『冬の終わりと春の訪れ』#15

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 クリスマスのときに行ったカラオケ店と同じところへ先輩は向かった。
 普段あまりカラオケに行かない僕にとっては、遠山さんとの思い出の場所と言っても過言ではない。なんとなくクリスマスのときのことが思い出されて、早速少し気分が滅入ってしまった。

「ごめんなぁ、連れまわして」

 先輩はそんな僕の気持ちなど知ってか知らずか、自由気ままに歌っている。僕は最初こそ手拍子を打って聞いていたものの、先輩から「課題とかやってていいぞ」と言われたので、遠慮なく明日の授業の予習と、1週間後に期限が迫った提出課題を進めた。
 先輩はただ歌いたかっただけらしい。しかし1人で来るのは憚られたということだろうか。
 まぁ、あまり気を遣わなくて良いというのは助かる。僕はそんなに歌を歌うタイプではないし。

「俺さ、ほんとは大分前から大学決まってたんだよね」

 カラオケに入って1時間くらい経った頃だろうか。先輩は曲を入れるのを中断した。マイク越しのその言葉に驚いて先輩を見る。

「え、どういうことですか?」
「推薦で決まってたの。だからほんとはセンターも受けなくて良かったんだよなぁ」

 ごろん、ソファに寝転がった先輩はマイクを机の上に置いた。「どこですか」という僕の質問に返ってきたのは、県内の国公立大学。教育学部が有名なところだった。

「けど先生から『他の子の士気に関わるから受かったことは秘密にして、センターまでは受けとけ』って言われたんだよね。まぁ、あまりに勉強しなさすぎるのも大学入ってから困ることもあるだろうしって思って、皆に合わせてたんだよ」
「だから先輩今こんな感じなんですか……」
「そー」

 先輩がお気楽そうに過ごしている理由がわかって納得した。確かにそれならば、センターの結果が良かろうと悪かろうと関係ない。

「でもやっぱりさぁ、今日とかセンター終わってすぐじゃん。教室で自己採点して、その結果提出するんだけど、やばいの、空気」
「確かにすごそうですね……」
「人によっては人生終わったみたいな顔してる」

 先輩は苦笑する。それは居心地が悪かっただろうなぁ、と少々先輩が気の毒に思った。別に、先輩は悪い事をしたわけでもなかろうに。

「センター終わって気も抜けて、どう頑張っても俺は他の皆と同じ『受験生』にはもうなれないから、逃げてきちゃった」

 先輩が僕を誘ってカラオケに行こうと言い出した理由がようやくわかった。同い年の友達とは遊べないし、かといって先輩には今、切羽詰まって打ち込まなければならないものもない。これまで、気晴らしをしたくてもできないことだってあっただろう。

「お疲れ様でした」

 気の利いたことなんて言えなかった。けれど先輩は吹っ切れたような顔をして「さんきゅ」笑っていた。

 ――僕も、先輩も、他人で。同じ経験を積むことなんて勿論できないわけで。
 それは、遠山さんだって同じだ。
 先輩が他の受験生の気持ちを理解することが困難なように、僕が先輩の気持ちを理解することも困難だ。
 僕が遠山さんの気持ちを理解することだって、遠山さんが僕の気持ちを理解することだって、困難だ。
 伝えなきゃわからない。聞こうとしなきゃわからない。
 じゃあ僕は、遠山さんの気持ちを理解しようとしていただろうか? 今僕は、遠山さんの気持ちを理解しようとしているだろうか?

 いや、してない。
 遠山さんの気持ちを理解するための手がかりが手元にあるにも関わらず、僕は逃避している。

 先輩が歌を再開する。
 歌声を聞きながら、僕は自分が如何に臆病な人間かを自覚した。


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