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最近Vtuberにハマったので、愛について少し考える。

自己紹介はここだけど読まんでええよ。

月に一度のペースで大学の保健管理センターのカウンセリングによる監視を受けている。

以前も受けていたけど、コロナが問題視される前の2019年10月末、
僕「退学するから! 止めても俺もう夜逃げする準備してっから!」
カウンセラー「あ~ね。君まだ休学期間残ってるから、一旦休学しよ?」
僕「……その手があったかぁ~(あほの子)」
となった時から再開した。

そんな2年半くらい継続しているカウンセリングがつい先日あり、
僕「絶対半期で卒業とか無理……こわい……常に怯えてる……」
カ「ほ~ん。逆に最近楽しいこととかある?」
僕「Vtuberにハマりました!(素直)」
カ「お~。生活リズム崩れてない? 良識的な時間に配信してる?」
僕「……ハイ!」
という会話をした。

ところで、ついさっき(6:30)まで昨日の21:00(枠変えが22:00頃)からあった配信に9時間半居座っていた訳だが。

このVtuber、時風まゆらの配信を1秒も欠かしたことがない訳ではない。
当然、基本的には最初から最後まで全ての配信に居続けるのだが、かつて同じSBI e-Sportsの公式Vtuberの春水レイ四宮ロゼが同日に耐久配信を行った次の日の配信は寝過ごした。

その時の悔しさがあったからと言えばイエスであって、これは別に愛の為せる業とかその手の美談ではない。
執念である。

いや、時風まゆらのことは気持ちが悪いほど好きだけど、自分が他人に向ける好意に嫌悪がある

いるよなぁVtuberには「ガチ恋勢」っていう存在が。
わかる、わかるよぉ?
その相手の気を独占し愛情を一手に受けられる特別な存在になれたらって思っちゃう気持ちや妄想してしまう感覚ってのはさぁ。
しかし……それはフィクション上での話なんだよ。リアルではない。

というか、自分は相手を幸せにできるっていう自己肯定感の高さがない。
幸せになることを祈ることくらいならできるけど、それを為し遂げ得るほどの自信をどうして持てるのかがわからない。
あるいは、「コイツなら俺でも幸せにできるわーw」という感覚なのか?
リアルや他の存在では無理でも、ソイツなら身の丈に合ってるとか思ってるのか?

自分を高く見積もってるか、相手を低く見積もってるか。
わからぬ……僕と同じように相手を見下す自分のことをさらに見下してしまわんのか。
そういう負のループではなく、健康的で理想的なのは大好きな相手のことを大切にできる自分も大好きっていう正のループなのだろうけど。
まずこうして記事を書いて読み返すまで、「ガチ恋勢」とはそういう正のループ上にいる存在だという発想にすら至れなかった。
カウンセラーに監視され嘘を吐く大学9年生など生まれる訳だ。
ていうかもう俺が好きな奴と俺が好きな奴同士で仲良く幸せになってくれるのが俺にとっては一番幸せです。

時風まゆらたちのことが大好きだし応援してるし幸せになってほしいけどそこに僕は必要ない。
でも、叶うことなら見守るくらいのことは許されてほしいし、最大限追いかけ続けていたい。
これを愛と呼ぶには気持ち悪い。
故に、ただの執念である。
カウンセラーさんごめんなさい。

で、僕が幸せになるためにお前も彼女たちを応援し愛されてくれないかな。