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いっぽんの鉛筆に

全く新しいレベルで生まれ変わるための試練だったのか。

「死の誘惑」。

もちろんこれは。
私が学んだ心理学で、ある心理状態を表現しているメタファー。

でも。
人は、思ってしまうことがある。
今、経験している痛みや疲労感を終わらすには、死ぬしか方法がないと。

意識的に考えることもあるし。
無意識的に感じていることを行動で証明してしまうこともある。

いずれにせよ「死の誘惑」は。
自己破壊的な発想に基づいていることは変わらない。

だから思うのだろう。
もう、死ぬしか方法がないと。

しかし「死の誘惑」を覚えるとき。
同時に、新しく生まれ変わる可能性も存在している。

そして。
新たな誕生がやってくる。

心の底から「生」を選択することによって。

希望の道のり

今年は。
遠いところから戻ってきたなあ、と感じた一年だった。

2020年3月。
ギランバレー症候群に罹患し、四肢麻痺で寝たきりになった。
生死を彷徨い、九ヶ月の入院と施設入所。

去年の今頃はようやく自宅復帰となり。
帰宅できた嬉しさを噛み締めていた頃と思う。

必要最低限の生活動作が。
介助なしで出来るようになって自宅復帰とはいえ。

弛緩性麻痺による運動障害も、自律神経の障害も強く残った。
出来る限りの家事以外、ほぼ。
一日中横たわっている状態だった。

階段の上り下りは、一日一回しかできなかった。
疲れて動けなくなってしまうから。

朝起きて、階下に降りる。
夜寝るまで、ずっとリビングで横になっていた。
洗濯は大変すぎてできなかった。

回復を見据えバリアフリー改造もしなかったから。
日常の細々した動作は、施設よりぐっと難しくなった。

食事を作ることから始めた。
包丁を握れないから、押し切りのみ。
本当に少しずつ。

カレーを作った。
自宅復帰して初めて。

玉ねぎも、人参も、じゃがいもも。
ごろごろしている。

でも、ルーを突っ込んだらどうにかなる。

本当にすごいと思う。
日本の食品メーカー製品は。

夫にホットクックをキッチンに出してもらい、夜寝る前にしまってもらう。

病前から欲しかった、ヘルシオも買ってもらった。
天板を用意して、肉や魚をグリルするくらいならできたから。
ウォーターオーブンは、安い食材をとても美味しくしてくれる。

本当にすごいと思う。
日本の家電メーカー製品は。

一年後の今。

料理の生活動作なら。

りんごの皮が剥けるようになった。
ごぼうの千切りはまだ難しい。
30分くらいなら、立位のまま料理ができるようになった。

使ったホットクックはしまえるようになった。

第一関節の先はまだ脱力が強い。
すぐ何かを落とす。

でも、スプーンを親指、人差し指、中指で持って。
かき混ぜられるようになった。
例えば、ボウルの中であえる。

ちくわの袋は。
歯を使わず両指で開けられるようになった。

焼いた肉を箸でひっくり返すのは難しい。

一日分なら毎日洗濯ができるようになった。
二階のベランダに干し。
取り込みとたたみ、片付けまで。

冬は、生地が厚いから洗濯物が重いけど。
どうにかやれてる。

階上との往復は、一日4〜5回できるようになった。

筆圧がだいぶ乗るようになった書字。
綺麗じゃない。
だけど、メモはさらさらと取れるようになった。

キーボードタイプは滑らかではない。
まだまだゆっくり。ミスタイプもずいぶんする。
でも、推敲には差し支えがほぼなくなった。

ようやくドライヤーを手持ちで使える。
施設や自宅復帰後はホルダーで棚に固定して。
髪を乾かした。

大変だし疲れるけど、洗髪や洗体は力が入れられるようになった。

痒いところはだいぶ掻けるようになった。

孫の手は、まだ使いにくい。
肩の可動域が狭いのと、掻く力を入れられるほど握力がないから。

腹筋のインナーマッスルや、骨盤底筋、股関節周りの力が戻ってきたのか。
排便や排尿はだいぶしっかりしてきた。

力むと腹筋が痛くなる。
それだけで筋トレ。

だけど、排出残りは減ってきた。
急性期はほぼカテーテルを入れていたからしょうがない。

立位だけでは更衣ができない。
座位を取るか、どこかにつかまる。

ボタン留めは時間がかかる。
指先で引っ張る力の要る、ホックのあるものはまだ難しい。

慣れたスーパー以外でひとりの買い物は躊躇する。

もういちど見る景色

九月に復職できて。
大きく前進した。

よくここまで頑張れたと思う。
本当に多くの人たちに助けてもらった。

電話カウンセリングは。
1時間おき4枠は大丈夫になった。
面談カウンセリングも。
2時間を3枠は行けるようになった。

横になって休む時間を入れるし。
まだどちらも週に1日だけど。

出来ることを、地道に勉強している。
3時間のオンライン講座は受講できるようになった。

趣味のプロレス観戦。
来年は、試合数を回復させ開催時間を長くする団体もあるだろう。

4時間くらいは座位を取れそう。
行き帰りは車だなあ。
公共交通機関の利用はまだハードルが高い。

それでも。
1年後くらいには、車椅子を卒業して観戦したいと思っている。

階段はまだ1段ずつ上っていることが多い。
両足交互で上るときは、手すりを持って。
一日1回は頑張っている。

手放し独歩は200メートルくらい。
疲れてしまい、なかなか歩行距離が伸びなくて苦戦してる。

運転復帰が出来たのは本当に嬉しかった。
リハビリへは自分で運転して行く。

回復期の病院から、夫が車で施設へ運んでくれた道も通る。
感慨深い。

あの時は辛うじて、助手席に座って移動できた。
食い入るように景色を眺めていた。

入院のひと月後に緊急事態宣言。
病院は絶対的に安全な場所だった。

街に出ると、浦島太郎だなあ、と思った。
道沿いに点在する感染対策の広報看板が。
もの珍しく感じられた。

とはいえ。
急性期から回復期への転院は、介護タクシーとストレッチャー。
景色はよく見えず、どこを通っているかもわからなかった。

病前は、よく通って見慣れたはずの道。
なのに全く新しい世界のように感じていた。

自律神経症状はいちばん長くかかりそう。
湿度、暑さ、気温差はまだ弱い。

マスクをしないといけないので、すぐ苦しくなる。
意識がぼんやりして力が入らなくなってしまう。
こないだ、リハビリで久しぶりに転倒した。

でも、疲労から横隔膜痙攣で誘発される過換気は。
出なくなって3ヶ月くらい経つ。

神経の導通検査。
問題なしが10として。

体を動かす運動神経は急性期で0。
回復期で1と聞いた。

回復期は、自主練含めものすごく頑張った。
10分の1しか戻ってないのかと落ち込んだ。

むしろ治っていると説明してくれた回復期主治医を、困らせた。
ゆっくり治っていくからね、と何度も言われた。

急性期を診てくれて、今は外来に通う主治医にも。

まだ治ると思うよ、だけどゆっくり少しずつね。
復職しても一気に元通りになるわけじゃないから。

やりすぎないように。
でもやらなすぎないようにね。

と言われる。

一度、全て喪った機能を戻していくことは。
本当に大変なんだと折に触れて思う。

誰かを悪者にしても幸せじゃない

なんで私だけが、と何度も思った。
だけど、これは必ず、意味のあることだと。
自分を励ました。

心理学は心の学問。
事実を、心でどう捉えるかで可能性は無限に拡がることを学んだ。

問題や課題を一番早くプロセス出来る態度がある。
アカウンタビリティ。

自分に起きていることや、自分の感情について。
責任を持つこと。
誰かや何かのせいにしない。

例えば。

私がこんなに不幸なのは。
うっかり加熱調理にミスをした鶏肉食べてしまった自分が馬鹿だから、でも。
そもそも昔からちゃんと料理なんて教えてこなかった母が原因だ、でもなく。

まずは捉える。
今ある現実を作ったのは、自分の選択だと。

その上で。
「ありたい自分」じゃないなら。
間違えている選択に気づき、変える。

能天気すぎる転換に思えることもあるだろう。

それでも、やる。
まだ何かを間違えているなら。
「うまくいかないこと」として表れる。

選択をし直せばいい。

経験的に思う。
はっきり言って、誰が悪いか決着をつけようとしても意味がない。

悪者探しに固執するのは。
物事を先に進めないための防御に他ならないから。

もし、悪者を決めても。
悪者が、誰かでも、自分でも。

幸せじゃない。

病気になって、障害を得て余計に思う。
自分も含め、誰かや何かのせいにしても。

何も解決しないし、問題も解消しない。
実感がある。

悪者探しの時間が勿体無い。
人生に残された時間を。
1秒たりとも無駄にしたくない。

気持ちとしては。
誰かや何かのせいにした方が楽なこともある。
でも。

幸せじゃない。

だから、貫いた。
病気になっても、事実に自分が責任を持つことを。

心理学を学んで。
起きることがどんなに辛くても罰ではないと。
理解出来ていたことは本当に幸運だった。

落ち込むときは。
気が済むまで落ち込んでみるといいと聞いた。
底をついて浮上できると思っていた。
実際にそうしてきた。

だけど。
自分はダメだと責める感情である落ち込みも。
底はつかないのだとわかった。

浮上したように感じたのは、結局。
自分を責めるのをやめて。
浮上することを選んだからだと思う。

落ち込んでいると、もれなく苦しい。

特に急性期の落ち込みは。
戻れない沼に引き摺り込まれるような感じだった。

全く体を動かせず。
天井を見ているだけの状態だからこそ。

身体感覚で。
一度落ちたら這い上がれないように感じた。

だから。
自分の感情に責任を持ち。
自分の意識に引きこもってしまうのではなく。

誰かと心でつながる方を選び続けた。

何のために起きたのだろうと。
ずっと興味を持ち続けた。

あれから1年9ヶ月。
自宅復帰して2度目の正月を迎える。

2019年、年末。
カウンセリングサービス講演者No.1。
「K-1グランプリ」。

念願の1位を頂けた。

悲願の達成。
何年か、2位に甘んじていたから。

漫才頂上決戦「M-1グランプリ」に出場する漫才師たちと同じように。
年間を通して努力をしてゆく。

これまでの努力が報われたと本当に安心した。
何度も挫折したけど。
諦めなくてよかったと心から思えた。

一方で。
何かが足りないと感じていた。

死の誘惑

誤解を恐れずいえば。
どこか自分が偽物のように感じていた。

言語化がとても難しいのだけど。
これ以上は先に進めないような感じもあった。

自覚はしにくい仄暗さを、長いこと感じていた。

自分の臨床的な感覚と。
ここ数年取り組んできたことから逆算すると。

家系。父方母方どちらも。
先祖代々の問題が関係していると考えていた。

無意識レベルの話だ。
なので、もちろん自覚はしにくいし言語化も難しい。

だからなのか。
民話や神話の世界から、家系の物語を読み解こうともがいた気がする。

とはいえ、やっぱりお手上げだった。
こういう時は、神頼みに限る。

年が明けて、2020年2月。
日枝赤坂の猿田彦神に道開きの祈願をした。
どうか私を、神様の仕事に使ってください、と。

今思えば、天命を生きられるように願ったあの行動は正解だったのだ。

半月も経たず、病気になった。

とにかく混乱した。
何が起きているのかさっぱりわからなかった。

重症度のスケール。
死亡を6として。
5が人工呼吸器装着でICU。

運ばれたのがあと少し遅かったら。
挿管だったよと主治医には言われた。
血中濃度が上がらないから、酸素は長く吸入した。

同病でも。
経過が軽い人、短期間に元通りになる人。
後遺症が残らない人もいる。

一方で。
回復に相当な時間を要する人もいる。
不可逆な状態になる人もいる。

すんでのところで、死ななかったと。
ずっと思っていた。

でも。
最近、ふと感じたことがある。

急性期の先生たちが。
全力で助けてくれたから助かったのであって。
本当は。

私はあのとき、死ぬはずだったのではないか。

入院してからも呼吸筋はどんどん弱まり。
声が出なくなっていった。

呼吸が落ちれば。
体に入る酸素も減る。

濃度がなかなか上がらない。
90%を超えない。
顔面麻痺も出ていた。

症状がまだ進行していたのだろう。

96%くらいで問題なしと言われる血中酸素濃度(サチレーション)。
コロナ禍で有名になった。

90%を切ると、相当まずい。
回復はかなりしんどいプロセスになる。

第5波の医療逼迫時。
80%台で酸素を入れながら自宅療養を余儀なくされた人がたくさんいる。
症状や後遺症の苦しさの報道も多かった。

命の優先順位をつけざるを得ない葛藤の話によく触れた。
災害現場のトリアージ。

戦場のようだと思った。

コロナ病棟勤務の医師のツイートを見た。
亡くなられる人は。
ゆっくり静かに死んでいく印象だと。

とてもよくわかるのは、当然なのだ。

自己免疫性疾患の発生機序には変わりがない。

きっかけが。
新型コロナウィルスかカンピロバクターかの。
違いだけで。

侵入したウィルスや細菌をやっつける免疫機構が。
自分(私の場合なら神経細胞)を攻撃してしまう。

酸素濃度80%台の頃。
いろんなことが静かだった。

確実に、何かが弱まって行っている気がした。
記憶もぼんやりして、断片的だ。

まるで。

死が、手招きをしていたかのように。
死に、誘惑されていたかのように。

高校生の頃だと思う。
時々意識がぼんやりすることがあった。

夜道を来るヘッドライトの光に。
吸い込まれてしまいそうなことが何度か。

あれと同じ。
抗えない。

何かを喪っているから。
何かを求めたい感覚。

たとえ。
傷や痛みであったとしても。

いっぽんの鉛筆に

逃げて来たからだと今では思う。
自分がこの世界に何を与えにきたかに気づき。
自分を与えて生きる道から。

やることなすこと裏目に出るとか。
ひたすら裏道を歩く、影のような生き方だとか。
思っていたこともある。

これも当然なのだ。

自分の人生の「王道」から。
逃げて来たのだから。

他の人はいつも、ずっと私より幸せに見える。
神様は、不公平だ。
神様は、私には愛をくれない。

どうして私だけがこんなに不幸なんだ。

ずっと、神様を恨み続けてきた。
そんな私が。

人は愛したい生き物だということ。
どんな人の中にも愛があること。

心がつながりを感じられないとき、人は。
孤独や絶望を感じること。

愛していると、たった一言言えないばかりに。
関係が死ぬ夫婦が溢れていること。

憎しみ合うのではなく。
人が本当にしたいのは愛し合うこと。

神様は、ずっと人を愛し続けていること。

15年くらいかけて。
識り、学び、理解してきた。

「わたしは神様の手の中の小さな鉛筆にすぎません。神が考え、神が書くのです。」
マザーテレサの言葉だ。

天命を生きられるように祈願した。
神様の仕事をさせてもらえるように、願ったのだ。
鉛筆となって。

恨み続けて来たのに。
変わることなく愛し続けてくれた神様に。
ご恩返しをしようと思ったのかもしれない。

でもそれには。

全く新しいレベルで。
生まれ変わらないといけなかったのだろう。

「死の誘惑」を覚えるとき。
同時に新しく生まれ変わる可能性も存在している。

新たな誕生は。
心の底から「生」を選択することによって。
やってくる。

友達が言ってくれた。

何度も何度も。
生きることを選んでくれてありがとう。

もがいた。
選んでも、選んでも。
死が追いかけてくるように思えた。

でも必ず助けの手はやってくる。
ベッドサイドにも。
リハビリルームにも。

夜中にトイレに行こうとして。
誰もいないところで転倒したとき。

物音を聞いた夜勤のスタッフが二人。
駆けつけてくれた。

差し出された手を掴んで。
また立ち上がる。

身体が痺れて動けなくなっても。
嘔吐が止まらなくなっても。

もう、死んでしまいたいと思っても。

横になって目を閉じて。
ただ次の朝を待ち続けた。

何度も選んだ。
心の底から。

生きることを。

神様に言われた気がした。

何度も何度も。
生きることを選んでくれてありがとう。

願いを叶えて下さろうとしてますか。

もしかして神様も。
よろこんでくれていますか。

いっぽんの鉛筆を。

もらった愛は、くれた人に返さなくていいという。
誰かに与えていけば。
その人がまた別の誰かに与える。

静かに広がる愛の世界。

ヘッドライトが眩しくて。
吸い込まれたように感じたのは。

ほんの僅か。
光溢れる世界を垣間見たからかもしれない。

いったい何度、引き返したことだろう。
待っていたのは、死ではなかったのに。

旧年中は、大変お世話になりました。
復職と当時に始めたnoteを読んでくださり、大変励みになりました。
心から感謝しております。

来年も、書き続けて行きます。
ぜひ楽しみにしていてください。
また読んでくださると嬉しいです。

参考資料

尾久守侑『note』「私が自分を偽者と思う理由」(2021年12月20日)尾久守侑、https://note.com/camillecamus/n/n53f459c472bc(参照日:2021年12月28日)

片柳弘史『片柳神父のブログ「道の途中で」』「マザー・テレサの言葉を読む(30)神の手の中の鉛筆」(2010年8月11日)片柳弘史、https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20100811/1281513571(参照日:2021年12月28日)

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