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「浪のしたにも都のさぶらうぞ」展 YCAM山口情報芸術センター 2/2

 メディアアート作品の感想を記します。
作品タイトル 「浪のしたにも都のさぶらうぞ」
制作 許家維+張碩伊+鄭先喩+YCAM 
展覧会期間 2023/06/03〜2023/09/03
会場 山口情報芸術センターYCAM (山口県山口市中園町)
 ※作品は撮影、録音禁止であったため、作品の画像は載せていません。

 前回記事の続きです
 →前回 「浪のしたにも都のさぶらうぞ」展 YCAM山口情報芸術センター 1/2|やむやむ (note.com)


2-3 問いかけの答えを考える

 作品からは、以下の問いを明確に感じます。
展覧会チラシより引用します。

「 ---中略--人形使いと人形、パフォーマーとアバターの動きが象徴的に表すのは「操る-操られる」の関係性。---中略--- 誰が操り、誰が操られているのか。歴史で繰り返されるこの関係性を生み出す動力(エネルギー)とは何なのか — 過去と現在、現実世界と仮想世界を行き来しながら見るものに問いかけます。」

① 作品中の「操る-操られる」関係を整理

 ここで作品中の「操る-操られる」関係を整理します。
作品は撮影録音禁止でしたので、自分の記憶と鑑賞中のメモ書きを元にしています。間違いがあるかもしれません。

CGアニメの文楽人形は、子供から大人へと成長していく 
後半は、男性から女性へ変わる
最後は、パフォーマーが自ら装着された機器を取り外す

 作品を観ていない方には何が何やら、という表になってしまいました。

 簡単に書くと、人間が操る文楽人形の動きが、CGアニメの文楽人形に投影され、それがVR空間で人間パフォーマーのアバターになる、という順に関係が変わっていきます。
  
 やがて、VR空間で描かれている「浪のした」の世界が崩れ始め、パフォーマーはまるで溺れて苦しむ人のように、悶えながらモーションキャプチャーを自分の手ではずしていきます。スクリーンには撃沈した貨客船高千穂丸の残骸がバラバラと海流にもまれるように流れていく様子が映り、アバターももみくちゃになって沈んでいくのが見えます。
 パフォーマーがついにVRゴーグルを頭から取りはずした時、背後のスクリーンは暗転し世界は消えます。

 舞台に死んだように横たわるパフォーマーの姿を、天井から捉えた映像がスクリーンに映されると、次には、舞台の長方形をそのまま映したような畳の筏が海の上に浮かぶ映像に重なります。

 青空のもと海上にポツンと漂う筏の映像をバックに、パフォーマーはゆっくりと起き上がり、まるでその筏の上に載っているかのようにゆらゆらと揺れて立っています。その体にはモーションキャプチャーもコントローラーもありません。

② 作品から想起されるもの

● 社会システムの崩壊とその後の人々

 作品中の、広大な空間に一人放り出されたようなパフォーマーの姿は自由で開放的ですが、なんとも孤独で頼りない様子です。 
 この場面では、植民地支配や独裁政治などの絶対的と思われていた一つの社会システムが瓦解していく過程と、支配から解放された人々の姿が象徴されているように、私には感じられました。

 映像の中の、畳でできた筏は、北九州市門司区大積の蕪島にあった陸軍船舶部隊「暁部隊」の特攻艇を彷彿とさせ、戦時下の狂気の沙汰を象徴しているわけですが、そこから抜け出したとき、次に何を頼ってどの方向へ進めばよいのか誰しもが不安に思ったことでしょう。終戦直後の日本国民と、日本政府が撤退した後の台湾の人々の心情が察せられます。

宴が終わるころ、昭昭さんが不意に「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか。」とゆっくりといった。美人だけに、怨ずるように、ただならぬ気配がした。--中略-- 私は日本統治自体の日本が国家の実力以上に台湾経営に尽くしたことはみとめている。むろん植民地支配が国家悪の最たるものということが、わかった上でのことである。さらに日本がみずからの意思で捨てたのでははく、昭和恐慌以後、満州や中国での膨張政策があだをなし、ついに十五年間も戦争したすえに台湾を捨てざるをえなかった。ポツダム宣言受託(1945年)によって捨てさせられたのである。昭昭さんもそのことはわかっている。--中略—こういった家族ぐるみのおよばれの席上で、にわかに現代史の話を持ち出すのは無粋と思い黙っていた。ところが、もう一度、昭昭さんは、「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか。」と大きな瞳を据えて言われた。たずねている気分が、倫理観であることは想像できた。

司馬遼太郎著「街道をゆく四十 台湾紀行」p451-p452

(1895年から1945年の五十年間)この間、同化政策によって台湾の学校教育はすべて日本語で行われた。だから必然的に日本人として生き、日本を故郷のように思う岳さんたちのような日本語世代があらわれることになる。彼らの日本に対する愛情はなみなみならぬものがある。第二次世界大戦のときは、自ら志願して大日本帝国のために戦った人たちもいたほどだ。そのせいで約3万人が命を落としたと教科書には書いてある。アメリカから空襲も受けた。--中略--- なのに敗戦と同時に、日本は台湾をばっさりと切り捨てた。やっぱりきみたちは台湾人なんだ、台湾人は台湾人であって日本人ではない、どうかお幸せに。それまで日本人として生きてきた人々の自我は、この時音を立てて崩壊した。大陸で共産党に駆逐された国民党がこの島になだれこんできたのは、(外省人のわたしが言うのもなんだが) 泣きっ面に蜂だった。

東山彰良著「流(りゅう)」p 154, l 1-10

● 「権力の二重構造」(本作ナレーションの言葉より)

 作品の前半部分のナレーションに、「砂糖が権力の二重構造を生んだ」という言葉がでてきます。現在も稼働している関門精糖の工場周囲を文楽人形が歩くシーンです。
  明治から昭和中期まで砂糖をはじめ麦や米や石炭など、多くの物資の輸出入を大量に取り扱い経済的に栄えた門司港と門司の町を解説した言葉であり、軍隊や政府のような国家権力のほかに、運輸を司り物資や金銭を握った実業家たちが大きな権力を持っていた現実を表しています。

  ここで、画家安野光雅氏の代表作の一つである「絵本平家物語」を紹介します。平家物語の「祇園精舎」から「女院死去」まで、79場面143章段をご自身が選び、精密な絵と自ら書き下ろした文章から成る本です。もちろん「浪のしたにも都のさぶらうぞ」の言葉が登場する「先帝御入水」も含まれています。

 安野光雅(1926~2020年)氏は、本書のあとがきで自らの戦争体験を綴っています。それを読むと、所属部隊や場所は異なりますが、本作に登場する蕪島の陸軍船舶部隊「暁部隊」と同様の任務訓練についていたことが分かります。
 その内容から、軍隊の中でも「権力の二重構造」が生じていたことが窺い知れます。軍隊の階級による上下関係とは別に、食料を持っている部署が実質的にその恩恵を独占する力を持っていたのです。
 
そして終戦が決まったとたんに末端の初年兵たちを置いて去る幹部上官達の姿は、植民地から撤退する宗主国の姿にも重なると思いました。

若き日の安野氏が感じた理不尽な状況への憤懣と、上官に対する憤りは読者にも十分伝わってくるものがあります。

そのころわたしは、あの定家とおなじ十九歳で、炭鉱で働かされていたところを兵隊にとられ ( 1945年5月20日 ) 平家の雑兵よりみじめな、一兵卒となった。つれていかれたのは、香川県王越村というところで瀬戸内海のなかでも一番海の狭いところと聞いた。わたしは船舶兵というものだったのである。任務は、上陸用舟艇を操って「瀬戸内の島影に出没し本土決戦に備えよ」ということらしい。実情はどうかというと、舟艇はベニヤ板で出来ていた。そのころ、焼だまエンジンという漁船と同じエンジンを積んでいたが、故障が多く十二隻あった船のうち、自力で動けるのは二、三隻しかなかった。 –中略—食料はさらにみじめで、ごはんのほかは何時もねぎの入ったおすましだった。栄養失調で腎臓を病み、顔がむくんでくるものが出はじめた。なかでもおかしなことだが、炊事班の食事がすごいことは公然の秘密で、だれも不満をいうものはなかった。

安野光雅著「絵本平家物語カジュアル版」あとがきp167, l 24-34

わたしたち兵隊は、舟艇秘匿場といって、船を飛行機から見えなくするために、岩穴を掘る重労働がしごとだった。

同書p168, l1-3

--中略--  ( 沖縄が戦場になり、戦艦大和が撃沈、原子爆弾の投下) 王越にいたわたしたち兵卒は何も知らなかった。戦艦大和というものがあることさえも知らなかったし、終戦の勅詅が出されたこともはじめは村人から教えられた。あの夜、八月十五日の夜、わたしは歩哨に立たされたが、上官たちは争って兵営の物資を持ち出して歩哨のそばを通り、「お前はそんなところに立っていなくていい」などと言った。

同書p168, l15-19

●「システムは更新された」「分析可能でピクセル化可能な世界」(本作ナレーションの言葉より)

 作品では、元料亭の三宜楼、関門精糖の工場や、蕪島基地跡の洞穴が3Dレーザースキャナーによって測量され、デジタルの点群に分解されて、CGに置き換わる様子が、映像の中で強調されています。
近代建築物や歴史的遺構がCGに置き換えられ、VRの世界にとりこまれていく過程が示されています。

 これらが意味するのは、過去から現在の歴史を象徴するものが建築物であるように、現在から未来を形作るものにVRが発展していく、という事だと考えました。
 「VRで戦争が始まる、目に見えない戦争が始まる」という言葉もあり、現実世界で人間が戦争しなくても、VRで戦争をすれば人は死ななくて済むし、土地や海も荒らされることはない。サイバー攻撃や仮想通貨の世界ですでに現実に起こっていることを踏まえて、将来のVRの可能性を示していると思います。
 
 文楽人形の動きを投影したCGアニメは、はじめは男児ですが、だんだん成長して最後は力強い成人男性の姿になります。知らないうちに拡大し勢力を増して現実に迫るVRの技術を象徴しているようです。
 また操るものが誰であろうと、VRではアバターは振袖姿の娘にもなれるし、鬼女にもなれる。VRが世界を覆う時代が来た時、操るもの達は現実社会でどう振る舞えば良いのか、分からなくなりそうです。

③人々を突き動かす動力(エネルギー)とは何か

 上記に述べた作品から想起されることをまとめると、
■一つの社会システムが崩壊した時、多くの人は別の秩序や権力に頼りたくなる。
■物資や富の分配に不公平があると、強い不満が生まれる。
■VRのような新しいテクノロジーが未来をより良いものにしてくれるという期待。

 これらの一人一人の人間の欲求や思念が集合して、作中の言葉「大天狗」や「宇宙のすべてをつかさどるもの」で表現される、人類を動かす動力(エネルギー)となるのではないでしょうか。
 
 この動力は、人々を領土拡大や資源獲得に駆り立てて、紛争や戦争を引き起こします。
 また、日本が太平洋戦争末期に、南方の軍事基地を失い、戦闘機も戦艦もわずかになっても戦争をやめられずに、本土決戦だ、体当たりの特攻だと人々を追い込んだように、狂気の方向へむかわせてしまいます。

 しかし、一方で、人々を明るく幸せにする方向へ向かわせる動力(エネルギー) について、≪等晶播種≫の中でほのめかされていたように感じました。

 映像に出てくる雲林虎尾の「電波塔」です。
示説展示によると、この電波塔は、台湾空軍基地内 (もとは日本海軍航空隊の基地 ) に建設された点遠ラジオ局。ここから大陸に向けられた強力な短波放送は戦略ツールであったが、図らずもテレサ・テンの歌声がラジオ電波に乗って中国大陸でキャッチされたことで、彼女の人気に火が付き中華圏全域に広がったそうです。
 国家や組織の権力者から降りてきた命令に従ったわけではなく、商業的な成功を狙った仕掛け人がいるわけでもない。
巷の人々の間で自然に発生するブーム。それは良きにつけ悪しきにつけ、無視できない大きな力になるということです。「大天狗」に対抗できるのは、そのような力なのではないかと思いました。

2-4 一つ言わせて下さい

 作品のエンディングでは、パフォーマーが舞台から降りてきて、前に置かれた透明な箱の中のアルコールランプに火をつけます。しばらくすると、スクリーンにくるくると回る飛行機の影絵が投影されます。
 
 アルコールランプの炎で熱せられた金属板から電気が発生し、回転機構を動かして上部に付いた戦闘機の模型が回る仕組みです。
 冒頭の、砂糖からアルコールを製造するメイキング映像が伏線としてきれいに生きてくるし、迫力のあるサウンドと多量の映像に緊張していた頭が、アナログな仕掛けにほっと緩み、静かに作品の余韻を味わうことができる良い演出だと思いました。
 
 YCAMでは、自施設内のラボで、台湾虎尾産の砂糖からエタノールを精製してこのエンディングのアルコールランプに使用したとのこと。(法律的に必要な酒類の試験的製造免許も施設として取得したそうです。)

 作品に関連して戦闘機に使用された燃料用アルコールが精糖工場から作られたという史実から発想をとばして、実際に自分たちで砂糖からアルコールを作ってみようと思ったその着眼点は、大変面白くて独自性があると思います。
 
 しかし、私が残念に思うのは、ロビーの資料展示に、ラボの実験ノートまたは作業日誌の類の展示が無かったことです。
これでは、目の前にあるアルコールランプの中身が本当にYCAMで製造されたものなのかどうか、観ている側には今一つ明確ではありません。

 ラボが実際に稼働しているかどうかを証明するのに、実験ノートや作業日誌、生データの提示は必要です。
 会計監査を受ける際に収支報告の内訳書の提出が必須であるのと同様、口で「信用して下さい」といっても通用しません。

 アート分野に置き換えて言えば、画家のサインのない絵画や、箱書きのない茶道具のようなもの。限りなく本物に近いとしても、真贋に疑問符が付いてしまいます。
 
 アートセンターであるYCAMが、自施設のラボを使用してスタッフが手を動かしてアルコールを製造したという行為そのものが、チャレンジ精神に富んだ貴重なことで、作品の価値を高めている点です。

 作中にメイキング映像を入れるだけではなく、実際に製造した証拠となるものを提示して、その美点を強調したほうが良かったのではないかと考えました。
 何せ本作品の制作陣は、自分たちが映像によって実際にはないものを、いくらでもそれらしく見せることができる技術を持っていることを、作品の中で鑑賞者に示しているわけですから。

3 余談 戦闘機と燃料用アルコールと虎のしっぽ

ここからは作品を離れます。
 燃料用アルコールがどのように戦闘機に使用されたのか。
鑑賞のヒントになるかと思い、次の三冊を読みました。
 
1「零戦燃ゆ 渾身編」柳田邦男著、文芸春秋、1990年刊
2「三菱航空エンジン史 1915-1945大正六年より終戦まで」松岡久光著、中西正義監修、三樹書房2005年刊
3「零式戦闘機」吉村昭著、新潮文庫1978年刊

すると次のような記述を見つけました。
「零戦燃ゆ 渾身編」第四部より
 昭和19年7月より、B29に対抗するため陸海軍が共同で開発を進めた局地戦闘機 秋水 (ロケット戦闘機)について。秋水のエンジンはそれまでの戦闘機とは違う、ロケット・エンジンといわれるもので、翼型も機体も新たに設計図がひかれ、エンジンに使用する専用の液体燃料の試作と燃焼実験が行われていた。この液体燃料に、メタノール ( アルコールの一種 ) が混合されている。 
 こんな記述がありました。虎の尾が登場しました。

白昼での実験では、噴出ガスはわずかにオレンジ色がかって見えるだけだが、夕刻や夜間に全力試験をすると、鮮やかオレンジ色の焔が周りに緑色の部分を伴って四メートルも延び、見事な景観を呈する。-中略- それは虎のしっぽの縞模様を連想させた。防護壁の観測用のぞき穴から、みごとな焔を測定していた技術者たちは、だれからともなくその縞模様を「虎の尻尾」と呼ぶようになった。

「零戦燃ゆ 渾身編」 柳田邦男著、P341,l12~l21

 秋水はエンジン部分の故障が相次ぎ、その開発に難航します。ようやく実用にたるエンジンを搭載した試作第一号機が、昭和19年7月7日に横須賀の海軍追浜基地で初の試験飛行を行います。無事離陸したものの、エンジントラ-ブルで墜落してしまい、実戦に使用されることはありませんでした。

 ・「水・メタノール噴射方式」エンジンとは
1943年(昭和18年)から多くの戦闘機に搭載された。

 発動機の高ブーストに起こる気筒内のデトネーションを防止するために開発された。デトネーションとは気筒内における異常爆発なし急速な燃焼が起こる現象であり、激しい吐煙、振動を起こして出力が急低下し、時にはピストンが溶解して穴があくなどの重大なトラブルにつながることがあった。
この防止策としては、高オクタン価の燃料を使用したり、高濃度の燃焼ガスを供給する方法があったが、当時の日本では高オクタン価の燃料は次第に欠乏していた一方で、ますます高出力が要求されるようになってきたため、水メタノール噴射方式が広く使われるようになったのである

三菱航空エンジン史1915-1945 p92

・台湾空襲
「零戦燃ゆ 渾身編」によると台湾の米国軍による空襲は1944年夏ごろから激しくなり、同年10月12日から14日の三日間は台湾にある日本軍基地が北から南まですべて空襲を受けたとあります。参照P127~P132。
 
以上。


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