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北山一揆の鎮圧拠点 赤木城

 三重県熊野市にある赤木城(跡地)に行ってきました。

赤木城とは

 天正14年(1586)、奥熊野の侍たちが蜂起し、「天正の北山一揆」と呼ばれる騒動に発展しました。一揆の原因は太興検地への抵抗ともいわれていますが、定かではありません。赤木城は、この北山一揆鎮圧のための拠点として、天正17年(1589)頃に築城されたといわれています。当時の紀伊国主の豊臣秀長の家臣であった藤堂高虎が縄張としていました。
 城は、役割を終えてそのまま廃城となったといわれています。

赤木城

スタンプの場所

 紀和鉱山資料館か、道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里にあります。道の駅には色々なお土産や食事処もあるので、スタンプを押すなら道の駅がオススメ。
 こちらがスタンプのある道の駅、熊野・板屋九郎兵衛ですの記事です↓

アクセス

 赤木城までは熊野市駅から車で約40分です。スタンプも道の駅にあるため、車がないと無理です。山道なので、天気の良い日がオススメ。冬は雪も降ります。
 また、道の駅から行く道路は綺麗ですが、反対側から県道40号線にでるまでの道は酷道です。すれ違いは出来ないので気をつけましょう。

赤木城へ

 道の駅でスタンプを押した後は赤木城へ。駐車場に車を停めます。人はあまりいませんでした。

駐車場

 こちらは門跡です。ここから登ります。

門跡

 門跡を登ったところは東郭です。

東郭

 東郭は門を挟む2つの郭からなっており、最初に敵を迎え撃つ場所です。そのため、石垣は高く険しく積まれています。
 東郭を進むと虎口があります。

虎口

 郭の出口を「虎口」といいます。城攻めの時にはここが要所となるので、敵を防ぐための工夫が凝らされています。
 赤木城では通路を何度も折り曲げて二重の虎口を設け、要所には門を構えて備えていました。また、下段の虎口には防御のためか階段が見られず、梯子のようなもので登っていたと考えられます。
 虎口では石垣の崩落が著しい状態で、おそらく廃城後に、敵に利用されることを防ぐ目的で意図的に崩された可能性があります。
 
 虎口を登ると、主郭へと続く門跡がありました。

門跡

 この門跡を登ると主郭があります。

主郭

 主郭は城の最高所にあり、城下からの比高は約30mです。こちらも現在は石垣のみしか残っていませんが、他の郭よりも高く丁寧に石垣が積まれ、城の中心にふさわしいつくりとなっています。

主郭

 主郭を降りて、西郭へ向かいます。

西郭

 西郭は細長い尾根の上に築かれ、4つの郭からなっています。斜面を削り敵が登りにくいようにしています。

 赤木城を一周したところで元の場所まで降ります。来るまでが大変でしたが、なんとか訪れることが出来て良かったです。

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