。

しぶしぶでもリハビリをする人を。
たくさん見た。

認知症が酷かろうと。
暴れてしまう状態だろうと。
ぶんむくれてばかりだろうと。

信頼されるように関わるセラピストだと。
やるのだ。
リハビリを。

同じように。
信頼関係の上に、カウンセリングは成立する。

葛藤を溶かしてゆくのにいちばん大事な許し。
許せない人を許せると、人生は変わる。
保証する。

普通は。
ひどいことをしたやつは許さなくていいと考える。

悪いのはあっち。
許したくなんかない。

だけどチコちゃんは知っている。
カウンセラーも知っている。

許すと、人生が変わることを。

ひどいことをしたパートナーを許せとか。
愛してくれなかった親を許せとか。

正直者は救われるから。
浮気を白状して許されてしまえとか。

鬼ちくしょうだなと、自分でも思う。

だけど。
人生が、変わるからこそ。

やりたくないことをやってもらうのが仕事なのだ。

信頼してもらえなければ。
受け入れてなんかもらえない。

信念と態度に一貫性がなければ。
信頼なんかしてもらえない。

そもそも。

私を信じてください! と叫ぶだけで。
信じてもらえるほど。
人はバカじゃない。

だから。
信念と態度を合致させる、一貫性を。
持つ必要があるのだ。

誠実さは、態度に表れる。
滲み出る雰囲気で。
信頼できるか否かを、人は判断している。

どんなに数字が良くても。
どんなに優秀なバックグラウンドでも。

なんか、直感が働くことってありません?

だから。

カウンセラーである私が。
絶対に許さないと、思ってしまったあいつを。

許さない、という選択は、あり得ないのだ。

憎いあんちくしょう。
昭和の古語です。

あんちくしょうを許すのが。
卒業試験だったのだろう。

だから、ちょいちょいOTさんにこぼすときに。
宣言するようになった。

あいつだけは絶対に許す、と。

許したいのよ、本当は。
どうでもいい人って、興味すら持たない。
好きと思わないから、嫌いとも思わない。

だから腹の立つ人って。
本当は大好きってことだから。

きっと、思うところあったはずだ。
あんちくしょうだって。

また嫌なこと言われるんじゃないかと。
私が緊張するからか。
つい態度が固くなってしまう。

やなぎさんは僕にだけ冷たい、と。
感じることもあっただろう。

OTさんには色々と愚痴っていた。
ある日、何気ない会話で。
私が見てない彼を知った。

何となくの想像はついてたけど。
やっぱりなと思ったことだった。
私にできることはない。

だけど。
別のことなら。

時折、他の利用者さんとの関わりを目にして。
この人、ものすごい寂しがり屋なんだろうと。
思ったことがあった。

親密感一択である。
寂しがり屋には。

許さないと決めてると、許しを難しく感じる。
でも、許す、と決めると、動ける。

しれーーーーーーーっと。

ある日。
確認しないといけないことがあったようで。
彼が近くにやってきた。

たぶん、緊張していたのだろう。

警戒して笑ってないと。
私は思っているよりずっと。
怖い雰囲気を醸し出す。

まあ、実は。
私も緊張していたのだけど。

腰掛けて話を聞いていると、彼が途中で。

噛んだ。

何だかふっと気が緩み。
肩をガシッと掴んでゆらゆら揺すって。
大丈夫? しっかりして? と、突っ込んでみた。

揺さぶられながら、彼は。

笑っていた。
嬉しそうに。

これでいいんだと思えた。
方針は間違ってなさそう。

グイグイいくことにした。
ウザがらみOKらしい。

とは言っても、残りひと月もなかったのだけど。

関係者全員おこにさせることを。
なんで言ったのだろう、と、ずっと思っていた。

だけど、本当の答えは。

投影を取り戻して。
彼を理解しなければ。

本当の意味で。
許すことはできない。

攻撃したくなる相手には。

「自分が」自覚できない罪悪感を切り離し。
相手に貼り付けて。

罰している。
自分の代わりに。

投影。

あいつの方が悪いでしょ、という罪人扱いは。

実は「自分が」自覚できない罪悪感を。
感じないでいるための防御にすぎない。

つまり、すべての攻撃は。
自分が自分に感じている罪を。
相手に被せようとしている行動。

濡れ衣なのだ。

間違うことは誰にでもある。
だから、間違いは存在する。

でも間違いは。
修正するだけでいい。

だけど罪のある人なんて。

あなたも、わたしも。
誰ひとりとして、いない。

間違いはある。
だけど。
罪などどこにもない。

この世界の、どこにも。

彼への怒りはどこか。
自罰的な、私の感情なのだ。

満足に体が動き、忙しくて。
大変なことも多いけど、充実していて。
努力が報われ始めていた矢先の病気。

これ以上回復せず。
障害を持ったまま。
生きていかなきゃいけないなんて。

思いたくもないし。
受け入れたくもない。

だけど。

顔を洗えない、なかなか歩行器を手放せない。
箱折りが惨め。

毎日リハビリも自主練も、頑張ってるけど。
思った通りには動けない。

どこかで諦めてた。
きっともう。
あまり回復しない。

もう、ダメなんだ。

あの頃がとても遠い。
社会がとても遠い。
我が家すらも、とても遠い。

戻らない。
あの頃のようには。
回復を期待しない方がいい。

辛すぎるから。

期待しちゃいけない。
ぬか喜びしちゃいけない。

病気だから仕方ない、障害があるから仕方ない。
毎日毎日。
自分にそう、言い聞かせてた。

出来ることが増えても、病前には程遠い。

座位を取れる時間が伸びない。
カウンセリング復帰の目処が経たない。

まだ構音障害が出てる。

講演。
力を注ぎ続け「いちばん」の評価をいただけた。

もう無理だな。

コツコツと積み上げてきたものを。
全て失ったように思った。

手のひらにあった希望がさらさらと。
ちりとなって消えてゆく。

もとより手のひらそのものが。
動かない。

私はこの先、一生。
誰かのよろこびになることはできない。

彼は言った。

あなたはこの先、一生。
重いものを持てるようにはなりません。

だけど。
彼は。

鏡に映る私だ。

生きる価値などないと絶望して。
未来を潰そうとしている、私だ。

辛くて、辛くて、辛くて。
だから、ブッ刺さった。

だけど思う。

人は。
同じ感情を共有しながら生きている。
どんな関係でも。

辛くて、辛くて、辛くて。
ブッ刺さってるのは。

本当に私だけ?

彼という鏡を見ている私。
私という鏡を見ている彼。

利用者仲間を見ていればわかる。
絶望を隠していない人なんて、誰一人いない。

それでも。
明るく笑って生きようとするし。
希望を失わないように頑張る。

思ったようには回復しない。
諦めていないからこそ。
本人の期待以上にならない予測は残酷だ。

出来る限りのことはしても。
叶わない夢になることも多い。

だからこそ。

毎日、訓練に励む障害者を見ている彼は。
いつも思っていたのではなかろうか。

自分は本当に人の役に立てているのだろうかと。

力になりたいけど、できないことが多い。
制度上、できませんと。
きっと何度も言ったことだろう。

融通が効かねえなあと。
誹りを受けたことだってあるだろう。

辛くて、辛くて、辛くて。

お前なんか、役に立たない。
誰のよろこびでもないと。

自分で自分を。
ブッ刺していたのではなかろうか。

あまりにも自罰的になっていると。
常に自分をいじめ続けているようなものだから。
心は麻痺してしまう。

感情が伴わないようなことを言ったり。
感じることができないばかりに。
逆に神経を逆撫ですることもある。

いわゆる、空気が読めない状態になる。

自分を罰する罪悪感に耐えられないから。
切り離すしかない。

心を。

回復期のドクターが言ってたように。
病気のことをよく知らなかったのだとは思う。
だから、発言としては間違いだろう。

だけど、彼は何度も。
制度的に、仕組み的に。
それはできない、してあげられないと。

私に限らず、利用者に伝えてきたはずだ。

何らかの事情により。
求められるように愛することができないのは。

苦しいのだ。
どんな人でも。

憎い親が。

さまざまな事情で。
こどもが求めるかたちの愛に応えられず。
ひどい親になるしかなかっただけで。

愛していなかったことなんて。
一度もないのと同じように。

毎日頑張っている障害者を見て。
どうにか力になりたいと。
彼が思わなかったことなんて。

一度もなかったのじゃなかろうか。

支援になってないじゃないですかと。
キレ散らかした。
だけど彼は。

感情をぶつけた私を見捨てるわけではなく。
できる支援を探すことを選んでくれていた。
少ない選択肢の中から。

だからこそ私は。
あんなに遠く感じた我が家に。

少なくとも1年は入所を見越されていたのに。
2ヶ月で。

帰ることができた。

彼が、できる支援を探してくれたおかげだ。
彼の仕事がなかったら。

私は施設でどんどん心が潰れていき。
思い詰めていただろう。

夜が来るたび、窓の外を眺めて。
もう少し体が動けるようになったら。
道路まで歩けるようになったら。

死ねるかもしれないと、思っていたのだから。

オミクロン株の拡大の頃から。
センターにいくのを自粛したり。
スタッフが休まざるを得ない状況が起きたりして。

何度か、彼と電話で話すことが続いた。

せめてもの償いだけど。
グイグイいって、軽く突っ込んだり。
ウザがらみして、ちょっと笑わせたりして。

親密感を感じてもらえるように心がけた。

ちょいちょい関わるようになって。
彼の体調を心配することが多かった。

電話越しに、伝わってくるものがあったし。
今日は調子悪そう、とわかることもあった。

だけど。
ワクチンの3回目接種や。
寒暖差による体調不良で。

通所自体は少し疎遠になってしまったまま。
利用終了を決めたことを伝えるのも。
電話になってしまった。

どうぞお大事にと言われたときに。
Sさんこそ、大事にしてくださいねと思わず言った。

しょうもない冗談を言って、ゲラゲラ笑った。
最後は笑って終われたかなと思った瞬間。

急に、寂しくなった。

寂しいと、思えるほど。
好きだったんだな。

そりゃそうだよね。
私が理解できなかっただけで。

彼もまた。
一生懸命、心を砕いてくれたから。

その上。
ひどい態度を取ったにも関わらず。

許してくれていた。
私を。

OTさんとはすれ違いで会えないまま。
利用終了となった。

きっと、最後にお顔を見たかったと思うので。
残念に思っていると思います、と。
彼は言った。

そうですね。
よろしくお伝えくださいねとだけ答えて。

私は少し沈黙した。

一生懸命関わってくれたOTさんが。
顔を見てさよならしたかったと。

思ってくれてるだろうことは。
私は知ってる。

だって、ずっと前に。

やなぎさん利用終了のとき。
俺泣いちゃうだろうなあ、って言ってくれてた。

きっと。
泣き顔を見せるのが恥ずかしいんでしょ。
私も恥ずかしいもん。

だけどさ。
最後に顔を見たかったってのはさ。

OTさんの気持ちのように見せながら。
言ってくれたんじゃないの?

あなたの気持ちを。

何度も何度も。
自分は役に立ててるのだろうかと。
本当の支援ってなんなんだろうと。

悩んでくれたんでしょう?

できる支援を。
みんなで考えてくれたんでしょう?

だから私も。
最後に顔を見て、さよならしたかったよ。

Sさんと。

でもきっと。
泣き顔を見られるのが、恥ずかしいのよ。
いやもちろん、私がね。

素直な気持ちはあいかわらず言えなかった。

でも少なくとも今は。
キレ散らかしたことを反省してる。

借りっぱなしの筋トレ用ウエイトは。
提出が必要な書類のコピーとともに返送してくれればいいとのこと。
感謝の手紙を添えよう。

Sさんのおかげで、自宅に戻れたこと。
苦しい日々から解放されたこと。

何より、復職を考えられるようになるまでの。
本当に小さな希望を、提案してくれたこと。

もちろん、書かなきゃいけない。
謝らなきゃいけない。

キレ散らかして、ごめんね、と。

復職してちょうど半年になる。
戻ってこれてよかったと心から思える。

待っててくださった方も、新しいご縁も。
本当にありがたい。

でもそれは。
支援してくれた人たちのおかげ以外の。
何ものでもない。

お世話になっていたときは。
文句ばかりを言ってきっと関わりづらい利用者だったと思います。

こちらの事情を素直にお話しできればよかったのですが。
あまりにも惨めで、お伝えすることができませんでした。

それでも、いつも見守り、回復を祈り。
社会に戻ってゆくまでを支えてくださったことに。

心から感謝をしております。
ありがとうございました。

さようなら。
どうか、お元気で。



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